その他SS

□ワトスンの決意
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びっくりするほど人が好い人間とはいるもので。
謎の洋館。
嵐の山荘。
ミステリー好きの人間にとっては血の騒ぐ、と言ったら物騒だが、そんな何かが起こりそうな状況に突如現れた珍客。
そして、その珍客が現れた後にまるであつらえたかのように起きた異変と惨劇。
いざ巻き込まれてしまうと、そんな物語のような出来事の登場人物になってしまった実感など薄いもので、まるで現実味などなかった。
しかし、その中で特別な存在感を放つ者が一人。
夜の招かれざる客。
不思議と、巻き込まれる形で訪れたこの人物こそが事件の首謀者なのではないかなどといったことは考えなかった。
小学生の頃、将来の夢を描いたときに思い浮かべた夢物語の存在。
もしかしたら、もしかするのではないか。
そんなことを思っていた。
彼は呆れてしまうほどに臆病で、アリバイを訊いているのだとばかり思えば「怖いから話を訊いて回っていたのだ」と言い、鋭いくせに怖がりで、色んなところをかけずり回って書斎のソファで頭を抱えていたときには「分からないことがあるのは怖いから調べていたら、解決する先から分からないことが増えて泣きそうだ」と言って、実際本当に涙ぐんでいた。
そうして、最もこちらを驚かせたのは、誰かが狙われることや殺されることを何よりも恐れ、「先回りすれば、もしかしたら狙われている人を助けられるかもしれない」と言ったことだった。
物語の名探偵の大半は薄情だ。
人が死ぬだけ死んでから、謎は解けたと清々しげに皆を広い場所に集め、得々と推理を披露する。
しかし、犯人を当てるのでもなく、最初の被害者が殺されたトリックを暴くのでもなく、真っ先に「先手を打てば狙われている人を助けられるかもしれない」という発想に至った彼は、自分からすれば型破りに過ぎる探偵だった。
そのときに、この人のワトスンになろうと決めた。
自分だって巻き込まれた存在であるにも関わらず、いつ誰に殺されるか分からない状況で、見ず知らずの他人のためにかけずり回ることが出来る、そんな人間はとても稀有だ。
こんな人を、みすみすこんなところで死なせてはいけない。
焦燥感とも言える感覚が、身体の奥底から湧き上がり、この怖がりの風変わりな探偵の為なら自分は何でも出来ると芯から思った。
振り返ってみると、その焦燥感は喜びだったのかもしれない。
ようやく出会えたその存在に血が湧き立っていたのだろう。
自分に出来ることは何か。
いざ憧れたワトスンの立場に立つと、出来ることが驚くほど少ないことに腹の立つようなもどかさしさを覚えた。
自分に出来ることは、見立ての材料となった、長年親しんできた祖父の小説の内容を未読の彼に教え、時折彼の相談に乗ったり、聞き取りに協力する程度。
もっと、彼の力になりたい。
しかし何が出来るだろう。
彼に無く、自分にあるものは何だろう?

『何があっても、和さんだけは死なせませんから。もしもの時は俺が守ります』

それが、自分の出した結論だった。
招かれざる客である彼は、きっと犯人にとっては尚更面白くない存在だ。
もしなりふり構わぬ実力行使で来られたら、腕力のない彼ではひとたまりもない。

なら、それは自分が引き受ければいい。

今ここで、自分が最も彼に貢献できることはそれだろう。

絶対に、彼を死なせてはならない。
この、自分の命にかけて。

この臆病なホームズは、俺が決して死なせやしない。
 

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