Silent Sweetheart 【01〜40】

□Silent Sweetheart 【09】
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 過去があるから、今がある。
 覆しようのないことだ。
 どんなに変えたくとも変えら
れない昨日。
 数日前、数年前。
 陽が落ちて暗いグラウンドの
真ん中で、達海はゴールを直視
していた。
 様々な思いが詰まったピッチ。
 ふわりと吹き抜ける風はこれ
からもっと暑くなるのを予感さ
せるような温さで、洗いざらし
の達海の髪を撫でていく。

 ――駆け出す。

 ボールを追いかけ、チームメ
イトがどこにいるのか把握する。
相手のマーク、ゾーン、チーム
メイトの動きの癖。
 全てを予測して走る。
 きっちりと揃えられた芝を踏
むスパイク、脚に伝わる確かな
感触。
 視界が開け、まるで鳥にでも
なったかのような――

「達海」
「……」

 声を掛けられて振り返ると、
そこにはスーツではなく私服の
後藤が笑んでいる。達海は、一
瞬なぜ後藤がユニフォームでは
ないのか理解できずにいたが、
自分が走っていたのはイメージ
上のピッチだったのを思い出し
て肩の力を抜いた。

「ごとう」
「ん? どうした、久しぶりだ
な、お前がグラウンドに立つの
は」
「……うん。久しぶり」
「……もっと、走りたかったな」

 さらさらと流れる髪を、後藤
の指先が梳く。

「うん」

 頷くと、後藤はそっとキスを
くれる。

「どっか呑みに行くか」
「後藤の、」
「ん?」
「後藤の部屋がいい」

 ぽつりと呟いた。

「……わかった。おいで」

 頷く達海の手を引いて、後藤
が歩き出す。
 その背中を、達海はぼんやり
と眺めていた。




「ビールでいいか?」
「あー、うん。サンキュ」

 達海がイメージ上の、いや、
過去と空想の狭間から戻ってき
たのは後藤の車が走り出してか
らで、意識がはっきるするにつ
れ子どもじみた話し方をしたこ
とが恥ずかしくなる。
 それにしても、この間からや
けに感傷的になってるなぁとバ
ツが悪くなって、結局後藤のマ
ンションにつくまでだんまりを
決め込んだ。
 なにしろ先ほどまで達海が描
いていたのは、実際には実現不
可能なチームだったのである。
 後藤も村越もいるETUなど、
これまで想像したこともなかっ
たのに。

 ――どうかしてるって、俺。

 そんな夢想を描く歳はとうに
過ぎた。

「ていうかさー、後藤、こんな
時間まで仕事してたわけ? 遠
征から帰ってきたばっかで?」
「そういうお前は、バスの中で
散々寝たから眠くないみたいな
顔してるな」
「よくわかるね、お前。ぐっす
り過ぎてこの時間なのにちっと
も眠くないんだよ」

 とはいえ、まだ十時を回った
ところだ。試合前なら深夜の二
時やら三時まで相手チームの録
画を見入っているわけだし、眠
ってしまうには少し早い時間帯
である。
 後藤もそれは知っているだろ
うに、小さく笑って達海の隣に
腰を下ろした。
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