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□君の隣に
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研究室のドアを開けると石油ストーブの上にヤカンが湯気をたてていた。
奥にいた肩までのロングの女性。どちらかというと少女に近い童顔な顔立ちの子がいた。
白い白衣を身に付け、熱心に机に向かっていた。
こちらに気づいたのか、仕事の手を止めて立ち上がる。
「絳攸先輩、楸瑛先輩はお久しぶりですね」
彼女は紅秀麗。去年入学してきた絳攸の後輩である。
「久しぶり、秀麗ちゃん。丁度良い、一緒に紅茶飲もう?」
袋を片手に持ち上げると、秀麗は苦笑いをし「いっぱい貰ってきましたね」と言った。
紅茶は絳攸がいつも入れる。
なんでかは決まりはないが、顔に似合わず甘党な絳攸は砂糖を結構入れるのだ。
私達にはあまり知られたくないのか、紅茶は自分で入れると言って聞かない。もちろん私も彼女も気づいている。
「そうだ、楸瑛先輩。沢山貰っている中すみませんが、良かったらどうぞ」
そう差し出されたのはチョコだ。
時々手料理を持ってくる彼女の料理は私から見ても上手い。
「ありがたく貰っていくよ」
ふと、机にある数個のチョコに気づいたのか、秀麗は首を傾げる。
「それも楸瑛先輩が貰ってきたんですか?」
「いや、それは絳攸だよ」
「絳攸、先輩ですか…」
「意外?」
「いえ、私の友達の間でも絳攸先輩の噂はよく耳にしますから。意外というわけでは…」
「じゃあ気になる?」
目が一瞬揺らぐが、また平然と装い「何いってるんですか、楸瑛先輩」と笑った。
確信。彼女はあまり嘘が上手くはない。
むしろ自分が嘘と動揺を見分けるのが上手いと言ってもいい。
「それ、多分本命チョコだよ」
続けて言う。
「昔からね、絳攸はバレンタインに爆発的に告白回数が増えるんだよ。
高一の時だったかな。ある女の子に無理やり攻められたのをきっかけに毎年バレンタインは不機嫌極まりないんだよ。
元々面倒なことは好きじゃない性格のせいか、あの日以来チョコは2、3個までしか貰ってる所を見た事ないな」
「じゃあ、そのチョコをきっかけに付き合うって事はないんですか?」
「どうだろうね、絳攸はあまり自分のことを話したりしないからね」
「というか、どうしてそんなことを私に話すんですか?楸瑛先輩」
「いやー?別にただ話をしているだけだよ。深い意味はないよ」
彼女は少し俯き加減に、絳攸が貰ってきたチョコを見るのであった。
がちゃり、と研究室のドアが開く。
女子生徒2人組であった。
一人の子の右手には今日何処でも目にする物を持っていた。
「あの、絳攸先輩はいらっしゃいますか?」
「絳攸、…ああ、今給湯室の方にいるよ。待ってて。呼んでくるから」
給湯室から戻ってきた絳攸はあからさまに嫌な顔はしなかったもの、いつもの表情で彼女たちと出ていった。
静まりかえる研究室は、重い沈黙と楸瑛の何か言いたそうな笑みが漏れる。
「何ですか?楸瑛先輩」
「いや、別になんでもないよ。ただ、もしこのまま絳攸が今の子と付き合ったとしたらどうする?」
「それは…それで、絳攸先輩が決めたのでいいんじゃないでしょうか?
私や楸瑛先輩が考えてもしょうがないと思いますけど」
「私は嫌だな、絳攸が付き合う女性は並大抵の女性なんて想像できないからね」
そもそも、絳攸が女性と歩いているところなんて見た事がない。
研究室の先生や私達くらいなものだ。
「その急いでしまったチョコ、絳攸にあげるんじゃないの?」
「…これは、先ほど2、3個しか受け取らないと聞いたので…その、悪いかなと思ってですね」
「君のチョコだったら絳攸は受け取ると思うよ」
秀麗はもう一度絳攸が出て言った研究室のドアを見る。
しばらく考えたようにうつむくと急に顔をあげた。
「……、楸瑛先輩、ちょっと出てきます」
「そう」
秀麗が出ていくと、ストーブの上のヤカンの音がやけに響いて聞こえた。
楸瑛はそっと口元を上げた。
***
2人組の女子と別れた後、研究室に戻ろうと足を勧めた。
正直、絳攸は女子が固まって言いにくることはさらに苦手だと感じていた。
今も、チョコを普通に断っただけだと言うのに傍らにいた女子が急に怒鳴るように言い寄ってきた。
結局、泣いているもう一人の肩を抱え、その場を去って行った。
なんにせよ、面倒だと思う他ない。
キャンパスの中庭は今講義が始まっているので人通りはないに等しかった。
ふと、向こうから見慣れた背格好の奴が走ってくると気づく。
「…秀麗?」
「絳攸先輩!!」
走っている姿と大きな声をあげる秀麗は珍しくない。
むしろ秀麗はいつもどっちかだ。
「絳攸…、せん…ぱい、あの、チョコ…あれ…?」
息切れをして何を言っているか分からない。
「なんだ、落ち着いて話せ。というか、何でお前がここにいるんだ」
秀麗は気まずそうに話始める。
「あの、さっきの女子生徒たちはどうしたんですか?」
「チョコを断ったら泣いて去ってったぞ。意味分からん」
深いため息を吐く。
本当にそう思っているときのため息だ。
「私も、よく分からないんですが…、気づいたら走ってました。
絳攸先輩が、もしその子と付き合ったとしたら、無償に嫌で、何ででしょうか…、自分でも分かりません」
「知らない奴と付き合うわけがないだろ。それに俺が付き合うなどと呆けたことをしていたら仕事が溜まる一方だ」
「すみません絳攸先輩、楸瑛先輩一人にしてきてしまいました」
「あいつはろくな事をしない。戻るぞ。紅茶が冷める」
「はい」
***
先ほど、もし絳攸先輩があの女性と付き合い一緒に並んでいる姿を想像してみたのだ。
ああ、駄目だと思った。
嫌だな…、もう隣にはいれなくなってしまうのかな。
そう思っただけでも、体が動いてしまったのだ。
「チョコ、貰わなかったんですね」
「そんなに食べきれないからな」
袋に入っているチョコを見る。やはり渡さない方がいいかもしれない。
ふと、楸瑛の言葉を思い出す。
(君のチョコだったら絳攸は受け取ると思うよ)
うん…、言わないよりマシだわ。
「絳攸先輩、渡そうか迷ってましたけど…、良かったら、貰ってくれませんか?」
そう言って差し出すと、絳攸は無言で受け取る。
その表情は髪に隠れて分からなかったが、不機嫌ではなさそうだ。
「後で…、食べる」
「はい!」
並んで歩く後姿は、今もあの頃と変わらない。
【あとがき】
大学パロの希望は絳攸と秀麗が白衣を着ていて欲しいという…
楸瑛は研究室にたまにしか来ないのでシンプルなVネックにコートを着ていればいい(笑)
李姫は始めて書いたので、あれ!?
秀麗ってこんな感じだっけ??
とか思いながら書き上げました。