SS

□不埒な純潔
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一日の仕事を終えて家へと帰り着いたイルミは、脇にある駐車スペースに車を停め、噴水の横を通り抜けてポーチの階段を上がった。ドアを開けて広々とした玄関ホールを横切り、自室へ続く長い廊下を渡る。

ここまではいつもと同じだった。部屋まであと数メートルというところで、声を掛けられるまでは。

「お帰りなさい」

「ああ……来てたんだ」

「うん、遅かったね」

彼女は甲冑の置物の台座にちょこんと腰掛け、両手で頬杖をついた姿勢で座っていた。最初にイルミが思ったのは、一体何時から居たのだろうという疑問だった。暗く薄ら寒い廊下の置物に寄り添っている事が、時間を忘れる程楽しいとは考え難い。

「残業だったの?」

「残業っていうか……終わる時間がはっきり決まってる訳じゃないから」

「夜の9時には帰ってくるだろうって叔母様が言うから、そのくらいかなと思ってたんだけど」

ちらりと腕時計に目をやり、一時間近くはここに居たのだろうなとイルミは思う。無意識の内、口から小さく溜息が漏れた。

「……部屋、入る?」

「うん、入る」

部屋へと通し暖房のスイッチを入れる。返ってくる答えは予想出来たが、一応イルミは毎度繰り返している質問を彼女へ投げかけた。

「俺に何か用だった?」

「ううん、何もないよ」

「そう」




家族ですら隅々まで把握しきれないこの広い屋敷に、名前はよく遊びに来ているようだった。イルミの母親と名前の母親は実の姉妹で、家が比較的近所という事もあり、互いに頻繁に行き来していた。そこに名前がくっ付いて来る。そこまでは何の不思議もない。

その彼女が、何故自分を訪ねてくるのかがイルミには解せないのだ。単に話し相手が欲しいだけならキルアの方がまだ愛想があるし、ゲームや漫画ならミルキの部屋に溢れている。女の子の好きそうなものなら、カルトが幾らか所有しているだろう。彼女と同じ年の頃の使用人も何人か居る。なのにだ。

イルミは上着を脱ぎながら名前の横顔に視線をやる。彼女はソファーに座ってテーブルの上に放ってあった経済誌に手を伸ばしている。世の中の動きにそれ程興味があるようにも見えない。

「俺はシャワーを浴びてくるけど」

「はーい、行ってらっしゃい」

暫し相手が出来ない事を告げても、間延びした返事が返るだけだった。




程なくしてイルミがシャワーから上がると、名前はテーブルいっぱいに見合い写真を広げていた。紙袋に詰めて部屋の隅へ追いやっていたものだ。目ざとく見付けて、引っ張り出してきたらしい。

別段見られてまずいものでもないので、イルミはその横を通り過ぎ、奥の部屋で着替えを済ませた。戻って来て直ぐに呼び止められる。

「ねえ、イルミ」

「なに?」

「この中のどの人と会ったの?」

「会ってないよ。誰とも」

そう答えてから少し考え、イルミは言葉を付け足した。

「あ、そういえば会った。一人だけ」

「えっ?どの人?」

「うーん……これかな?いや、こっちだったかな」

「覚えてないの?お見合いしたのに」

「見合いじゃないよ。なんか家に来てたから、たまたま顔を合わせただけ」

「お話ししたの?」

「少しね」

「そう……」

質問してきた時の勢いとは正反対の小さな声で呟いて、名前は何か考え込むように静かになった。気にはなったがそのままにして、イルミも腰を下ろす。同じソファーに間を開けて座り、脚を組んで背もたれに深く沈み込んだ。ターゲットを尾行中に見られなかったメールをチェックする。依頼人からの通知を半分まで読んだところで、隣からの視線に気付いた。

「なに?」

「……ううん」

「退屈ならテレビでも点けたら?」

言った後で、長居を助長する提案だったとも思ったが、帰れとも言えなかった。名前はうん、と小さく頷き、ソファーから立ち上がった。

「DVDでもいい?」

「いいよ」

「わたしが選んでいいの?」

「うん、俺は何でもいい」




再びイルミはメールに視線を戻す。名前を視界の隅には入れていたが、彼女の動きをあまり関知していなかった。名前はDVDが収納してあるラックの前まで行き暫く悩んだ後、腰を屈めて下段を覗き込み、その一つを取り出した。

「これにしたい」

「ああ、別に何でも……」

(いやいやいや、よくない)

戻ってきた彼女が手にしていたのは、イルミがわざわざ他のものと分けて、直立した姿勢では視線の届かない一番下の段にタイトルを後ろ側にしてしまっておいたものだった。

パッケージの表紙は、ひと目で普通の映画とは異なる類の映像と分かるものだった。本来隠すべきところを露出させた女性が、絶妙な位置を通した縄で拘束された上に、脚をMの字に大きく開いた格好で屈んでいる。裏はモザイクが入りすぎて、何が写っているのかもはやよく分からない状態だった。

(――なんでそれ?)

こめかみの横を冷や汗が伝う。内心では酷く狼狽していたが、イルミは努めて平静を装った。否、正しくは対処方法を考える余裕もなかったから、そういう対応しか出来なかった。

「違うのにしなよ。それはあれだから」

見飽きたから、という理由を付けようかと思ったが、逆に微妙なので止めておいた。

「でも、これが見たいんだもん」

「いや、これはやめよう。他にもっと面白いのがあるよ」

「何でもいいって言ったのに」

「いや、だって18禁って書いてあるし」

言いながら、自分で何を言っているのだろうとイルミは思う。R指定を自ら暴露してどうするんだと内心嘆きたくなったが、とにかく名前が聞き分けてくれるなら何でもよかった。

「わたし、18歳になったのよ。一昨日」

「えっ、そうなんだ……いや、でもそういう問題でもないから」

「じゃあ、どういう問題なの?」

渡すまいとでも言うように、パッケージを両手で掴んで名前はイルミを見上げた。あのような淫猥なものを生娘の手に握らせている事に、イルミは少しの罪悪感を覚える。同時に沸き上がる妙な興奮をどうにか抑制して気を散らす。











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