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□小さい物語たち
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【流行病の特効薬】






まず先に鼻や喉に症状があらわれ、次いで頭痛、高熱の症状が出るという。

風邪の症状と同じようだが、流行りの菌による病らしい。
どうやら、風邪よりも高熱が出るとのことだ。

その流行り病のせいで、吏部は壊滅状態だ。
春の除目に向け、だんだんと忙しくなる中、忙しさに反比例するように吏部官の人数が減っていく。
残っているのは、体力も免疫力もある若手だが、中でも一番年が若い珀明は、病には犯されていないもの、幽鬼のような顔をして仕事に打ち込んでいた。

そんな中、何故、侍郎である自分が倒れることが出来るだろうか。
それこそ、吏部壊滅だ。


‡‡‡‡‡


府庫で調べ物をして数刻、窓の外を見ると、既に日が暮れかかっていた。

身体がだるい。ゴホゴホと嫌な咳が止まらなかった。
咳をしすぎたせいで、喉と腹が鈍く痛む。


「絳攸、風邪だって?」


楸瑛がひょっこり顔を覗かせ、手に持っていた瓶を絳攸に渡した。

「のど飴。咳がひどいみたいだから。」

「あぁ、すまない。」

「それにしても、酷い声だね。喉以外は大丈夫?」


「別段、調子が悪いところはない。咳のしすぎで腹が痛いくらいだな。」


「普段鍛えてないからだよ、絳攸。」


「痛いと言っても、寝起きするときくらいだ。」

話の途中、絳攸が何度か咳をした。


楸瑛はやや困ったような顔をして、さてどうしたものかと思案する。


「流行り病かもしれないよ?」


「ただの風邪だろう。」


何を根拠にしているのか分からないが、絳攸ははっきりと断言した。


「ねぇ、絳攸……」


楸瑛は絳攸に寄ると、絳攸の脇腹に手を当てた。

「……!!な、何する……ははは、や、やめろ、常春……はは……は、腹が……。」


脇腹をくすぐられて身を捩る絳攸の目に、うっすらと涙が浮かぶ。



「痛いよねぇ。笑うと腹筋使うからね。」


「分かっているなら……ははは、や、やめ……」



ガタリと椅子が音をたて、絳攸が体勢を崩す。
それを楸瑛が庇う様にして、二人で床に倒れこんだ。

ーーーはぁ、はぁ……

絳攸の荒い息遣いが静まり返った部屋に響く。
熱を帯びて赤らんだ頬、涙ぐんだ目に、息をするたび大きく上下する胸。


「絳攸……君が女性だったら、今ここで間違いが起きていたかもしれない状態だけど……。」


「い、一回……死ね、常春……頭……。」



そう呟くのが精一杯だった。体調が優れない中、徹夜を続けたせいだろうか。身体を起こすこともままならない。
酷いなぁと少し笑いを含みながら言う楸瑛の声を聞きながら、絳攸は意識を手放した。


‡‡‡‡‡


「黎深に、頼まれたようですね。」


絳攸を送り届けた後、府庫の主である邵可に騒いでしまった非を詫びると、「かまいません。お二人しかいらっしゃいませんでしたから。」といつもの笑顔を返してくれた。



「頼まれたと言いますか、命令されたと言いますか……。」


人に何かを頼むという姿勢ではなかったのは確かだと思う。


「あれは、人に物を頼むということを得意としていませんので……非礼があったのなら詫びましょう。」


「いえ、非礼だなんて……しかし、私に頼むならご自分でおっしゃった方がいいと思うのですが……。」



自分で口にしてみて、それはやはり無理かと思う。
黎深が絳攸に「休め」と言ったところで、吏部が回らないからと絳攸は断固拒否するであろう。(もっとも、それは誰が言おうと同じかもしれないが……。)
そもそも、黎深が素直に「休め」と言えるのであろうか。



「いくら絳攸殿と仲が良いとはいえ、わざわざ藍将軍にお願いせずとも、私に言えばいいのに……。」


「身内のことなのに。」とため息をもらす邵可に、楸瑛はどこか微笑ましい気持ちになった。


「『兄上にそんなご迷惑をおかけできるか!』だそうですよ。」


「……本当にすみません。」



「お気になさらずに。結局、私は何もしていませんし、絳攸が力尽きたのを送り届けただけですから。」



軽く苦笑すると、「でもそれは、藍将軍だから出来たことですよ。」と言って邵可は優しく笑った。


窓の外は、すっかり日が暮れていた。
冷たい風が窓の隙間から入ってきては、楸瑛の頬を撫でる。
普段なら身を捩る寒さも、今は特段感じなかった。

絳攸が早くよくなるといいなと、そう思った。
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