保健室の死神

□レベル1
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カーテンが、風に揺れる。
遠くに聞こえるのは無駄に暑苦しい野球部の声。
時折、その中に美作の声が混ざって聞こえる。
この暑いのに、よくやるものだと思う。
馬鹿みたいに晴れて、暖かいを通り越して暑くさえある5月の昼下がり。
保健室の利用者は相変わらず皆無で、俺にとってはすこぶる快適な空間となっていた。
カーテンを揺らす風は程よく部屋を涼しくしてくれるし、喉が渇いたなと思うとこの部屋の主は図ったように、
「藤くん、お茶いるかい?」
などと言ってお茶を差し出してくる。
冷たすぎもせず、かといってぬるくもない麦茶だ。
ベッドから身を起こしてそれを受け取り、たったいま目の前に麦茶を差し出してきた白衣の長身を横からじっと見つめる。
「(背ぇ高っけーよなー…意外と筋肉ある感じだし…。…ちょっと猫背?)」
そんな視線に気付いたのか、ハデスは大多数の生徒に『恐ろしい』と評される笑顔をこちらに向けて、問いかけてきた。
「?どうかしたのかい?」
「…いや、何でも」
首を傾げてまっすぐに見つめられ、思わず麦茶を口に運んだまま顔をそらした。
「?そう?」
なおも不思議そうに首を傾げつつも、ハデスはこちらに背を向けてデスクの前の椅子に腰を降ろした。
手にしたボールペンの硬いペン先が紙の上を滑っていく音と、遠くのグラウンドの喧騒が室内を通り抜けていく。
俺はそらした顔を戻して、デスクに向かうその姿を後ろから見つめていた。
珍しい癖のついたふわりとした灰色がかった髪。
昔からついている癖なのだろうか。
今は灰色がかっているが、まさか生まれたときからこんな色をしているわけではあるまい。
自分と同い年の頃はきっと黒かったに違いない。
「(…どんな感じだったんだろ)」
中学生の頃の、ハデスは。
「なあ」
「ん?なんだい?」
「あんた、昔の写真とかって持ってねーの?」
「えっ、僕の?」
「そう」
「…見たって、あんまり面白くないと思うよ」
「わかんねーじゃん」
「…残念だけど、昔の写真は持ってないんだ…。ごめんね」
困ったように笑うその顔は本当に困っているようだった。
「(そういやアシタバが言ってたっけな…)」
ハデスもちょうど自分たちの年の頃に病魔にかかったのだと。
それが、今ハデスが自身に宿らせている病魔と同じなのかどうかは分からないが。
しかし、だとするなら、あまり当時のことには触れられたくはないだろう。
自分も、自分自身の騒動のことについては今更触れてほしくはない。
「…別に…あんたが謝ることねーから」
気にはなるけれど。
ハデスを困らせてまで知りたいとは思わない。
「珍しいね?」
「あん?」
「藤くんが僕のこと聞いてくるなんて」
「だって気になんじゃん…俺、あんたのこと好きだし」
変な間が、あいた。
ハデスを見ると、奴はあほみたいに口をぽかんと開けて俺を見ていた。
段々と、こちらが気恥ずかしくなってくる。
そんな俺の心境になど気付くこともなく、ハデスはぽつりと呟いた。
「…僕、藤くんは『保健室が好き』なんだとばっかり思ってた」
「え。」
そこか。
そこなのか。
そこで目的語なんぞとやらに注目しやがるのかあんたは。
動詞、動詞に注目して頂きたい。
「僕を…好きだなんて言ってくれるだなんて…嬉しいなあ」
違う。
合っているけれども違う。
今すぐ机に押し倒して唇なりなんなり奪って思い知らせてやりたいがいかんせん今の俺にそんな度胸と準備はない。
幸せそうに怖い顔を緩ませているハデスとは対照的にがっくりと肩と頭を落とした俺に、ハデスはふわりと微笑んだ。

「僕も藤くんが好きだよ」

その言葉の意味が違うことは知っていたけれど、色んなものが吹き飛んだ。
いつか思い知らせてやるけれど。

今はこれでも、よしとする。

にやけそうになる頬の筋肉を抑えるのは、思っていたよりも難しかった。
 

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