SS

□春霞の君
2ページ/3ページ


クロロに会うのは、実に半年ぶりだった。大概の用事は電話で済ませてきたが、今回は直接手渡したい物があると、クロロの方から言ってきた。指定されたバーに向かえば、クロロはカウンターのスツールに腰掛け、護衛も付けず一人で酒を飲んでいた。

「久しぶりだな」

「まあね。手渡したい物って?」

「ああ、これだ」

差し出された封筒には数枚の用紙が入っていた。一目見て、イルミはすぐに自分には無関係なものだと気付く。

「親父宛てじゃないの?これ」

「そうだ。渡しておいてくれ」

「直接渡せばいいだろ。何で俺を呼び出したのさ」

「たまには団員以外とも飲みたいと思ってな」

「俺だって暇じゃないんだけど」

イルミは眉を顰めたが、酒を飲むことになるのは予測の内だった。クロロの用件についてあえて電話で深く追及しなかったのは、こちらもこの展開を多少望んでいたからだった。どうせ面会するなら、“もののついで”に聞きたいことがあった。

不平を漏らしながらも隣に座れば、クロロは満足げに口元の笑みを深め、ロックアイスが一つ入ったグラスに自分のボトルから酒を注いだ。奥には客が一組居るだけで店の中は静かだった。ガラス瓶の口から零れるとくとくという柔らかな水音が、仄暗いカウンターに響く。

「まあ飲め」

「言われなくても飲むよ」

「この間の件は上手くいったのか?こっちの仕事は成功したが、お前の方は?」

「上手くいったよ、当然」

あの後名前が居なくなり、ビルの屋上に聞こえるのは遠くの喧騒だけになった。煩いお喋りがなくなったことで清々した筈なのに、かえって張り込みへの集中力が散漫になった気がした。苛立ちの根底にあるものが、自分でも分からない。何故悶々とした息苦しさから抜け出せないのか、答えは今も出ない。

「名前は、必要なの?旅団に」

グラスを回すと、イルミの手元でカランと氷が音を立てた。繋がった水滴が表面を滴り落ちて、コルクのコースターを濡らす。染み入る訳でも弾く訳でもなく、水滴は微妙な馴染み具合でコルクの上に広がった。クロロは大してこちらも見ずに、当然と言わんばかりの短い答えを寄越した。

「必要だ」

「何で?別に要らなくない?そんなに役に立つとも思えないけど」

「名前の能力は稀有だ。前回の仕事も、そのお陰で早く片付いた。自分で身を守れる程度の強さもある」

「俺より弱いよ」

「じゃあ、イルミがうちに入ってくれるのか?」

「冗談じゃないね」

「だろう?」

クロロは笑った。何も可笑しくはないと、イルミは憮然として隣でくつくつと笑い続ける男を睨んだ。

「名前を返してよ」

「まるで俺が攫ったかのような口ぶりだな。蜘蛛に入ったのはあいつ自身の意思だ」

「そうだけど、勧誘しただろ」

「悪いか?」

「悪い。悪いに決まってる。刺青はどこに入れたの?」

「何?」

「刺青だよ、蜘蛛の」

唐突だとでも言いたげに、クロロは数回目を瞬かせた。それから視線を上にやり、思い出すように呟いた。

「ああ、太もも……だったかな」

「見た?」

「見てない」

「じゃあ何で知ってるの?」

「パクノダとマチが確認した。俺は見てない」

「そう」

イルミはゆるりと髪をかき上げ、浅く息を吐き出した。

「場合によっては殺そうかと思ったよ」

「殺気やめろ」

呆れたように顔を顰めるクロロに空のグラスを突き付けて、イルミは断言するように言った。

「とにかく、名前に盗賊は向いてないよ」

「アドバイスなら本人に言ってやれ」

「名前のことは俺が一番よく知ってる」

「それも本人に言え」

催促されるまま、クロロは大人しく酒を注いだ。冷静で落ち着き払った態度を見ていると、腹立たしい反面、自分の余裕の無さに気付かされる。イルミは努めて緩慢な動作で、スツールの上で組んだ脚を逆に組み替えた。

「それで、名前は基本単独行動なの?」

「いや、この間のケースは稀だ。他の団員と組むのが通常だな」

「誰と?決まってるの?」

「だいたいがシャルナークだ。尾行はフィンクスとさせたり、その時によって色々だ」

「……あいつらと名前が上手くやれるとは思えないけど」

「そうか?けっこう楽しそうにやってるぞ」

クロロが首を傾けると、ダウンライトの灯りに反射して、大ぶりの耳飾が鈍色の光を帯びた。玉の奥には不機嫌そうに顔を歪めた男が映っている。魚眼の働きでそう見えるのではなく、恐らく本当に歪んでいるのだろう。イルミはグラスの中身を一息に飲み干すと、封筒を手に立ち上がった。

「どうした?」

「帰るよ。ご馳走様」

「そうか。名前は非番だぞ」

「……うるさいよ」





店を出て狭い階段を上がりきると、目線の先にまたぼんやりとした月が現れる。霞の煙る朧月が足元を照らし、淡い影を落とした。

曖昧なまま、これまでと同じように、付かず離れず平行線を辿るのも悪くないと思っていた。誰のものでもない彼女と、誰のものにもなりたくない自分と。

イルミは足を止めた。規則正しく敷き詰められた煉瓦色の歩道で、立ち止まって携帯電話を取り出す。

最後のやり取りは、能天気な名前のメールで終わっていた。一緒に張り込みをするのが楽しみだとか何とか。

(人の気も知らないで……)

平行ならよかった。いつまでも平行なら問題はなかったのだ。それなのに彼女は勝手に違う道を行った。別路とは、進む程距離が広がるものだというごく当たり前のことを、今になって初めて気が付いた。








次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ