その他SS

□糸・糸・言・心
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不可解だ。

一言で述べるなら、そうとしか呼べない感覚だった。
最近、警察史編纂室という部署へ異動になってからというもの、弟が自分の研究室へ訪れることが多くなった。
それ自体には何ら問題がない。
むしろ互いに実家を出てから接点が減っていたことからすれば、少々危なっかしいところのある弟の様子を知ることができるのは望ましいことと言えた。
弟の訪問と並んで増えたものは他にもあった。
それは彼を取り巻く人間関係だ。
まるで磁石のようだな、と思う。
弟の純也は自分の知る限り高校時代から、人を引きつける存在だった。
それこそ彼個人のファンクラブが高校時代に結成されていたことを知っているが、もしかすると遡って中学生の時分にも似たようなものが存在していたのではないかとも思う。
それほどまでに、この弟は人を引き寄せる魅力というべきものを生来兼ね備えていた。
自分はと言えば見事なまでに真逆だ。
引き留めようとは端から思わないが、気が付けば人は寄り付かず、自然と静かな研究環境が整っていた。
とはいえ若干賑わしいゼミ生がいるため、全く静かなものとは言い難いが。
しかし、弟を取り巻く人間が増えたことは変化でこそあれ、問題ではない。
では何が問題なのか。
それは自分自身の心のありようだった。
研究をしているときでさえ、このような感覚にはなったことがない。
焦燥感とも言うべきそれ。
自身が知っている感覚の中で一番近いものを挙げるとするならば、これが最も近いと言えた。
ただし、焦燥感だとするにしても、果たして自分が何に対して焦りを覚えているのかが皆目掴めなかった。
この感覚は、弟が研究室にお供を引き連れてやってきている時に決まって訪れる。
外から見る分にはなんというふうにも映ってはいないだろうが、内心首を傾げながら、話すことと同時並行で考えながら喋っているときもある。
それほどまでに不可解なのだ。
感覚の真実が追えない。
都市伝説発生に絡む人間心理の探求のために心理学にも足を突っ込んでいるが、自分に適用して追求を試みても、納得のいく答えを掴むことができない。
もやもやとすっきりしないものを抱えている以上、どこかに何かしらの欲求があるのだということまでは把握できた。
しかし、そこから先に進むことができない。
自身の欲求が何なのか。
自分の事でありながら、肝心のそれが分からないのだ。
今日もそれを考えていたら論文の締め切りが来月に迫っている状況だというのに1時間もの間、煙草をふかして時間を浪費してしまった。
非効率的だ。
効率化するため、問題を解決しようと考えを巡らせていたのだが答えのあてのない問答にはいくらも時間を費やせない。
到底気分の良いものではないが、遊んでもいられない。
それまでくわえていた煙草を灰皿に押し付けたところで、聞きなれた足音が廊下から聞こえた。
途端に胸がざわつく感覚に襲われる。
遠ざけようとしていた問題が、残念ながらしばらく自分を自由にはさせてくれなそうだという事実に苦笑が漏れた。
さて、わが弟は今日はどんな怪異を抱えてきたことだろう。
弟の顔を見るのは楽しい。
どんなに手近に問題が控えていようと、それらを全て後回しにしてしまって構わないと思えるほどに。
もしかすると自分は弟という存在に知らず依存しているのだろうか。
この不可解な感覚は弟との関わりに対する堰とでも言うべきものなのだろうか。
分からない。
しかしこれは研究対象にはならない。
どこまでも不可解な感覚だ。

この感覚に、焦燥感よりも適切な名前がつけられる日は来るのだろうか。
 

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