Silent Sweetheart 【41〜**】

□Silent Sweetheart 【60】
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 後藤は、自らの不甲斐なさを
噛み締めていた。
 笠野に敵う、などとは全く考
えてもいないことだが、それに
しても、笠野には人を動かす力
というものがある。
 それは達海にも通じる見えざ
る力であり、後藤にはないもの
で、得ようとしても得られない
ものだ。
 それはよくわかっている。
 大江戸通運の副社長を目の前
にして実感した力の差は、後藤
を凹ませるには十分だった。

「……あれ、どうした、後藤?」

 試合に勝って、チームはいい
状態で、悪い要素などひとつも
ない。
 だから後藤は、帰りしなに会
った達海に微苦笑を浮かべて首
を振った。

「なんでもないよ」
「嘘つけ、なんでもないって顔
してねーよ」

 言えば、達海はあからさまに
唇を尖らせて後藤の表情のひと
つひとつを見逃さないように視
線を向けてきて、その目線の動
きは監督としてではなく、恋人
としてのそれだ。
 バスに乗り込む前の何気ない
やり取り。
 その瞬間に、監督ではなくな
った達海の、自分を想う気持ち
が有難い。
 そして後藤は、達海の気持ち
に応える為にもこんな情けない
姿を晒すわけにはいかないだろ
うと自分を叱咤した。
 それは後藤の男としての意地
のようなものでもあり、格好を
つけたいというだけの下らない
話でもある。
 きっと、もう少し気持ちの整
理がついて、こんなことを思っ
たのだと達海に打ち明けた時に
は、バッカじゃねーの? と言
われるに違いない。

「そうだな、なんでもなくない
けど、今はなんでもないって事
にさせておいてくれ、っていう
のはダメか?」
「……」

 苦笑しながら返すと、達海は
そんな後藤の顔をまじまじと見
つめてから、ふっと息を吐いた。

「いつでも鍵、開けとくから」

 達海はそれだけを言うと、ふ
いっと顔を背けてバスに乗り込
んでしまった。
 その言葉の意外さに、後藤の
方が言葉に詰まって返事をし損
ねてしまって、後藤は自分のセ
ダンの屋根に肘を預けながら赤
らむ顔を必死に隠した。

「……あいつ、俺を溺死させる
つもりだ」

 ひとりで呟く自分を気持ち悪
いと思っているのだが、達海へ
の愛情で溺れてしまいそうな程
に達海がかわいいのだから仕方
がない。
 後藤はたっぷり二分近くもそ
のままの姿勢でいて、スタジア
ムから出てくる関係者各位の不
審の目さえ気にならなかった。





 翌日、後藤は藤澤と対してい
た。
 インタビューを受けたのだが、
相手が普段から接している人間
ではないというところが、後藤
の気をわずかに緩めた。
 そして、笠野への心情や自分
の不甲斐なさを吐露してしまっ
た。
 そんなつもりはなかったのだ
が、やはり誰かに聞いてもらい
たいという気持ちはあったのか
もしれない。
 チーム関係者ではない、誰か
に。

「……後藤さんには後藤さんの
やり方があるのでは? なんて、
そんなありきたりな慰めを言う
つもりはありませんけど」




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