SS

□恋音
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窓から差し込んだ西日により、夕暮れの教室は暖色に染まっていた。深緑色の黒板も薄茶色の机も鼠色のロッカーも、同じ柔らかな光に包まれて長い影を伸ばしている。

静かな空間に聞こえてくるのは、グラウンドから上がってくるどこかの運動部の掛け声と、遠くで巣に帰る途中のカラスが鳴く声と、先程から目の前の彼が椅子を揺らす軋んだ音だけだった。

日誌を書いている名前の前の席で、彼は椅子の向きをぐるりと真逆に回転させた上で、その脚を斜めに傾けてゆらゆらと不安定に前後させていた。

「イルミくん……退屈なら帰ってもいいよ?」

日直という事で二人居残っているが、彼、イルミは日直らしい仕事を何もしていなかった。クラスメイトという間柄ながら特別仲がいい訳でもないし、どちらかというと名前は彼に近寄り難い印象を抱いていた。

容姿は他校の生徒が騒ぐ程に良い。学校指定であるブレザーの制服は極端に着崩していないが、一目で校則違反と分かるくらい長い髪をしていた。授業はよくサボっている様子だけれど、試験の順位はいつも上位組に位置している。

教師を含め他人に対する態度は至って普通で、不良と呼ばれる類の人ではないのだが、どこか超然としていて遊び慣れた雰囲気があった。

そういう要素が数多の女子生徒を魅了する理由の一つなのかも知れないが、彼が親しくしている他クラスのヒソカ同様、名前にはとても自分と同い年という感じがしなかった。

よく言えば大人びていて、悪く言えばいい加減。何に対しても執着心がなく、適当に毎日をやり過ごしているように見える。

どれもあくまで推測であって、本当の彼を知っている訳ではないのだけれど。




「俺が居たら日誌がはかどらない?」

「えっ、そんなことないけど」

帰っていいと言ったのは名前なりの気遣いのつもりだったが、イルミが違う意味に捉えたようなので少し狼狽えた。

「まあ一応俺も日直だからさ、何かやることある?」

「それじゃあ……窓の鍵を点検してもらえる?ちゃんと全部掛かってるか」

「うん、分かった」

ゆらりと椅子から立ち上がった彼は、緩慢な動作で窓の側まで歩いていき、窓の桟に手を掛けた。そのままぼんやりと外を眺めている。

ただ鍵を確認するだけの作業にずい分時間が掛かってはいるが、何にしても仕事を手伝ってくれた事が名前には意外だった。長身の後ろ姿を見つめていると不意にイルミが振り返り、名前は慌てて日誌に目を落とした。

「掛かってたよ、鍵」

「……ありがとう」

戻ってきた彼は、キシリと音を立てて先程と同じ席に座った。再び沈黙が落ちる。

「今なに考えてるか、当ててあげようか」

「えっ?」

「日直のくせに今日初めて働いたな、と思ったね」

「そ、そこまでは思ってないけど」

「あー似たようなことは思ったんだ?」

肘を付き傾けた顔で覗き込まれ、頬がかあっと熱を帯びた。イルミの長い髪が机上にさらりと落ちて、顎のラインが露わになる。白い肌に浮き出た喉仏が、彼をかたちどる繊細なパーツの中で男っぽさを妙に主張しているように感じて、思わずそこから視線を逸らしてしまった。

女子達が騒ぐ理由が、分かった気がした。

「今度はなに考えてるの?」

「別にっ……何も考えてないよ」

「あ、ここ。書き忘れてるよ」

「えっ」

「あと日付も」

意味ありげに見つめてきたかと思えば、あっさりと話題を変える。意図的であれば悔しいし、無意識であれば関心する程の才能だ。

シャープペンシルを走らせ指し示しされた欄に書き込みながら、名前は逐一翻弄される胸の鼓動を叱りつけたい気分だった。




記入が全て終わると、うーんと大きく伸びをして、イルミが腰を上げた。

「あとは、職員室に日誌を提出するだけ?」

「うん。わたしが置いてくるから、イルミくんは先に帰ってていいよ」

「これさ、出さないで帰ってみない?教室に置いたまま」

「えっ?どうして?」

「そしたら、罰当番で明日また日直になるかなと思ってさ」

意図の分からない彼の言葉に名前は首を傾げる。どう考えても、2日続けて日直がやりたいようには見えなかった。今日だって鍵の点検以外は素知らぬ顔で眺めていただけだし、むしろ最後まで居残っていた事が不思議なくらいだ。

「……そんなのだめだよ。ちゃんと出して来ないと。それに、意味がよくわからないんだけど……イルミくんは日直が嫌なんじゃないの?」

「嫌じゃないよ。あんまり手伝わなかったのは悪かったけど、まあ俺の都合っていうか」

「都合?」

ふっと窓の外に目線をやったイルミを追って、名前も同じく顔を向けた。窓ガラスを彩っていた色彩は、橙色から紫色へと変わりつつあった。

「陽が沈んだ。だんだん暗くなってきたね」

「うん」

「変質者が最も出没する時間だ。犯罪も起こりやすくなるし、霊的なものの目撃もこのくらいの時間から増え始める」

「怖いよ……脅かさないでよ、イルミくん」

「だからさ、」

そこまで口にするとイルミは一度言葉を止め、綺麗な髪に指を通してがしがしと乱した。彼らしくない歯切れの悪い態度に戸惑っていると、イルミは鞄を脇に抱えポケットに手を入れて、名前を見ないまま呟いた。

「一緒に帰ろうか」

「えっ?!なんで?」

「何でって……危ないからだよ。何かあったら俺が責任を――問われないかも知れないけど、後味悪いし」

理由を問うた名前に、イルミは一瞬不機嫌そうに眉を顰めた。それから何か考え込むような仕草を見せた後、自嘲するように口元へ僅かな笑みを湛える。

「やっぱり止めた。やっぱり、そういうのは止める」

「そういうのって……?」

「色々言ったけど、本当は名前と一緒に帰りたいだけ。あわよくばキスとか出来ないかなーなんてこともちょっと考えたけど、それでも俺と帰ってくれる?」

「え……イルミくん……」

「だめ?」

「ううん……だめじゃない……」

「え、していいの?」

「そうじゃなくて、一緒に帰るのが……!」

「じゃあ、とりあえず」

すっと手を差し出したイルミを名前は見上げる。思いのほか誠実そうだとか、本当は遊び慣れてなどいないなんて、全て願望かも知れない。

数多の女の子達と同じでも、違う理由でも、どちらでもよかった。

躊躇いがちに手を伸ばす。その手が触れ合う。



コトリ、と



に落ちるがした





2012/2/6

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