Short Story

□年上の覚悟
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 お前の『好き』を信じるほど、
俺は若くない――達海は初めに
そう言った。

 椿とキスをして、抱き締めら
れて、けれど肌には触れさせな
い。
 まだ二十歳そこそこのワカモ
ノ、十五も年上の達海から見れ
ばただの青二才。
 譫言か戯れ事か。
 好きです達海さん、と、選手
と監督の垣根を越えようとする
椿の背中には“7”の数字があ
って、達海は懐かしく清しい気
分でぼんやりとその幼さを残し
た顔を見つめていた。
 俺を好きになってくれません
か? という趣旨のことをども
りながら繰り返されて段々とお
かしな気分になり、わかったわ
かったなるから黙れ、と答えて
しまったのだ。
 以来、椿とのお付き合いの中
でデートらしきお出かけを数回、
四度目で初めてキスをして、六
度目で舌を絡めた。

「……まいったなぁ」

 達海はいま、七度目のお出か
けを終えて帰ってきたクラブハ
ウスで頬を赤くして頭を抱えて
いる。

「あいつ……キス、する度に上
手くなりやがって……こっちの
が我慢できなくなんじゃねぇか」

 危うく首に腕を回して自らね
だるところだった瞬間を思い出
し、達海は他人には決して見せ
ない困り顔を浮かべながら、ま
だ舌や唇に残る椿の感触を描い
て立てた膝に頭を埋めた。

 ――本気になるとか、ありえ
ないだろ。

 椿が飽きるまで付き合ってや
ろうと決心したのは二度目の散
歩で、どこに寄るでもなくただ
歩いているだけなのにやたらと
幸せそうな顔を見ていると、浮
かれてるな、と思わずにはいら
れなかった。

 ――うん、確かに浮かれてた。
でも、どっちが?

 自問するまでもなく、達海は
自分が椿と並んで歩くことに魅
力を感じていると気づいていた
し、実際にすごく楽しかった。
 たかだか三十分程度の、逢瀬
というには爽やかすぎる時間が
達海に降り積もっていることに、
当の椿は気づいていない。
 それでも、探りながらのキス
は徐々に濃厚さを増して、この
ままでは不用意に好きだなどと
口走りそうで嫌だ。
 言って戻れなくなるのは椿で
はなく自分だと、達海はよく知
っている。
 いざというときに椿を離して
やれなくなることだけは、どう
しても避けなければならなかっ
た。

「なんだよ、こんなの俺じゃな
いみてー……バカじゃん、ほん
と」

 苦しい。
 サッカーを、ボールを蹴って
いる間はこんなに苦しいことな
んてなかったのに。
 好きなものは好きで、好きじ
ゃないものは好きじゃない。
 そんな単純な割り振りだけで
は済まなくなった三五の達海が
抱いた、それは紛れも無く恋心
だった。
 好きなのに苦しい。
 苦しむとわかっているのに、
好きになるのを止められなかっ
た。

 ――早く飽きろよ、椿。

 こんな、十五も年上のおっさ
んに血迷う暇があるならサッカ
ーの上達を目指せ。可愛い女の
コと可愛い恋をしてこんな経験
は早く忘れてしまえ、と、何度
も胸の中で繰り返す。
 最終的にこの想いが叶わない
のは達海であって椿ではない。
 達海は一度だけ全身を縮こま
らせてから、全てを振り払うよ
うに次の対戦相手の資料を掴ん
だ。




「あれ、ひとりスか?」

 問う世良の顔には、歳よりも
背伸びをしようとしての顎髭が
生えていて、もし椿が髭とか生
やしたらさぞ笑えるだろう、な
どという妄想を繰り広げてみる。
 あの童顔に髭は似合わなさす
ぎる。
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