I.cブック

□眠るなら過去がいいね
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ブブブと鈍い音を立てて机の上の物体が小さく動き出す。焦るわけでもなくゆったりとした動作でそれを開くとそこに記されていた名前に思わず息がこぼれた


「もしもし」

《名無し?》

「おー、当たり前だろ」

《…よう》

「よう。どーした」

《あの、さ》

「…」

《…》


携帯の奥で眉間に皺を寄せて言い辛そうに口を開閉している翔太の姿が容易に浮かんだ。お前は馬鹿みたいにお人好しだよなあ


「…知ってるよ。全部」

《え、》

「聞こえてた」

《……矢野は》


あんなの本心じゃないと、思う。そうぽつりと呟いた翔太の声は少し震えていた。ごめん、俺はやっぱり自分勝手だ


「俺は大丈夫。それに別れを切り出したのも俺自身だから」

《……わかった》

「ありがとう翔太」


思い切って通話を切る
ぽかりと開いた穴は塞ぎきってはいないけれど、確かに、少しずつ埋まっていくのがわかった。ありがとう、翔太。俺は大丈夫だよ

「…大丈夫」

言い聞かせるように出た言葉は冷たい床に落ちていく。自分が思っていたより声は情けなく弱々しく震えていた。電話をしていた時もこんなに情けない声だったのか。
ふと見た壁には彼女と一緒に選んだ服が掛けてあって、走馬灯のように思い出が流れていく。楽しかったなあ、幸せだったなあ。色んなことたくさんしたなあ
力が抜けた足が重力に逆らわずに崩れていった











「大丈夫じゃ……ねえよ」










とまれ、何度言っても止まらない涙がボタボタと落ちていく。床にシミができるのが見えていても止まらない。ああ、こんなに泣いたのは告白前の時以来かもしれない、そんな呑気な考えが少し浮かぶけれどそれはすぐに頭の隅に追いやられてしまった

誰かが泣いていいよと言ったような気がして声を殺して泣いた。少し伸びた袖で拭いても拭いてもまた出てくるそれにどうしたらいいかわからなくてまた鼻がつんとした




今日だけ、今日で全部おわりにするから。
だからせめてあの幸せな思い出は






眠るなら過去がいいね










お題配布サイト様:たとえば僕が




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