純情エゴイスト

□心と体
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【人はひとりでは生きてゆけない】
知っているだろか そばにいることを
忘れていないだろうか 人の温もりを
気付かないうちに あなたにも
あなたを思ってくれる人がいる

 
弘樹は、大学の荷物の片づけも終盤に差し掛かろうとしていたところ、宮城に捕まってしまった。宮城とは、なるべく出くわさないように、教授の授業時間なども把握しながら、移動ルートにも気を付けていたつもりだった。
「おい上條。話がある。ついてこい。」
いつものおちゃらけた雰囲気はなく、短く伝えると、弘樹の腕をつかんで、どんどん進んでいく。
弘樹は焦っていた。宮城に退職がばれてしまったのか、なんと言い訳すればいいのか、と頭の中で必死に考えを巡らせる。
結局、言い訳が思いつく前に宮城の部屋に連れられて、中に押し込まれる。
宮城は、いつもと変わらぬごちゃごちゃした部屋の奥にあるテーブルの方へと、弘樹を誘導し、逃げ道をふさぐように入り口側に座った。
「お前俺になんか言う事があるんじゃないか?」
いつもより冷たい声で宮城は弘樹に問いかける。
弘樹はその声にびくつき、宮城の顔を見れないでいた。
「お前、最近俺を避けてるな。しかもお前、部屋の荷物どこに持って行ったんだ?」
宮城の発する言葉に、全てがばれているんじゃないかと思ってしまう。
なにも答えられず、黙っている弘樹に宮城は溜息をつく。
「最近のお前の様子がおかしいとは思ってたんだ。正月に理事長の参加するパーティーに野暮用で参加して、その理由が分かったよ。」
弘樹はまだ顔を上げられないまま、手を握りしめた。
(理事長、宮城教授に話してしまったのだろうか。)
「お前の彼氏、海外に行くんだってな。それも、2年ほど。理事長に聞いても、なんも答えてくれないし。まったく相談くらいしてくれればいいのによ。なにも彼氏についていくからって、俺は怒ったりしないぜ。向こうでも勉強できることはあるだろうし。最近はネット環境がいいからな。向こうでもネットさえ整えれば、やり取りは可能だし。それに・・・」
宮城が話している内容は、途中から弘樹の耳に聞こえていなかった。
(いま、なんていった・・・?野分が海外に?そんな話、なにも聞いていない。…っ、聞ける訳ないよな。それに、これはある意味好都合かもしれない。)
「そ、そうなんです・・・、理事長には新学期が始まるまで黙っててくださいって言ってたんですよ。」
やっと話した弘樹に宮城は、若干の違和感を感じながらも、弘樹の幸せを思い、送り出す事にしていた。
「まったく、最初から教えてくれれば、色々手伝ってやったのによ。てか、相談しろよな。そしたら、あんなに思いつめる前にもうちょっと、こう、なんだ。色々できたかもしれないだろ!」
宮城の参加したパーティーに、たまたま居合わせた野分の上司にあたる医者が海外に行く事を話しており、そのメンバーに新米の小児科医を連れていく事を話しているのをたまたま聞いた宮城は、その新米の医者が知り合いの友達だと言って会話の中に入り、情報を聞き出したのだった。
それは弘樹も知りえず、今回の件とは関係ないのだが、宮城はここ数ヵ月の弘樹の様子から、悩んでいる原因でないかと考えた。そして、そんな情報を手に入れた時に学生の噂を聞いたのだ。「上條が大学を辞める」と。その噂を聞いた時にはまさかと思ったが、その学生に詳しく聞いてみると、上條の部屋に論文の提出に行った時に上條の部屋がきれいに片付けられており、なぜか上條の部屋でみた資料が図書館に移動されていたりしたらしいのだ。その話を聞いた後、もう一度理事長に聞きに行ったのだが、理事長は何も答えてはくれなかった。だが、それだけで宮城には十分推測が立てられた。宮城は、弘樹が野分と一緒に海外に行くかどうかで悩んでおり、その悩みが原因でここ最近の様子がおかしいと思ったのだ。そして、荷物がないという事は、海外に行く事を決めたのだと。あれだけ悩んで決めたのだから、自分は否定するまいと思って確認のために弘樹を捕まえたのだ。
 
弘樹は、宮城の言葉に有難さを感じ、やはりこの人も巻き込んでいけないと思った。
「ありがとうございます、教授。」
弘樹の言葉に宮城は少し照れ臭そうに煙草を吸い始める。
「お前、いつ行くんだ?俺が空港で見送ってやるよ。」
「あ…、まだ、詳しい日時は決まっていないんです。まだ手続きが色々あって、もしかしたら、急遽決まるかもしれないんで、見送りは結構です。落ち着いたら、こちらから連絡しますから。」
(俺も嘘が上手くなったもんだな。)
弘樹は、すらすらと出てくる言葉に心の中で他人事のように聞いていた。
「そうか。まぁ、大変だろうけど頑張れよ。お前が決めたことだからな。予定が早く決まったりしたら教えろよ。その時は見送りに行ってやるからな。」
宮城は弘樹の頭をくしゃりと撫でまわし、これで弘樹にいつもの調子が戻ればいいと思った。
「ありがとうございます。宮城教授。」
そう言って、立ち去る上條に宮城は、後で呑みにでも誘うかと上機嫌に考えていた。
 
弘樹は、先ほどの宮城との会話を頭の中で思い起こして、実家へと連絡をした。
当分海外に行ってくると。もちろん母親は、顔も出さずにそんな重要な事を電話で話すんじゃないと怒っていた。
それでも気をつけて行ってきなさいと言ってくれた。
身体に気をつけてね、とも。

そして次に秋彦へ連絡を入れる。
「あー、秋彦?おれ、弘樹。今、大丈夫か?」
年始の挨拶から、こんなにも早く連絡されるとは思っていなかったのだろう。
「どうした弘樹。」
秋彦の声は少し疲れていて、例の如く引き伸ばしている締め切りに追われているのかと少しおかしかった。
「あー、春から海外に行く事になったんだ。あいつについて行く事にしたんだ。」
電話の向こうで驚いた顔をしているのだろう。息を飲む音がした。
「結婚でもするのか?」
「あぁ、、、そういうので行く訳じゃない。あいつの仕事の関係で行くんだ。」
そうか、と言った秋彦は嬉しそうな寂しそうな声だった。
大学を出てからは、お互いに会う事も少なく友達としての適度な距離で過ごしてきた。
会っていなくても、違和感なく話すことができるのが、俺にとって特別な友達だからだろう。
「こっちに帰ってきたら、連絡してくれ。まぁ、俺がそっちに旅行がてら行ってもいいんだがな。」
「お忙しい大先生は、逃げてないで仕事しろよ。」
そんな軽口を叩いて笑う。
「場所はどこだ。手紙でも送ってやろう。」
「あぁ、確かアメリカだった気がする。急に決まったから、俺も場所とかまだ詳しく聞いてないんだ。」
少しどもってしまった。誤魔化そうと早口にもなってしまった事に秋彦も訝しく思ったのか、弘樹と名前を呼ばれた瞬間に、電話の向こうが騒がしくなった。
編集の人が我慢出来ず、秋彦の部屋の扉を激しく叩き叫んでいる。
「ま、詳しいことは分かったら、連絡するよ。忙しくて遅くなるかもしれないけどな。
お前は、あのちんちくりんなガキと上手くやれよ。」
おい、弘樹!とよばれる声を無視して通話を終了させた。
電話を切った後息を吐く。
秋彦に嘘をつくのは、苦手だ。でも、演じるのは上手いはずだ。顔が見えなくて良かったと思う。

後話をつけなければならないのは、1人だ。野分には、どうしても弘樹との別れを納得させなければならない。

野分は、今夜は部屋に帰ってくると連絡がきていた。
弘樹は覚悟を決めて、部屋へと向かう。
部屋の中もずいぶんとスッキリした。
弘樹の私物は全て処分した。
不動産にも、数年分の家賃を前払いしておいた。もし、野分がこの家を引き払う事になった時には、差額を野分に払うように話もつけてきた。
後は合鍵と通帳を自室に置いておく。通帳は、慰謝料のようならものだ。こんな俺に10年も付き合ってもらったお礼のようなものだ。家具もそのままだ。こればっかりは、処分できるものでもなかった。
後は、後は、野分に告げるだけなのだ。
別れを。
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