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□しくしく
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骸は夢に苛まれていた。
夢など、自分の思うままだと思いながら生きてきた。現に思い通りにできてきたのでそれを疑うこともなかった。
だいいち、第三者にいじられるものではないのだ。例えば第三者が夢に出てきたとしたならそれは自分がその人を自分の舞台へと出演させてしまっただけなのだ。
あるときの夢はひたすらに絵を描いていた。特に描きたいわけでもなく、しかし手は止まらず、描きたくないわけでもなく、ひたすらと今はもう触れることのないクレヨンを握って白い紙へと絵を描いていた。気がつくと紙はなくなり床へと直接クレヨンを滑らせていた。
夢の内容はいつも異なる。自分が子供の姿をしていたときもある。そもそも自分の姿など意識しないときもある。肉体は重要ではないということか。そう、肉体など、骸にとっては重要ではない。
肉体があるときには走っていたり、誰かと話していたり、食べたり、探したり、空を飛んだり、忙しい、忙しい。
何度かは、なにもない夢をみた。真っ暗で、自分の体も見えず、あるのはただ暗い視界のみ。その時はそれだけだった。
寝る生き物なのだから眠くなったら寝るのだけれど、一生に見る夢の膨大な量といったら、すべて覚えていたらどこかで一本の話ができたりするのだろうか。ふとそう思ったきっかけは、最近の夢である。
最近の夢は似通っている。場所は違えども、似ているのだ。
誰かが泣いている。しくしく、しくしくと泣きつづけている。
その時も、クレヨンで絵を描いていたらどこからか泣き声が聞こえてきた。それまで色とりどりだったクレヨンが、一気に暗い色へと変わってしまった。まるで植物が枯れる様を倍速でみているかのような。
こうなると骸はつまらなくなってしまう。グレーの空、風景、なんて味気のない世界。つまらない世界。
骸は最初このイレギュラーな声の存在を探してやろうとしたけれど、どんなに探せど見つからない。夢の世界は自分の思いのままのはずなのに。
最近は、無視をするか夢から覚めてしまうことにしていた。精神を起こし、少しだけ現実の世界の様子を覗きに行くこともある。最近は面倒なので、精神世界の散歩へと出掛けてしまうことが多い。
そうこうしていたら、しくしくの正体など気にならなくなっていた。元々細かいことをいつまでも気にしているような性質でもないもので。どこからかしくしく、と聞こえたらああ、来たのか、と思う程度にすらなっていた。
しかしある時、しくしく、と聞こえたとき、骸は空に浮いた部屋の中でのんびりとくつろいでいたのだが、なんとなく外を見ようと立ち上がったとき、思わずぎくりと体を固まらせた。真っ青であった空がグレーの曇り空へと変わり、眼下へ広がっていた花畑は荒野へと変わった。
部屋の隅に、しくしくがいた。骸はしばらくそれとにらめっこしていたが(いや、きっと見ていたのは骸だけであろうが)、特に幽霊やお化けの類を怖がるタイプでもないのでずかずかそれの前へと足を進める。そうして口を開いた。
「君ですか、しくしくの正体は」
ーしくしく。
「君が来るといつも僕の夢は狂ってしまう。ほら、あんなに綺麗だった空も花畑も全部変わってしまった」
ーしくしく。
「迷惑なんです。やめてもらえませんか」
ーしくしく。
しくしくの正体は、掴めなかった。掴もうとするとすり抜けた。人の形をしているけれど、顔が見えない。格好も髪型も分からない。ぼんやりとした姿のそれは、しかし確かに泣いていた。
夢から追い出そうとして、風を起こして吹き飛ばしても、気がつくと部屋の反対側の隅にいたりする。しくしく、と泣いている。
骸は初めて薄気味悪い、と感じた。今まで以上に無視をすることに決めた。
ある時、骸が草原に立つ大きな樹の下で昼寝をしていると、樹の反対側から、しくしく、と聞こえ始めた。来たのか、そう思って無視を決め込んだが、何か様子が違うことに気付く。
風景が変わらないのだ。
はっと骸が体を起こし樹の反対側を覗くと、体は黒いぼんやりとしたままだが、恐らく目と思われる場所から大粒の涙を零していた。膝を抱えて座っているように見える。
骸はしばらくそれを見ていたが、あまりにもとめどなく流れるそれをやや不憫に感じ、涙を手で拭う。視界にはぼやけた黒い塊しか映らないが、そこには体があった。涙は生暖かい。
「ねえ、なんで君は泣いているんです」
ーしくしく。
「そんなに泣いて疲れませんか」
ーしくしく。
「大体、何故僕の夢で泣くんです。自分の夢で泣けばいいものを」
ぴたり。
しくしくの泣き声が止まった。おや、と思った骸はそのまま様子を見守る。すると、それはざあっと風が吹いた途端に溶けるように消えてしまった。
その時はそのまま現れることはなかった。
しかしその後もしくしくは幾度も骸の夢へ現れた。骸が話しかけてもただ泣くばかりで意思の疎通というものははかれたことはなかったように感じる。
ただ、ある時からしくしくの周りに変化が訪れた。しくしくが現れる度に枯れていた植物や色味のなくなった風景は、逆により鮮やかに、種類を増し、生き生きと生い茂るようになった。
今までただ静かだった空間に生き物が増えた。鳥が空を舞い、ウサギやリスが走り回った。骸が寛いでいる近くまで寄ってくるものまでいた。
しくしくは相変わらずいつの間にやら現れては膝を抱えていたが、しくしく、と悲しく泣いていることが減った。しくしくの周りに動物達が集まった。しくしくの頭や肩と思われる場所には鳥が、座っている周りには小動物が戯れたり、寛いだりしている。
骸は混乱した。ここは僕の夢なのに、何故僕が蚊帳の外になっているのだ!
しくしくの周りにいる動物達を蹴散らし、その前に仁王立ちする。
「ねえ君、何勝手に人の夢に私物を持ち込んでいるんです。ここは僕の夢ですよ。うるさくって敵いやしない。迷惑ですからやめてくれませんか」
骸が言うことが聞こえているのかいないのか、しくしくはじっとしている。骸が再び口を開こうとした時、足元でかさりと音がした。骸が見ると、足元で小さなウサギが骸を見上げている。
周りを見渡すと、草陰で様子を伺っている動物たち。
「何なんです…まったく、誰の夢なのか分かりませんね…」
骸が呟くと、しくしくの、口と思われるあたりから、息を吸うような音がした。声を出そうとするような。しかしその瞬間、しくしくは溶けるように消えてしまう。動物達は残されたまま。
唖然とする骸を尻目に、草陰から動物達が出てきて、しくしくがいたあたりや骸の足元、肩あたりを飛び回り走り回り、再びにぎやかな空間が戻ってくる。まったく危機感のない動物達だ…。
骸は溜息をついた。

それからも度々しくしくは現れる。どうやらしくしくは言葉を発しようとしているようだった。しかし、いつも息を吸った途端に消えてしまう。
何か言いたいことでもあるのだろうか。骸は思ったが、それを聞き出す前に消えてしまうのだからどうしようもない。
骸はしくしくを、自分の夢に迷い込んだ誰かの思念体のようなものだろうと思いはじめていた。消えてしまうのは目が覚めるから。生きているからであり、眠っている間に無意識下で存在する伝えたいことを誰かに伝えたくて、そんな時にたまたま骸に会ったのだろうと。しかし、そうまでして伝えたい事とは一体…。


面倒ですねえ、と骸は思う。膝の上にウサギが乗るのも頭に鳥がとまるのも、歩くたびにぞろぞろとハーメルンの笛吹きよろしく動物達が後をついて来るのにも慣れたが、どいつもこいつも房のところを啄もうとするのだけは勘弁してほしい。
骸はごろんと草原に寝転がる。我先にと周りに寝場所を確保し始める動物達をぼんやりと見やっていると、ふ、と自分に影がかかる。
上からしくしくが骸を覗き込んでいた。
骸は一瞬ぎょっとしたが、しくしくが危害を加えることはないであろうことは分かっていたので動くこともなく、ただしくしくを見る。
「…どうも、また来たんですか」
しくしくは動かない。周りの動物達が挨拶するようにしくしくへと擦り寄る。動物に好かれる性質のようだ。
「………、……」
すぅ、と息を吸う音はするが声は聞こえない。またいつものように消えてしまうのだろうか。それでも骸が聞いてやろうとすると、掠れた、小さな声が。
「……、…ぉ…て……」
その時ざあっと強い風が吹き、しくしくが消える。
声を聞いた瞬間、骸は言いようのない動悸を感じた。どくどくと流れるそれをなんとか押さえ込み、息をつく。不安を感じたのか小さなウサギが骸を覗き込み、その耳あたりに鼻先をぐいぐいと押し付けてきたた。
それを撫でてやり、体を起こす。
熱いような、冷たいような。ああ、この矛盾、いつかもどこかで。
動物達がわさわさとくっついてくる。高い体温で骸を落ち着かせようとしているのか、押し付けられる体に顔を埋めて目を閉じる。ああ、これは夢だから、自分で自分を落ち着かせようとしているのか。それすら判断が危うくなっている。
しくしくのせいで、分からないことだらけだ。

骸はしくしくを避けようとした。しかししくしくはいつも突然、しかも骸の近くに現れた。これではかくれんぼにもなりゃしない。
しかも最初は膝を抱えていたしくしく、次第に立つようになり、移動するようになった。動きはあまり早くはないが、骸が隠れようとしても一直線に骸のところへやってくる。相変わらず姿は黒いぼんやりしたものではあったが、なんだかその姿はより人に近付いているように感じた。
骸は寝るのをやめようと試みた。しかし骸はどんなに腐っても所詮人間であった。幻想散歩といえど起きているのに近いように疲れるのだ。
ぷつりと夢の世界へと落ち、そうして再びしくしくに会う。
その度に、しくしくは掠れた声で途切れ途切れの言葉を訴えるのだった。

ある時骸が泉のほとりに座っていると、いつの間にか隣にしくしくが座っていた。
骸は身構えたが、しくしくは特に何もしようとはしてこない。小さなウサギがしくしくに気づき駆け寄っていくとしくしくはそれをそっと撫でた。なんだかその動きはより人間らしくなっている気がする。
「…、…」
「あの、お願いだから、喋らないでください。君が喋ると僕は困る。頭が痛いんです。だからやめてください」
骸が訴えると、しくしくは息をするのをやめた。そうして、再びウサギを撫でる。
分かってくれたのだろうか。骸はふうと溜息をつき、立ち上がろうとする。その時、骸の手首をしくしくが掴んだ。
「…っ!!」
ぶわっと強い風が吹く。それでもしくしくは消えなかった。それどころか、逆に、風が吹くことにより黒くぼやけた輪郭が、はっきりと特定の人間の特徴を現す。
ツンツンとした髪型、やや小柄に見えなくもないが、昔に比べてかなりしっかりした体格。
ああそうか、君は。
「…むくろ」
しくしくが、いや彼が言った。骸は掴まれた手首からびりびりとしたものを感じる。それでも彼は離さず、ぐいと力強く骸を引き寄せた。その瞬間、骸の後ろから突風が吹き、骸と彼の体が宙へと浮く。
「おきてよ、むくろ」
小さなウサギが草原から、飛んでいく二人を見つめていた。




*****



重い瞼を押し上げる。ぼやけた白い天井。むせかえるような花の匂い。
定まってきた視点をずらすと、懐かしいような茶色い頭が目に入った。
「………」
手を動かそうとすると、しばらく動かしていなかったせいか僅かな痛みと共にぎしりと軋む。
手は、綱吉によって握られていた。当の綱吉は寝ているようだ。
指を動かすと、うん、と唸って彼が目を開ける。
「ん、やべ…寝てた」
「…おはようございます」
「うん…。て、え?」
ばっと綱吉が顔を上げる。その顔はとにかく酷いもので、泣いたのか腫れぼったい瞼に充血した目、その下にはうっすらと暗い影にも見える隈が。顔には血の気もなく、骸は思わず顔をしかめる。
「…なんて顔ですか、それは」
綱吉は目を見開き口をはくはくとさせ、握った手をぱっと離したと思ったらそのまま骸へと飛びついた。
「むくろ!!馬鹿、おまえ、ばか…!!!」
ぎゅうと抱きしめ、なら聞こえはいいが、実際はぎりぎりと締め上げられて骸は思わず呻きをあげる。
「おまえ、自分が怪我なんかするわけないって言ったじゃん…さっさと終わらせて帰りますとか言ってたのにさ、なんで意識不明の重体とか…!!この馬鹿!!!」
「う、ちょっと…苦しい」
ぱしぱしと肩を叩きなんとか綱吉を剥がそうとするが、その力は増し、骸が本気で意識を飛ばしかけた頃に綱吉は慌てて手を緩めた。
それでも抱く手は離さず、骸の肩へと顔を埋めて何やら骸に対する恨み言を連ねている。
「俺が、どんなに言ったって、お前聞かないじゃん…危ないからって言ってもさあ…。俺だって嘘つくことあるけど、そういう大事な時には嘘つかないだろ普通…骸の馬鹿…」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら出てくる言葉に骸はふむ、と記憶を手繰り寄せる。
確かに、骸は夢を見ている間に何度か目を覚まそうとしたが、体が目覚めることはなかった。だから幻想散歩をしてみたり、夢を満喫したりしていたのだ。不思議と、体を起こそうとは思わなかった。
自分がミスをしたかどうかははっきり言って記憶がない。ただ、今回の任務はなんだか、テンションが上がってしまった気はする。体がそれについていけなかったのかもしれない。
もう歳ですかね、とため息をつくと、綱吉が骸の手首を掴んだ。
「俺、絶対離さないし、逃がさないからな。俺の知らないとこになんて、行かせない。絶対」
若干据わっている目に少し恐怖しつつ、骸は掴まれた手首を見る。なんというか、既視感 。
「君、僕が眠っている間、ずっと泣いてたんですか」
「…そう、かもしれないけど」
「もしかして、しくしく、なんて、押し殺したりしました?」
「…え?いや、わかんない…けど、何度かリボーンにうるさいって怒られて静かにしたりは…したかも」
「…ずっと、手を握っていてくれたんですか?」
「ずっとって訳じゃないけど、それ以外は。…なに?」
困惑した風に綱吉は骸を見遣る。骸は両手で綱吉の頬を包む。涙のせいでかさついた肌を撫で、そうして目を細めて笑ってみせた。


「みつけましたよ、不法侵入者め」

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