この蒼い空の下で 弐

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起きないと分かっていても足音を忍ばせそっと中へと入る。夜這いみたいだなと、埒もないことを思った自分に口許だけで微かに笑う。そんな余裕があるのも小十郎のおかげだろう。

精神を落ち着かせる薬と眠りを誘う薬とを混ぜた香を焚かせたこともあり、美夜の眠りは深いようで身動ぎ一つする様子は無い。それでも眠りを邪魔しないよう気を付けながら傍らに座る。寝顔すらも見飽きそうにねぇななどと思いながら触れた頬は夕刻に一度離れた時よりも僅かに熱くなっていた。暴れたのが原因だろう。額にも触れてみれば軟膏を塗ったのだろう感触があった。


「ったく、額を打ち付けるなんてどんな照れ方だよ」


光景が簡単に浮かんだこともあり、呆れた笑みを浮かべると起こさない程度にふにっと頬を摘まんだ。それでも内心ではそんな美夜も可愛いと思っているのだから俺も相当だ。


「政宗様」

「入れ」


声量を抑えた呼び掛けに意識を切り換え頬から手を離す。いくら小十郎相手でも眠る女の頬で遊ぶ姿は見せられない。頬に触れられない変わりのに指先だけを絡めるように美夜の手に触れつつ振り向けば、静かに中へと入って来た小十郎が腰を下ろし頭を下げた。上げた顔が心なしか緊張を帯びて見えるのは、俺自身も緊張してきているせいか。これから行うことを考えればそれも仕方の無いことだろう。

視線だけで意思を交わし頷き合うと美夜へと視線を戻す。背後で小十郎が座り直すのを気配と微かな衣擦れで知る。指先を絡めていた手を一旦離し、美夜の襟の合わせに差し入れた指に紐を引っ掻け引き出した小袋から守り石を取り出した。

夜目では判然としないが昼間見た時には亀裂が大きくなっている様子は無かった。時間も力もまだ余裕があるのだろう。だからと言って期限ギリギリまで待つという選択肢を選ぶ気は無い。彼女もそれを望まないはずだ。

共に切望するのは一刻でも早く美夜に新たな生を。ただそれだけ。たとえそれが何を意味するのだとしても。


「会ってくる。後は頼んだ」

「はっ」


振り返ることなく小十郎に声を掛け、守り石に向かって心の中で声を掛けた。直ぐ様目眩と見えない何かを強制的に体から引っ張り出される感覚とが襲う中、もうすぐだと、伝えられない変わりに美夜の手を握った。

三度目でも慣れることの無い不快な感覚は直ぐ様消え、同時に握った美夜の手の温もりも消えてしまう。そのことを内心で物足りなく思いながらもそれを顔に出すことなく閉じていた眼を開ければ上下左右、どこを見ても乳白色の空間が広がる守り石の中に居た。

以前訪れた時と何ら変わらないその光景に、外の様子を見聞き出来るのだとしても娘への想いだけでこんな場所に何年も居た彼女の強さには何者も敵わないだろうと思う。


「こんばんは。手は大丈夫?」


申し訳なさそうな彼女の問い掛けに、噛まれた手を持ち上げ見るもここでの俺は精神が形を取っているだけの姿。当然噛まれた跡は見当たらない。生身の体であってもとうに消えているが。


「平気だ」


明日辺り痣になるかもしれねぇがと心の中だけで付け足し、彼女の正面に腰を下ろした。母の膝を枕に眠る美夜を見てから向けた視線の先で、彼女は寂しげな、けれど覚悟を秘めた静謐な微笑を浮かべていた。それだけで悟るには十分だった。


「もう、知ってるんだな」


断定の口調で問えば彼女は「ええ」と頷き、膝に乗せた美夜へと視線を向けた。


「佐助くんとの会話を聞いていたから。でもこれって盗み聞きよね。今更だけど」


ふふ、と小さく笑ったそれが、彼女の強がりなのかそれとも自然体からのものなのか。何となくだが、どちらでもあるような気がした。


「長かったようにも、あっという間だったようにも感じるわ」


ふっと笑いを収めた彼女は、これまでを思い出しているのか、どこか遠くを見るように眼を細め、ゆっくりとした仕草で美夜の頬に触れた。


「ここから見ていたこの子は以前と変わらず明るくて、元気で、あんな酷いことは夢だと思いたくなるほど変わらなくて……。娘を救ってくれる人が現れなかったら、再びうしなうことになってしまったらって、考えるだけで恐怖と絶望に押し潰されそうだった。神から力を借り受けたことも、最悪の結末が先伸ばしになっただけなんじゃないかって思うこともあった。いつだって不安で、怖くて……、狂いそうなほどだった」


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