この蒼い空の下で 弐

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「俺も、あんたに伝えておきたいことがある」


涙を拭う素振りを見せた後、微かに首を傾げながら顔を上げた彼女の眼を真っ直ぐに見詰めた。


「俺は、伊達政宗という一人の男である前に、奥州を束ね、率いていく立場の人間だ。時代も平和とは程遠い。天下を目指す気持ちを変える気も無い。そんな俺の隣に居れば、この先何度でも美夜を不安にさせることなる。泣かせちまうこともきっとある。美夜がいつでも笑顔でいられるようにするとは約束出来ない」


詰られるかもしれないと、多少は覚悟をしていた。だが、どこか微かに笑んでいるように見えるほど穏やかな表情(かお)で聞いていてくれる彼女に続きを伝える勇気を得る。


「俺は美夜を愛してる。この先もずっと、俺が愛するのは美夜だけだ。他の女を隣に立たせる気は無い。美夜を手離す気もない。だからこそ、何があろうと全身全霊、俺の全てを持って美夜を守る。俺が美夜に支えられたように、俺も美夜を支える。あいつが、笑顔を忘れることが無いように」

「笑顔、を……」

「ああ。俺は美夜を泣かせないとは約束出来ない。その代わり、美夜が笑顔を忘れることがないようにすると、約束する」

「っ……」


伝え終わると同時に彼女は堪えきれないとばかりに口許を手で覆った。嗚咽の合間に聞こえるのは幾度となく伝えられるありがとうという言葉。

伝えられた。伝わった。その事に安堵し、同時に様々な感情が込み上げる。瞼をきつく閉じることでそれを堪え、ただ静かに、彼女が落ち着くのを待った。

それからどれくらい経ったのか、まだ涙は完全には止まっていない様子ながらも彼女は美夜の頬に手を当て、見詰め、そして最後の別れを告げるようにその身を強く抱き締めた。しばらくして顔を上げた時にはもう彼女の頬に伝うものは無く、悲壮なまでに静かで穏やかな笑みを浮かべていた。


「手を、貸して」


促されるままに出された彼女の手に、手のひらを合わせるようにして右手を重ねた。それを待って眼を閉じた彼女に、何が始まるのかと思ったその直後、突然脳裏に知識が流れ込んできた。それが美夜を救うための具体的な方法だと気付くと漏らさず記憶することに意識の全てを注いだ。


「これで、全てよ」


その言葉に無意識のうちに閉じていた瞼を開いた。具体的な方法を知ったことで待ち望んだ瞬間が近付いている事をより強く感じ、緊張と興奮とに体が熱を帯びる。視線を合わせながら後は任せてくれと力強く頷いて見せた。それに安堵の笑みを浮かべた彼女は、寂しげな、それでいて愛情に溢れた視線を美夜へと向けた。


「美夜、恥ずかしがるのも良いけれど、あまり政宗くんを困らせてはダメよ」


優しく諭す母の顔でそう囁いた彼女は、想いを断ち切るように一度眼を閉じると美夜の体を抱き上げた。


「美夜を、お願いね」

「ああ」


想いごと、渡された美夜の体を受け取った。魂が形作った姿だからかその体は羽のように軽い。だが、立っていたならしっかりと支えなければふらついてしまいそうな程に重いとも感じる。命の重さ、だろうか。


「忘れないで。政宗くんが美夜を想うように、美夜も政宗くんを想ってる。独り善がりの気持ちは相手を不安にも傷付けもする。言葉を尽くしなさい。触れ合いなさい。二人で共に、たくさんのものを重ね、築いていきなさい」


俺の手と美夜の手を握りながら伝えられたそれは、きっと俺だけでなく美夜にも向けられた言葉。彼女の想いはたとえ眠っていても美夜にも伝わっている。

そうだろ、美夜?


顔を見ながら心の中で問い掛ける。頷いたように見えたのは、きっと気のせいでは無い。

不意に、腕に抱いた美夜ごと強く抱き締められた。


「美夜、政宗くん。元気でね。幸せにね」


声を震わせながらも悲しいものにならないように努めて出しているのだろう明るい声音に熱いものが込み上げ美夜を抱く手に力が篭る。


「さようなら。ありがとう。愛しているわ。あなた達を。遠く離れても、ずっと、ずっと」


束の間強さを増した腕が緩むのと同時に念じていないのに体に戻る時の感覚に襲われ、咄嗟に伸ばした手から、守り石が落ちた。


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