Fantasy

□紅黒ニ秘スル【七】
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「おっ、お帰り。どうだった、
藤澤ちゃん」
「山井さん……どうもこうもあ
りませんよ。本当に大丈夫なん
ですか、たかだか楽器屋の跡取
り程度にあんな情報与えて」

 あーまー大丈夫なんじゃない?
と答えた山井は、まだ若い藤澤
を、内心で「青いな」と笑った。
 間諜を主とする部署にいる山
井は、達海が遊郭に売られる前
から達海を知っていて、かつ達
海の客のひとりだった。
 正確には達海の母と面識があ
ったのだが、初めて達海を買っ
てからというもの、あの美しさ
に魅せられ、何度も抱かせて欲
しいと乞うた経験がある。
 頑として首を縦には振らず、
馴れない手つきで山井を刺激し
ていた頃の達海の、まだ潔癖な
顔。
 着物を脱ぐことも嫌がってい
た達海が次第に遊郭を居場所と
して肌に触れさせるようになっ
ても、決して山井を受け入れは
しなかった。
 幼なじみふたりに操を立てて
いるのだと気づいたときの衝撃
は決して小さくはなく、嫉妬で
眠れぬ夜を幾日か過ごしたもの
だ。
 それでも店に通っては達海を
汚していたあの頃の己を、いま
となってはやはり「青いな」と
思う。

「そういちいちカリカリしてた
ら、せっかくの美人が台なしだ
よ、藤澤ちゃん」

 からかうように云ってやると、
藤澤の視線はいっそう鋭くなっ
た。
 藤澤は男に対する要求が高い
女だ。己ひとりで生計を立て、
かつその額が高い……つまりは
腕のいい間諜であるから、なお
さらなのだろう。
 己以上の男でなければ当たり
をキツくしてしまうのは仕方な
いのかもしれない。なにしろ藤
澤の先代である彼女の実父は、
達海に入れ上げたあげくに身を
滅ぼした。
 山井同様、仕事で達海を探っ
ていたのに本気になり、無理矢
理犯そうとして杉江の先代に痛
めつけられたのだ。その話は瞬
く間に彼の勤め先に広がり、つ
いには閑職へと追いやられた。
 それで済めばまだマシだった
かもしれないが、彼はその後、
姿を消した達海を追って出奔、
野盗に襲われて命を落としてい
る。
 多感な年頃にそんな父親を目
の当たりにしていれば、藤澤が
男を軽視するのも無理のない話
だ。

「あの王子様は使えるよ? 慇
懃無礼で適当に見えるが、相当
なキレ者だ。杉江との繋がりも
あれば警武官にも懇意にしてい
る高官がいる。おまけに、一介
の商人にしちゃあ情報の選別が
きちんとできてるしな」
「だからって……山井さんも、
達海のところに通ってたんです
よね」

 事実を認めたくない藤澤の苦
し紛れの厭味には、無精髭が生
えた顎を扱きながら笑って答え
る。

「仕事だよ。まぁ、例に漏れず
俺もうっかり本気になったクチ
だけどな……達海は、ありゃあ、
魔物だ。人を誘惑しといて応え
ない。だいたい、藤澤ちゃんだ
って見とれてたじゃない、この
間」

 指摘すると、藤澤の細い面が
朱に染まり、次いで金属音がし
そうな勢いで睨んで来る。
 達海が外仕事の折り、男と睦
みそうな時を見計らって藤澤を
出した。
 それまで、達海に激しく憎悪
を抱きながらも仕事だからとこ
の件に関わっていた藤澤が意欲
的になったのは、その頃からだ。
 達海の美しさは男だけでなく、
女も魅せる。
 まことに厄介で面倒な男だ。




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