番外編
□悩ます影
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暦(こよみ)のうえでは秋といえど、残暑残る葉月の頃。雅尚は正体不明の視線に悩まされていた。
「本当になんですか、何ですかこれ!!」
バッサーと机の上にある紙束を宙に舞い上げる雅尚を、彼の主である尚秋が諫める。
「お前がなんだ、鬱陶しい!」
暑さのため彼も苛ついているのか、グシャグシャに丸めた料紙を雅尚に投げつけた。それは見事額に命中し、雅尚は苦悶の声を上げる。
「〜〜ッ……アンタも何すんだっ!!」
額を擦りながらクワッと牙を剥く雅尚に尚秋はフンッと鼻で笑うと馬鹿にしたように言う。
「正体不明なものにばかり縁のある哀れな従者を祓ってやろうと思ってな」
「そんな気があるなら陰陽寮から陰陽師を連れてきて下さいよ!」
「奴らも忙しい」
「なら神祇官でも良いですから!」
「その両方に知り合いはいない」
「じゃあ言うな!!」
怒号を発する雅尚にまたしてもうるさい、と料紙を投げつけた尚秋は溜息を吐いた。
「全く……どうしてお前は面倒事にばかり巻き込まれるんだ」
やれやれと首を横に振る主人に雅尚は……
「アンタが主な原因だ!!」
そう叫ばずにはいられなかった。
月影といい、矩鷹といい、明仁が言い出した事にしろ尚秋が仕事を回すのだから、いらぬ縁が出来てしまうのは致し方ないこと。
ゆえにこの視線も当初は尚秋達が関わっていると思っていたのだが、どうやら違うらしい。
毎日感じる妙な視線……。
内裏に着くと同時に身体中に纏わりついてくる。
あまりの気持ち悪さに我慢出来なくなった雅尚が主人(あるじ)二人に相談すれば、月影の仕業かもしれないと言われた。
それで少しの間参内は控えていたのだが、屋敷や此処に来るまでの道のりでは何も感じないので月影ではないという結論に至り、再び参内する事にしたのだ。
そのあとも思い当たる人物にそれとなく尚秋が探りを入れてくれたのだが、一向に見つからない。
益々気味が悪くなった雅尚はついに神経の糸が切れたらしい。此処が内裏だという事も忘れて机の下に潜ってしまった。
「……お前は子供か」
尚秋の呆れた声音を聞いて、雅尚は器用に顔だけ出して叫ぶ。
「子供でもなんでも良いから、この視線をどうにかして下さい!!」
瞳に涙を溜めて懇願してくる雅尚に呆れたように溜息を吐き、尚秋は視線を反らした。
「俺は忙しいから行くぞ」
そのまま去っていく背に向かって雅尚は大声で怒鳴りつける。
「薄情者ー!!」
これを影から見つめる者が一人、不気味に吊り上がった口端に舌なめずりする仕草はまるで獲物を狙った蛇のようだ。
その手には料紙が握られていて、そこに筆で何かを書いていく。
「可愛いな……。やはり尚秋殿といる時が一番いい!」
興奮したように呟くと料紙を懐に隠し、筆は手に持ったまま歩きだす。
「今日が今までで最高に可愛かった……」
クスクス一人で満足気に笑って歩くその者を、周囲の人間は遠巻きに見つめて思った。
あぁ、今日もやってる。と――。
「あー!もう嫌だーー!!」
そして頭を抱えて未だ机に潜っている雅尚に、哀れみの視線を送るのだった――。
* 了 *