SS
□Call
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蛇口からシンクに落ちる水音でまどろみから覚めた。情緒のない音。白々しい現実。
僅かに体勢を変えて視線をやれば、暗がりにぼんやりとイルミの後ろ姿が見えた。水を飲んでグラスをシンクに置く渇いた音が響く。
「帰るの……?」
不意に口から出た言葉。帰らないでとは言えないから。名前はベッドに横になったまま布団を手繰り寄せて視界を広げた。
「いや、別に」
短く言ってイルミはソファーに腰を下ろす。明かりを付けない部屋ではどこを見ているかも分からないけれど、何処か一点を見つめているようだった。
考え事だろうか。静寂に何か嫌な予感がした。少しでも触れれば簡単に壊れてしまうから。
面倒なことを言い出したら終わりという暗黙のルール。
承知で始まった関係はもう一年になる。
イルミが他の誰かを抱いても、時々逢いに来てくれればそれでよかった。
嫉妬や独占欲に駆られれば別れが待っている。
彼女たちがそうだったように、あっさりと。
だからひた隠しにして来た。寂しいとかもっと逢いたいとか、そんな類のことは微塵も口に出していないし、抱かれる時に込み上げてくる愛しささえ殺した。
独り泣いた夜のことなどイルミは知る由もない。
イルミの望む通りにやって来たつもりだし、望まない面倒は全て葬って来た筈だ。
けれど思い当たることがない訳じゃない。最中に名前を呼ぶとイルミはいつも眉を顰めた。さっきも呼んでしまったから?それがいけなかったのだろうか。
「ああ、もう終わりだね」
イルミはソファーから立ち上がりベッドの隅に腰掛けた。スプリングが軋んで布団が荒っぽく捲られる。
カーテンから漏れ入る街灯の明かりの下、睨まれているような鋭い視線に名前は身動きが取れなかった。
「気付いたんだ。煩わしくて鬱陶しくて、面倒くさいことこの上ない。気付かなければ無心で抱くことも出来たのに」
「イルミ……」
「そう、それ。それだよ。完全にルール違反だろ?」
俺の名前を呼ぶ君が、愛しくて堪らないなんて。
「ねえ、名前」
君も同じ気がするのは、俺の自惚れだろうか。
Call
(愛してるとは言えないから、せめて、命懸けで)