拍手文
□春の訪れ
2ページ/2ページ
「………。」
自分でも吃驚した。楸瑛に言われると必ずしも頭にくるのに、今日はなぜか頭にこなかったのだから。
「珍しいね、怒らないのかい?いつのだったら本の一つや二つなげてくるじゃないか。」
楸瑛はいつもと変わらずの笑顔で絳攸に言ったのだ。
「自分でも分からない。怒らなかったのが自分でも吃驚しているくらいだからな。」
いつもと様子がおかしい絳攸に楸瑛は、数拍考えながら絳攸と同じく寒空の雪を眺めた。
「雪だね、どうりで今日は寒いと思ったよ。」
「あぁ、」
「雪が嫌いかい?」
「……嫌いというか、苦手、というべきだな。別に雪自体がどうというのではない。雪を見ると思い出すんだ。」
「思い出す?」
「昔の思い出だ。ずっと一人で誰かを待っていたときのこと。」
絳攸はそういうと、苦笑した。
「あの時、黎深様に拾われていなかったらどんな世界を見ていたんだろうな。」
そういうと、絳攸は楸瑛の横を通りすぎ、吏部へ向かおうとした。そのときだった。
「君は、一人じゃないよ。現に主上や私、君の大切なものはたくさんいるじゃないか。居場所も、あるよ。」
絳攸は後ろ向きで話を聞き、立ち止まった。
楸瑛が話し終わって数拍、かすかに呟き、再び歩き出した。
楸瑛は見た。
絳攸が一瞬振り向いた時の微笑は春を感じさせるような暖かさだった。
楸瑛もフッと、笑みを見せ、この場を後にした。
あとに残ったのは、純白の雪と、木々の先に息吹く小さな芽だった……
終わり・