この蒼い空の下で 弐

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「当たり前だよね」


鍵の開いた箱を開ければ中にはサンダルや洋服、買ったものが入っているお店の紙バックに財布や手帳の入ったバックが入っていて、それらは記憶している物と何も変わらない。部屋には私しか居ないのに、開ける時に変にドキドキしたのがなんだか気恥ずかしい。


「あ、携帯」


箱の隅に転がっていた携帯を手に取った。あって当たり前のものだったのに、今では触ることはおろか見ることだけでも懐かしい。そんなことを思いながら携帯を開いたら約半年もの間一度も充電していないのに携帯はまだ電源が入ったままだった。電源を切ることすら忘れていたのに。そして時計も止まったまま。しばらく見ていても数字に変化は無い。止まった時計、切れることも減ることも無いバッテリー。不可思議な携帯。

元の世界の時が止まっているからだろうかと考えたこともあったけど、もしそうなら携帯だけでなく、携帯と同じ世界に属する私の時も止まっていなければおかしい気がする。例えばお腹が空かないとか眠くならないとか。だけど私はお腹も空けば眠くもなるし生理現象だってある。――傷は一晩で治ってしまうけど。

携帯のおかしさと私の体のおかしさは別の理由かもしれない。その理由がなんなのかは分からないけれど。


「元の世界に帰れば、全部元通りに戻るのかな」


ぽつりと呟き、じっと携帯を見つめた後ぽちぽちとボタンを操作した。久しぶりだから最初は少し戸惑いながらも何気なく開いたのはアドレス帳だった。バイト先の電話番号や友達の番号とメールアドレス、家の電話番号などが登録してある。何気なく一つの電話番号を選んで通話ボタンを押してみたけど当然繋がらない。案内音声すら無い。ツー……、と通話が切れたような音がいつまでも続くだけ。

その音は、まるで……。


「もしかしてそれが美夜ちゃんの居た世界の物?」

「っ!」


突然肩の辺りから聞こえた佐助の声に驚いて体が跳ね、瞬きをしたその拍子にぽろりと涙が一滴頬を零れ落ちた。


「――恋しい?」


慌てて目許を擦る私にそっとされた問い掛けに主語は無かったけれど、何に対してなのかは分かった。通話ボタンを押したままのしばらく携帯を見つめ、分からないと答えた。


「家族や友達のこと、忘れたわけじゃないの。会えるなら会いたいって思う。でも、今、分かったの。私、二度と元の世界には帰れないかもしれないこと、受け入れてた」


ぎゅっと眼を閉じる。眼の奥が熱い。少し前までは帰りたい気持ちが弱くなっているだけだった。でも、今日、帰りたいのか諦めるのかと口にした時に、気持ちがまた変わっている気がした。

そしてついさっき、はっきりと分かった。帰りたいのか、諦めるのか。その段階はいつの間にか終わっていたことに。私の心はもう受け入れていた。元の世界には二度と帰れないだろうことを。

通話が切れたような音が、まるでもう元の世界へは帰れないのだと、産まれ育った場所との繋がりを断ち切る音のように聞こえた。間接的に現実を突き付けられたような気がした。それなのに、その現実に確かにショックを受けているのに泣きわめいたりと取り乱すことは無かった。悲しくて辛くて、だけど受け止めていた。現実を。

ゆっくりと眼を開けて、まだ通話を終えるボタンを押していない携帯の画面を見て眼を見開いた。表示されていた件名は、『自宅』の、二文字。何げなく選んだ番号のはず。でも、『自宅』という件名で登録しているからアドレス帳の一番目でも最後でも無ければさ行の一番上でも無い番号だ。そんな番号を、しかも自宅の番号を本当に『何げなく』選ぶものだろうか。


「…………」


一度通話を切り、再び電話をした。じいちゃんとばあちゃんが居るはずの、自宅に。

未練があったのか、それとも決別しようと思ったのか。なぜそうしたのかは後になって考えてみても分からなかった。


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