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□あかずきん
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「それじゃあ、行って来ます」
三段しかない小さなステップを下りれば、暖かな風が頬を撫でた。このところ天候がよくなかったから、久しぶりの晴天だろうか。バスケットにはぶどう酒と木の実を焼き込んだパンが入っている。母親にお使いを頼まれて、隣村の祖母の家に届けることになっていた。
お気に入りの赤い頭巾を被り直して、名前は森の小道を進んだ。鬱蒼と茂る樹の間から陽の光が差し込んで、朝露がきらきらと煌めいていた。
一人きりで祖母の家へ行くのは初めてで、名前の瞳には見るもの全てが新鮮に映る。
途中、真っ白なウサギがぴょんぴょんと道を横切ったり、小さなリスが樹の枝をちょろりと走り抜けたりしたが、名前は立ち止まらなかった。本当はバスケットを置いて駆け出したくなったけれど、“道草してはいけない”と母親にきつく言われていたからだ。
(だめだめ、早くおばあちゃんのお家に行かなきゃ)
名前は自身に言い聞かせると、曲がりくねった道をずんずん奥へ進んだ。
暫く歩くと道が左右に分かれている場所に出た。名前はうーんと考えて、スカートのポケットから小さく畳んだ紙を取り出す。亡くなった祖父がくれた、大切な手描きの森の地図だ。
「やあ」
覗き込んで地図を見ていると、何処からか声がした。名前は顔を上げて、きょろきょろと周囲を見渡した。
「こんにちは、あかずきんちゃん」
分かれ道の中間にある大木に、オオカミが腕を組んで寄りかかっている。けれど絵本で見たのとは違っていて、頭の上にぴんと立った耳は獣のそれだったが、他は人間とさほど違わないように見えた。それに、ずい分と綺麗な顔立ちをしていた。
「あかずきん?」
「君のことだよ。その赤い頭巾、よく似合ってて可愛い」
「えっ……?ど、どうもありがとう」
もごもごと礼を述べる名前にオオカミは一歩づつ歩み寄った。彼が手の触れそうな距離まで近付くと、名前は緊張して身体を強張らせた。
「怖がらなくても大丈夫だよ。君、名前は?」
「名前」
腕を取って手に握らせられたのは、桃色の可愛らしい花だった。野花なのか家の近くでは見たことのない花だ。名前は無言でオオカミを見上げた。彼が首を傾げると、ふさふさの柔らかそうな耳がぴょこぴょこと小さく動いた。
「名前にあげるよ」
「わたしに……?」
「うん、名前がすごく可愛いから」
「あ、ありがとう」
至近距離に迫る顔は、獣とは思えない程繊細で美しく整っている。目を細めたオオカミに名前の心臓はドキドキと急速に早まった。
「髪に飾ったら、もっと可愛いんじゃないかな」
すっと伸びてきた彼の手が少しだけ頭巾をずらし、後れ毛を優しく耳に掛ける。長い指が耳翼と耳朶を撫で回すように往復し、名前はもじもじと身を捩った。
「ひゃ……っ、オオカミさん……」
「イルミ」
「えっ……」
「俺の名前」
「イルミ……さんっ……くすぐったいよ」
「じっとして。ほら、出来たよ」
耳の上に花を挿すと、オオカミは名前から離れた。屈めていた腰を上げて分かれ道の右手を指差す。
「こっちの道にたくさん咲いてたんだ。今から一緒に取りに行こうよ」
「でも……わたし、おばあちゃんのお家に行かなきゃいけないの。寄り道したら怒られちゃう」
「お婆さんの家ってどこにあるの?」
「となり村の小川のそばだよ。レンガのお家」
「それなら大丈夫だよ。こっちから行くと近道だから。お花を摘んで行ってあげたら、お婆さんきっと喜ぶと思うよ」
「ほんと?ありがとう!オオカミさんってとっても親切なのね」
名前はきらきらと瞳を輝かせてオオカミを見上げた。彼はすっと目を逸らし、頭に手をやって艶やかな黒髪を梳いた。
「いや……このくらい、何ともないよ」
「わたし、お花を摘んでから行くことにする。近道なら早く着いちゃうかもしれないし、このお花すごく可愛いもの」
「それじゃあ、先に行っててよ。俺もすぐ行くから」
「本当にありがとう!オオカミのイルミさん」