凸の悩み凹の憂欝

□鴟尾の魚
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空が、こんなに広いものだと感じたのも久しい。
小学生の時、父と海へ行った時以来だ。


「父さんはこの町で育ったの」

「ああ。大学に入学すると同時に上京してな。母さんとの結婚を反対されてからは一度も帰らなかった」

2両編成の電車から降り、駅員が数人しかいない小さな駅舎を出ると、そこは坂や階段ばかりが目立つ町だった。

もちろん、広いロータリーも無ければスーパーマーケットもコンビニもない。あるのは、よろず商いの個人商店と豆腐屋。
住居と店舗が一緒になったその豆腐屋の横から、階段が下へ下へと伸びている。その斜面と下には高さのない建物ばかりが並び、高台から見下ろしていることもあり、空が広く感じられたのだ。

そもそも、僕と父がなぜこんな辺鄙な駅の前に立っているか。
簡単に言えば、かつての恩師から、母校で教職につかないかと誘われ、父親はそれを受け入れた。

母が亡くなって5年が経つ。
故郷が寂しくなったのか、又は、度々持ち込まれる縁談話に辟易したからか。
決意の理由は分からないけれど、中学2年生の僕と二人、新興都市でもあった町からこの小さな田舎町へ引っ越した。


「こういう雰囲気は好きだよ」

「そうか。それなら良いが、俺達が住む家はあの辺りだ」

瓦屋根を葺く家が多く、珍しく背広を着た父親が、指を差した辺りには銭湯の煙突も見えた。

列車をいくつも乗り継ぎ、眠り込んでいたところを揺り起こされた。見れば緑ばかりが目立つ、町というよりは村と呼んだほうがしっくりくるほどの小さなところ。

慣れた学校や友人たちから離れることに対し、寂しさが無かったわけではない。
けれど、それを受け入れたのは、この古めかしい、タイムスリップを思わせる町に魅力を感じたから。そして、自分自身の気持ちから逃げたかったからだ。


「荷物は明日届くし掃除も済んでいる。夜は出来合いのものでいいだろう」

「じゃあ、そこで聞いてくるよ」

豆腐屋へ入り、作業をしていたおばさんに惣菜屋の場所を聞くと、ついでに厚揚げと絹ごし豆腐を買った。
小学生の頃は伯母が洗濯や食事の面倒をみてくれたが、今では困らないくらいの炊事はできる。

料理人とまではいかないけれど、簡単なものなら一通り作れるから、食費を入れた財布は僕へ預けられていた。


「その階段を下りて、10分くらい歩くと惣菜屋と酒屋があるって。
食材や必要な物はそこで買えばいいね。ビールも飲むでしょ」

「そうだな。お前がしっかりしてくれるから助かるよ」

手荷物は少ない。最低限の衣服と、タオルや石鹸などの洗面具だ。引っ越し業者がくるのは明日だけれど、そちらの荷物も大したことは無い。
古くなった家電や家具は、リサイクルショップへ引き取って貰ったし、男の二人暮しだからか物欲が無いからなのか、業者が驚くほど、こざっぱりした家財道具だった。

母と父は大学で知り合った。互いに惹かれ合い、愛し合い、学生の身でありながら、母は僕を身籠った。
その頃は、まだまだ体裁を気にする時代で、もちろん周囲からは猛反対を受けた。
それでも母との結婚を決めた父を、母の両親よりも父の両親が許さなかったのだ。


「明日は周りを散策してくると良い。お前の好きそうな店も多いぞ」

「そうするよ」

話し合おうにも両親は耳を貸さず、結局、父は反対を押し切り母と共に生きていく道を選んだ。
当然勘当を言い渡され、身を粉にして働きに働き、大学は自力で卒業し教職へ付いた。
その間、高校時代の恩師である杉岡先生が、何かと相談に乗り、支えてくれたらしい。

今も、父の実家である縄元(なわもと)の家とは断絶している。
娘ばかりで跡継ぎがいなかったから、母の両親は反対どころか父に感謝した。そのまま母の家へ婿入りし、津和吹(つわぶき)姓となったのだ。



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