凸の悩み凹の憂欝

□君の棲む箱
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夕暮れから日没までの間、空が薄紫色に染められる。この少しの間を、俺は数学準備室で過ごすことが多かった。
薄闇の中で、木の梢や枝々がシルエットになり生徒達が校門へ歩いていく。喋ったり戯れ合ったり、そんな風景を窓から眺めるのが好きだった。

きっかけは進路指導。担任教師を待つ間、座っているのも退屈だから椅子から立って外を眺めた。
夏が終わり、空気も違ったものに変わりつつある。
季節と季節の狭間の、もの悲しい風景が体の中に染み入るようで、その日以来、気が向くと準備室へ足を運んだ。

校内では大半の時間を拘束されている。だから放課後に1人で過ごす時間は好きだった。
何も考えず、解放されたような気分になれるからだ。


「おい、さっさとどけよ。んのチビが、邪魔なんだよ」

昼食中、声に顔を上げると久角敦也(ひさかどあつや)が俺を見下ろしていた。
肩まで伸びる柔らかそうな茶髪に乱したカッターシャツ。手首にはブランドのリストバンドを嵌めている。
切れ長の目に形の良い鼻と唇、モテる要素が詰め込まれた、色鮮やかで雑誌から飛び出したような風貌だ。

「椅子が邪魔だって言ってんだよ。もっと引け、足が長いわけでも無いだろ」

唇の端を持ち上げ鼻で笑う。誰に対しても嘲るような顔をする久角敦也を、目を細めて見る生徒は多い。
高慢で高飛車。それでも女子達はこぞって頬を染める。容姿が良ければ当然だろう。加えて外人並の身長だ。
時々、彼から見える世界はどんなだろうと想像する事もある。周囲の人間を小馬鹿にするくらいなのだから、さぞかし良い景色なのだろう。

「なんだよあれ、ムカつく奴だよな。なあ住臣(すおみ)、170以上あるお前がチビなら俺はどうなるんだよ!」

「放っておけよ。あいつから見れば、クラスの全員が小人なんだろ」

「小島は160センチだから仕方ないけどな。それにしても、いちいち突っかかるってのは桂吾に恨みでもあんのかねえ」

言われた俺よりも腹を立てるこの友人達は小島と細木といい、1年生の時から同じクラスだ。
一見、中学生のような小島は背が低いことを気にし過ぎる余り、長身の生徒を斜目に見るふしがある。
細面な細木は几帳面だが、楽しければ何でも良いという、精神的には楽観的で大雑把な男だった。

「神様って不公平だよ。久角には顔も身長も与えてさ。俺なんかこんなだぜ」

「性格は与えなかったけどな。あの最悪な性格でモテるんだぜ、女子って馬鹿なのか」

類は友を呼ぶというけれど、久角敦也の周りには似たようなタイプの人間が集まっていた。

自分達が数段上に居ると勘違いしている集団。見栄えがするから、もちろん女子も集まってくる。
今のように昼休みともなれば、まるでたくさんの蜂に群がられた花のような賑やかさだ。

「おい住臣、黙ってないで何とか言えよ。お前だってモテるだろ。原とも仲が良いし、ミヤちゃんが言ってたぜ。住臣さんは美人で色っぽいって」

「ミヤって、誰だよそれ」

「ミヤちゃんは美術部の後輩。いつも寡黙で雰囲気があるってよ。俺にはよく分からねえけど」

「ああ、そういや俺も後輩に聞いたよ。なんでも、桂吾は1年生女子からクール王子って呼ばれてんだってよ」

「あいつらのキングが久角なら、俺等のキングは住臣だな。なあ住臣、ぜってえ負けんなよ」

「なに馬鹿なこと言ってるんだよ。恥ずかしい」


女子に囲まれるということは、久角敦也にも魅力がある筈で、害が無いなら問題ない。
しかし、久角は俺を標的にする。それは苛めなどの類いではないけれど、今のように事あるごとに突っ掛かるのだ。
恨みを買った憶えは無いが、自覚が無いだけで、彼の気に障るような何かをしたのだろうか。
それならそれで面と向かってハッキリ言えば良い。理由も言わず、執拗に絡んでくる久角を俺も好きにはなれない。

「住臣くん」

金曜日の昼休み。この時間になると、必ず声を掛けてくるのは原みなみだ。
アーモンド型の目に薄い唇。さっぱりとした性格によく似合うショートカットヘアは入学当時から変わらない。彼女も小島や細木と同じで、ずっと同じクラスだった。

「ごめん、また借りても良いかな」

「ああ、良いよ」

2冊ある英和辞書のうち、1冊は原が使っている。
なぜ2冊も持っているかというと、今年卒業した上級生から、持ち帰るのが面倒臭いという理由で、教材を丸ごと押し付けられたのだ。

だから1冊を原へ渡しても良いのだが、この決まりごとのようなやり取りも気に入っている。
小島や細木からは肘を突かれ、付き合ってしまえなどと冷やかされるが、俺にはピンと来なかった。

付き合ったところで何があるのだろう。
ただ、特に好きな女子もいない中で、原とならそうなっても良いと思えた。


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