Short Story

□Thank you for my darling!
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 後藤はいつも忙しい。
 事務作業から外回りまでなん
でもやらねばならないのが弱小
クラブのGMで、いわば雑用係
と言ってもおかしくはない。
 だが、そんな忙しい中でも後
藤はいつも優しくて、そしてそ
れは分け隔てなく誰にでも同じ
ように優しいのだ。
 達海はそれがおもしろくはな
い。

「おーい、椿! 携帯忘れてる
ぞ!」
「え! あ、ホントだ! あり
がとうございます、後藤さん!」

 食堂から出てきた後藤が椿を
呼び止めて、ヘタレわんこな現
7番は尻尾をぱたぱたさせてい
る幻影が見えそうな勢いで後藤
に笑顔を向けている。

 ――後藤のバカ。

 誰にでもいい顔しやがって、
と思っている達海が食堂で味噌
汁をすすっていると、それに気
づいた後藤が断りもなく達海の
向いに腰を下ろした。

「……ふっ、」

 抱いた感情はなるべく表に出
さないようにしながら無言で食
事を続けていた達海の上に、後
藤の、思わずといったように吹
き出した音が降ってきた。

「なんだよ」
「うん? べんとうついてるか
ら」

 するり、と後藤の指先が頬を
撫でて、達海はビクリと体を震
わせる。
 達海の口許についていたらし
い米をパクンと食べる後藤の唇
に釘付けになった。

 ――キス、いつからしてない
んだっけ。

 イングランドから帰ってきて
からというもの、急速に距離の
縮まった後藤とは何度か肌を重
ねている。
 だが、後藤はいつも一晩に一
度きりで、しかもそういう雰囲
気になる回数も決して頻繁では
ない。
 対して達海はといえば、素直
になれず、後藤に好きだと打ち
明けられないまま迎えた後藤の
京都への移籍や達海自身のイン
グランド行きがあったため、諦
めていたが忘れられなかった十
年越しの恋が叶って、できるだ
け後藤と一緒にいたいと思って
いたし、正直、すごくしたいの
だ。
 けれど、キスもセックスもも
っとしたいのに、最近では後藤
にかわされている気さえして、
自分からは動けなくなってしま
った。
 達海から触れようとしても笑
いながら冗談にしてしまう後藤
は、本当は達海のことなど好き
ではないのかもしれない、とさ
え思う。

 ――ホント、誰にでも優しい
からな、こいつ。

 好きだと言ったのは達海で、
後藤はかなり驚いていたし、困
惑しているようだった。
 それでも達海の体を抱き締め
て応えようとしてくれた後藤だ
が、きっと実際のセックスで冷
めたのだろう。
 初めてした後、達海が幸福感
を覚えている傍らで、後藤はな
にか難しい顔をしていたのを思
い出す。

「……後藤、」
「ん、なんだ?」
「あー……いや、やっぱりなん
でもねーわ」
「なんだよ、変な奴だな」

 いつもと変わらず笑顔を向け
てくる後藤に、俺と寝たこと後
悔してる? などとは、聞ける
はずもない。
 聞けないことが情けなくて、
達海は食事を四分の一ほど残し
た状態で箸を置いた。

「あれ? どうした、もう食べ
ないのか?」
「ん。もういいや。飯前におや
つ食い過ぎたかも」
「おいおい、子どもかお前は!」

 失せた食欲をごまかすための
嘘に後藤が苦笑しながらつっこ
んで、達海は残りをトレイごと
後藤に押し付けた。
 文句を言いながらも全て胃袋
に納めた後藤は、やはり優しい。
 そしてそれが辛い。
 試合の対策を練るのに徹夜で
DVDを見ながら出前の炒飯な
どを食べているときはなんとも
ないのに、大好きな後藤の側で
食欲が失せるなどどうかしてい
る。

 ――後藤のバカ。

 何度か寝たからと言って後藤
が達海のものではないことくら
いわかっているし、後藤から好
きだと言われたことがないのも
気づいている。
 もしかすると、後藤は達海を
抱いたことを後悔して、このま
まずっと触れることなく、はぐ
らかした末に自然となかったこ
とにしようとしているのだろう
か?

「達海?」

 怖くて手を伸ばせない達海は、
きっとひどい表情をしているは
ずの顔を後藤から隠すために立
ち上がった。

「次の対戦相手の情報、入って
る?」
「え……あ、あぁ」
「んじゃ、後で誰かに持ってこ
させといて。俺、ちょっとコン
ビニ行ってくっからさ」

 ニヒ、といつもの笑みを作ろ
うとして、はたして上手くいっ
たろうか。
 後藤がなにか言うより早く、
達海は食堂を後にした。
 クラブハウスを出て無意味に
歩いて、気づくと近所の小学校、
体育の授業らしく、男女入り混
じって子どもたちがサッカーを
しているところに行き当たった。
 フットボールバカな達海はや
っと少しだけ和んだ気持ちでそ
の様子を眺めて、子どもたちの、
拙いが楽しそうな姿に笑みがこ
ぼれた。
 女子の中にも負けず嫌いで活
発な子がいて、一生懸命ボール
を追いかけているのが微笑まし
い。
 知らず肩の力が抜けて、達海
は後ろ頭を掻いた。
 拗ねても始まらないとわかっ
てはいるが、後藤のことだとど
うにも素直になれない。

「あれっ、なにしてるんです、
達海さん?」
「え、あれ、杉江……と、赤崎
じゃん。珍しいな」

 いつも一緒の黒田がいない。
 キョロ、と視線を動かすと、
杉江が苦笑しながら黒田ならい
ませんよ、と言った。

「そうなの?」
「そんな、ずっと一緒にはいま
せんよ」
「へぇ、意外だな。お前と黒田
ってほんとにどこ行くんでも一
緒なのかと思ってた」

 羨ましいよ、とは言えない。
 だが、いつもセットという点
以外でも彼等の絆というか理解
度は高くて、私生活でも微妙な
タイミングを常に取っている。
 達海にはそれが、本当に羨ま
しいのだ。
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