Silent Sweetheart 【01〜40】

□Silent Sweetheart 【01】
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 練習が終わった後、夜中のク
ラブハウスには人気がない。
 みんな帰って、コーチ陣は今
頃、やれ酒が飲めると浮かれて
いるだろう。いや、それは松原
だけか。
 とにかく、達海はこの時間が
好きだった。
 昼間に感じる選手の呼吸や熱
気はもちろんだが、誰もいない
グラウンドは頭が冴える。煮詰
まったときには必ずひとりでグ
ラウンドに立つのが習慣で、今
まで見えなかったイメージが浮
かんできたりするから不思議だ。
 現役時代はともかく、監督と
して戻って来た今、その静寂を
打ち破る大半が男気はあるがど
こかしら鈍い男で、この日もそ
うなのだと思っていた。

「……あれ、なにしてんの、お
前」

 ところが、いつもとは足音が
違う気がして振り向くと、予想
外の人物がそこにいて、達海は
きょとんと目を見開いた。
 まるで少年のようなその顔に、
迫力なら間違いなくチームで一
番という男が渋い表情を浮かべ
て溜息をつく。

「あんたこそ何やってんだ。今
時間から散歩か。十一時だぞ」
「んー? まーね。夜のグラウ
ンドは頭冴えるんだぞ?」
「そうかよ」

 低く唸るように言って黙った
のはどういう意味だろう。
 だいたい、こちらの質問に答
えていない。
 達海は口を曲げながら肩を竦
めた。

「あのさー。そういうお前はな
にしてんのって聞いてんじゃん。
昼間結構ハードに動いてんだか
ら、早く帰って休めよ、村越」

 もう若手じゃないんだから、
体のケアは大事でしょ。そう言
って、バイバイの意味を込めて
手をひらひらさせてみると、過
激なサポーターたちから絶大な
人気を誇るミスターETUは仏
頂面のまま一歩も動かず、眼だ
けを鋭く光らせた。

「……あのなぁ。なんなの、お
前。なんか報告あるんなら聞く
から、早く言えよ〜」

 この男が自分を今だに快く思
っておらず、また認めてもいな
いのはわかっているが、これで
はまるで人相の悪い銅像を相手
にしているようだ。
 コミュニケーション不全かお
前は、などと思いながら村越に
背を向ける。そしてわざと大袈
裟に溜息をついて少し肩を落と
し気味に、背中もやや丸めた状
態になる達海のその首筋を、不
意に手を延ばした村越の太くて
骨張った指先が僅かに撫でた。

「……っ、」

 ぴくっと震えがくる。
 村越の指はすぐには離れず何
度も往復し、不意を突かれて驚
いた達海が拒み損ねているのを
いいことに、耳の後ろ辺りまで
ゆるゆると行き来して、達海の
肌が少しずつ赤く染まっていく
のを眺めているようだ。

「っ……おい、やめ……」

 達海がやっとで絞り出した拒
絶の声は村越の耳に届いていな
いようで、首筋を這う指は止ま
らない。
 ヤバイ、と思った。
 目の前がチカチカする。
 膝が抜ける、と思った瞬間、
散々うなじをねぶっていた指が
蕩けて消えてしまったかのよう
に離れた。
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