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□ゾルディック・クリスマス
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一日の仕事を終えた夜は好きな香りの入浴剤を選び、ゆっくりと時間を掛けてバスタブに浸かる。余程忙しい時以外は、このところ毎日そうしている。
今夜は世間一般では特別な夜だけれど、名前にとってはいつもと変わりなかった。聖なる夜の寒さは身に染みるから、どこにも出掛けない。汗をかくほど長湯をして、上がった後は冷やしておいたサングリアを飲む。それで充分幸せだ。
バスタブに深く身を沈めれば、ベルガモットの甘く爽やかな香りに包まれる。気を抜くと浮かんできてしまう切ない想像は、柑橘色の湯に溺れてしまえばいい。誰と誰がどこでどんな夜を過ごしても、自分には関係のないこと。それが仕事相手なら、尚更のことだ。
一時間半の入浴を終えると、身体がかなり火照っていた。肌ざわりの心地よいバスローブを羽織って、濡れた髪をタオルで拭く。拭きながらキッチンに行って冷蔵庫を開け、サングリアの入ったピッチャーを取り出した。
今日の果物はレモンとブルーベリーと苺で、昨夜の内に赤ワインに漬け一晩寝かせてあった。香り付けにはシナモンを少し。彩り鮮やかなフルーツとワインを注いだ雫型のグラスを手に、名前はリビングに出て行った。
(あれ……?)
どこからか物音がする。耳を澄ますと、音はどうやら窓の外から聞こえているようだった。眺望が気に入って決めたこの部屋は23階に位置するので、鳥か飛来物か……それも滅多にないけれど、そのくらいしか考えられない。
恐る恐るカーテンを捲ると、赤色が目に飛び込んでくる。直ぐそこにサンタクロースが居た。こちらを背にして、座れる程幅があるとは思えない窓の桟に腰掛けている。
「ジングルベール、ジングルベール……の後なんだっけ?」
「あの……」
「んーまあいいや。ジングルベール、ジングルベール、フンフフーンフフー」
「あのー……」
「あ、名前。今日は冷えるね」
まさかとは思ったが、振り向いた男はやはりイルミだった。上下とも真紅と白で馴染みのサンタ衣装に身を包み、三角の帽子まで被っている。
情報屋を仕事にしている名前にとって、イルミは大切な客だった。駆け出しの自分にいい値段で仕事をくれる、言わば上客だ。
加えて、入浴中に気持ちを酷く波立たせ、無理矢理ベルガモットの湯に沈めたその人でもあった。唐突すぎる対面に驚くと同時に、名前の胸がざわついた。
「あー寒かった。名前、気付くの遅いよ」
「イルミさん……そこで何してるんですか?危ないですよ……!」
「何って、開けてくれるのを待ってたに決まってるよ。何回もノックしたのに全然気付いてくれないし。窓を割ったら怒られるだろうから、歌でも歌ってようと思ってたところ」
「どうして窓から……?」
「そんな当たり前のこと聞くの?サンタクロースが窓以外から来る筈ないと思うけど」
「確かにうちに煙突はないですけど……イルミさんの家ではそうなんですか……?」
「そうだよ。玄関から来るなんて、そんなの非常識だし」
「非常識って……でも、ここ23階なのに」
「とりあえず入れてよ。寒い」
「あ、はい……どうぞ……」
招き入れるとイルミは物珍しげに室内を見渡し、それからしげしげと名前を見た。
「やっぱり、玄関から来なくてよかった」
「どうしてですか……?」
「名前のバスローブ姿が見れるなんてさ、寒い中待ってた甲斐あった」
「あ……っ!き、着替えて来ますっ」
「えー、着替えなくていいよ」
「いえっ、イルミさんは適当に座っててください……っ」
隣の部屋で襟の付いたワンピースに着替えて戻ると、イルミは酷く落胆した様子で、大袈裟とも言える盛大な溜息を吐いた。
「あーあ、着替えなくていいって言ったのに」
「あんな格好で居られる訳ないです」
「せっかく色っぽかったのに……」
ぶつぶつと呟きながら白い手袋を外すと、ソファーに座ったままイルミが隣を指差した。
「ところで、あっちが事務所?」
「はい、そうです」
「この部屋に誰か入れたことある?」
住居兼仕事場になっているので、イルミとは隣の事務所でいつも商談していた。仕事相手を家に招いたことはなく、今日もイルミが窓から訪ねて来るなんてことがなければ、年明けの仕事まで会う予定はなかった筈だった。
「誰かって……誰ですか?」
「クロロとかヒソカとか、別の男とかだよ」
「ないですけど……」
「そうなんだ。俺が初めてなんだ?」
「そうですね」
「へーそうなんだ……俺が初めてなんだ」
イルミは同じことを繰り返し口にすると、機嫌よさげに口角を上げた。それから、テーブルの上に置き去りになっていた飲みかけのグラスを手にして、目の高さに持ち上げる。
「これ飲んでたの?美味しそうだね」
「イルミさんも飲みますか?あ、でも冷たいから、もっと身体が冷えちゃうかもしれないですね。温めることも出来ますけど、ホットにしますか?」
「いや、大丈夫だよ。冷たいので」
「わかりました。じゃあ、ちょっと待って下さいね」
自分と同じ丸みのあるグラスに、イルミの飲み物を注いできた。長ソファーで隣り合って座り、名前はグラスを掲げる。
「それじゃあ、乾杯ですね」
カチンと軽くぶつけた後、それぞれ一口ずつ飲んだ。
「ところで……イルミさん」
「ん?」
「今日は、どういった用件でここに?」
改まって問うと、イルミは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、本日二度目の大きな溜息を吐いた。
「クリスマスイヴにこの格好で訪ねて来て、そう言われるとは思わなかったよ」
「そう……今日はクリスマスイヴですよ?」
「そうだよ。だから来たんだけど」
「どうしてわたしの家に?イルミさん、今夜は忙しい筈なのに」
「何で?俺忙しいとか言ってた?」
「イルミさんは何股もしててモテモテだから、沢山の女の子とデートをこなすのに大忙し……だって」
「は?誰が言ったのそんなこと」
「ヒソカさんが親切に教えてくれました。だから、クリスマス付近は空気を読んでイルミさんを避けた方がいいって」
「あいつ……殺す」
入浴で火照っていた筈なのに、一瞬名前は背筋がぞくりと震えるような寒気がした。イルミは一度ゆらりと席を立ちかけたが思い直したようにソファーに座り、グラスを傾けてワインだけをぐいと飲み干した。底にフルーツを残したそれをテーブルに戻して、忌々しそうに脚を組み替える。
「何股とか嘘だから。クリスマスは別に予定はないし。でたらめもいいとこだよ」
「……そうなんですか?」
「俺より変態ピエロを信じるの?」
「そうじゃないですけど……」
口ごもる名前を余所に、イルミは持って来た白い袋をごそごそと探り始めた。これ、と言って取り出して見せたのは、優に3メートルはありそうな、長いサテン生地の赤いリボンだった。
「よくこういうのを自分に巻いて、『プレゼントは俺』とか、変態がやりそうだけど、俺はそういう気持ち悪いことはしないから」
「はあ……」
「これは、こうするんだよ」
向かいから手を伸ばすと、イルミはリボンを名前の身体に巻き付けた。呆気に取られている間にも、ぐるぐると何重にも巻いていく。最後に頭の上を通して、カチューシャのようにリボンを結ぶとイルミの表情がパッと明るくなった。
「出来た。可愛い」
「イルミさん……あの……これは一体?」
「もう少しきつく巻いた方が、胸が強調されていいかな……」
問い掛けも耳に入らないのか、イルミは口元に手をやって真剣に考え込んでいた。蔑んでいたわりに、充分変態に値する台詞だ。名前はイルミに再度呼び掛ける。
「イルミさん、わたし何で巻かれてるんでしょうか……?」
「俺へのプレゼントだからだよ」
「えっ?プレゼントって……」
身を捩っても腕ごと巻かれているので、身動きが出来ない。サンタクロースの衣装でさえも様になってしまう綺麗な顔が、至近距離に近付けられた。
「俺にちょうだい。名前を」
「わたしを……?」
「うん、名前が欲しいんだ。どうしても、今夜欲しい」
返事を待たず、ちゅっと音を立てて唇が奪われる。
「イ、イルミさん……っ」
「サンタクロースがプレゼント貰いに来るのは、変だって思ってる?」
「あまり聞いたことはないです……イルミさんの家ではそうなんですか?」
「んーじゃあ、そういうことにしとくよ。ゾルディック家ではそうなんだ。その代わり、名前にもちゃんとプレゼントするから。名前が一番欲しい物」
「本当ですか……?」
「何がいい?」
「それじゃあ……わたしは、イルミさんがいいです……」
イルミは面食らったように一瞬瞳を大きくした。それから、彼らしくない柔らかさでふっと笑った。
「なかなか大胆だね」
「そう……なんですか……?」
「俺と同じ意味ならね」
口元に微かな笑みを湛えたまま、イルミが首を傾ける。唇が触れて、離れて、今度は深く重ねられて、サングリアの余韻が消えるまで何度も甘く食む。
リボンによる緩い拘束で、両手の自由は奪われている。少し押されれば簡単に後ろに倒れて、名前は背もたれのクッションに沈み込んだ。のし掛かってきたイルミが、内緒話でもするように耳許で小さく囁いた。
「メリークリスマス。もう、食べていいよね」
Zaoldyeck・Christmas
2014/11/29