Fantasy

□紅黒ニ秘スル【拾】
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 暑いのは苦手だ。
 でもそもそもの家業が氷屋で
あるので、暑い方が儲かる。
 自分の代になってからは密氷
の量り売りを始め、溶け具合か
ら長時間は売り歩けないが、昼
過ぎの一服をする頃を見計らっ
ての商売は予想以上に儲かった。
 果汁や蜜を煮溶かした汁を特
殊な室で冷やして凍らせた蜜氷
は、寒天が混ざっているので溶
けてしまっても形を失わない。
概ね四角い形をしていることが
多いが、窪田は丸くする。
 こだわりというほどでもない
が、丸い方が作っていて面白か
った。
 花街にはよく行く。
 この日も東都楼で大量に売れ
た。
 芸妓を労って買う店が多いの
だが、東都楼の店主は得に気前
がいい。
 東都楼と云って思い浮かべる
のは、幼い頃に見た、紅に黒い
蝶柄の着物を着た芸妓だ。
 美しくよい匂いがして、流れ
るような足運びに目を奪われた。
 その記憶は未だ鮮明だ。

「おーい、窪田ぉ! 密氷まだ
残っとるかぁ?」
「……あ……えーと、たぶん、
はい」
「そぉか! せやったら、ちょ
ぉ寄れや」

 二刻ほど歩き回って帰ってき
た窪田はもうすぐ己の店という
ところで、ダルファーという異
人の貿易商が抱える寮の二階か
ら片山が声を掛けてきた。
 西の方の出身で、自国に戻る
こともあるダルファーに不満も
云わず、よく働く男だ。
 窪田はとたとたと寮の入口に
寄り、残り少なくなった蜜氷を
自前の小鉢に移しておく。
 やや待った。
 だが、待つのは嫌いではない。
 もともとのんびりとした気性
なのは自分でも知っている。
 しかし、いつもせっかちな片
山が人を待たせるというのも解
せない……と思っていると。

「待たせたなぁ、窪田ー」
「……わっ、」

 片山が唐突に抱き着いてきて、
驚いた。
 窪田的にはとても驚いていた
のだが、片山からは反応が薄い
と叱られる。
 それはいつものことで、片山
は窪田の額を小突くものの、本
気ではないのだ。

「あ……これ……」
「ん? お、なんや、こんなに
もろても、払われへんで?」

 小鉢に盛った蜜氷を差し出す
と、いかにも商売人らしい返答
がきて、窪田は緩く首を振る。

「お金は、別に……はい」
「くれるんか? せやかて売り
物やろ、これ?」

 片山は、自分の休暇に窪田が
寮の前を通ると、必ず蜜氷を買
ってくれる。
 夏の風物詩として繁盛はする
ものの、本来は氷自体が高価な
こともあり、奉公人ではせいぜ
い三つ買うのが限界なのだ。そ
れも、毎日は買えない。
 他にも何人かいる蜜氷屋も、
回るのは大店が並ぶ界隈や官吏
屋敷周辺が多く、その日暮らし
の長屋住まいであれば年に一度
の夏祭りで口にするくらいだ。

「溶けかけは……もう、売れな
いから」

 形がよくなければ売り物では
ないと、蜜氷作りを習ったとき
に教わった。
 故に色とりどりの氷を冷やし
ている、寝板氷が溶けだしてし
まえばその日の商売は終わりで
ある。
 鮮魚や精肉の鮮度を保つ為の
氷を夜中から明け方に売り切り、
昼は蜜氷を売って、夕方頃には
料亭などから注文がある分だけ
売りにいく。
 窪田が抱える室は小さいため、
大きな室を持つところに比べれ
ば稼ぎは少ないが、窪田ひとり
が食べていく分には問題のない
金額が手に入った。
 早くに病で親を亡くしたが、
堅実な商売で借金など作らなか
った父親のおかげで、苦界に売
られることもなく暮らしてこれ
た。

「みんなで……食べて、くださ
い……」
「そぉか? せやったら、遠慮
のぉもろとくわ」

 小鉢を受け取った片山の笑み
に体の中がざわつく。
 けれど、このざわめきがなん
なのかはよく理解できなかった。




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