Long Story
□Memory Of My First Alchemy (side HavoRoy)
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「そもそも錬金術は『理解』『分解』『再構築』からなっている。しかし例えばそのコーヒーカップ…」
私は空のコーヒーカップを持ち上げる。
「単純極まりない構成物とフォルムによって成っているこのカップ。このカップについてどれだけ『理解』していようとカップの『再構築』だけが出来る、ということにはならないのだよ」
カップからぱっと手を離す。陶器のそれは当然硬い床に当たり、いくつかの破片になって散らばった。さっとメモ帳に書いた錬成陣に大きな4つの破片だけをのせる。そこに両手をかざすと青い錬成光が走った。
ぱちぱちとハボックが小さな拍手をする。
「すごいっスね! 大佐もこういうの出来るんですね!」
物質の錬成は得意分野ではないが、この程度ならば錬金術をかじったものならば誰でも出来る。そう。錬金術をかじったものなら、だ。誰でも簡単に、ではないのだ。そう言うとハボックはきょとんとして首を傾げた。
誰でも簡単にできることならこれほど国家錬金術師が厚遇されもしないだろうし、ジュニアスクールで基礎の基礎くらいは全国民が教わっているはずだ。ところが錬金術大国と呼ばれるここアメストリスにおいても、錬金術は一部の人間にのみ与えられた特殊な能力という形でしか普及していない。
私は席を立って書棚の片隅から一冊の古びた本を取りだした。若かったころの私が何度となく読んだ、錬金術の入門書である。今になって手にすることはまずないが、初心を忘れない意味で手元に置いてある。しかしまさかハボックにこれを手渡す日がこようとは、いかな私でも考えてもみなかった。
「読んでみろ」
「はぁ…」
ハボックはページをぱらぱらとめくり、冒頭のあたりで手をとめた。錬金術の概念やその骨子について触れてある部分だろう。碧い瞳が左右に動いているので、活字を追ってはいるようだ。
「わけわかんないっス」
数行読んだかどうかというところでハボックはぱたんと音を立てて表紙を閉じた。その声があまりに絶望的で、つい笑ってしまう。
「字は読めるだろ?」
笑いながら問いかけると、ハボックは馬鹿にしないでくださいと頬をふくらませた。
「でも書いてあることの意味するところがわからない。それが大多数の人々にとっての錬金術だよ。そこに載っている錬成陣をそのまま書き写して記述どおりの動作をおこなってもまずうまくいかないしな。考え方にコツがいるというか、極めて感覚的なものだ。そこをクリアしてはじめて『錬金術をかじっている』という程度だな」
はぁ、とため息に似た返事をしたハボックは、わかったようなわからないような微妙な表情でまじまじと革張りの表紙をみつめている。
「エルリック兄弟はほんの幼いころにそれよりはるかに難解な専門書を読み解き、10歳やそこらで人体錬成を行った。彼らは本物の天才というやつだ」
「大佐は?」
「私か? 残念ながら彼らのような天賦の才は持ち合わせていなかったが、幸い少しばかり頭の出来が良かったのでね」
自分のこめかみの上あたりを人差し指で軽く叩いてみせると、ハボックはへらっと笑って入門書をデスクに置き、私に向けて差し出してきた。
「これからも…」
「?」
「煙草の火はあんたにつけてもらうことにします」
どうやら錬金術を覚えるなどという無謀すぎる挑戦は諦めてくれたようだが、やっぱりこいつにとって錬金術が便利グッズでしかないことを再認識させられる。思わず脱力したが、うっかり本格的な講義に入ってからであればその徒労感たるや尋常ではなかっただろう。こと学問に関しては諦めの早い男でよかったと思った。
「で、大佐が錬金術を勉強しはじめたのも、やっぱエドたちみたいなガキの頃だったんスか?」
「そうだな。早くから興味はあったから、本はいろいろ読んでいたがね。本格的な勉強をはじめたのはハイスクールに入る前だった。そのあと師匠について修行を始めて…」
ハボックの興味は完全に私の錬金術歴に移ったらしい。綺麗な空の色をした瞳をまっすぐにこちらに向けてくるので、なんだか照れくさくなってしまった。