I.cブック
□伸ばされた手には気づかずに
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仮に彼女が迷惑じゃないと言ったとしても言わなくても、きっともう俺は見ないフリはできないかっただろう。一度開けた蓋はあまりにも脆かった
「名無し?」
覗きこむようにして名前を呼ぶ矢野にぎゅうっと何か掴まれた感覚になった
いつもと何か違う、感じ
「あは、…ごめん、聞いてなかった」
「ん、あとで皆で海行くみたいなんだけど、行く?」
どうやらその話は俺が昼間呼び出された時にされていたらしくたった今はじめて聞いたそりゃあそうだ
「あー…ごめん今日、病院行かなくちゃいけなくなってさ」
「え、大丈夫なの?」
「うん、いつもの検診が早くなっただけだから」
いつもと違うことに彼女は気づいていないだろうか。必死に装おっている自分がなんだか酷く馬鹿みたいだった
少し残念そうにする矢野に苦笑をし
「俺はいーから、矢野はみんなと海行ってきなよ。せっかく晴れてるんだからもったいない」
「…うん」
「…今度、2人で行こーな」
「ん、約束ね」
些か不満そうな表情にご機嫌をとろうといつものように頭を撫でる
撫でようとした
宙に浮いた手は石にでもなったかのようにピタリと止まった
撫でられなかった
俺は今までどうやって彼女に触れていた?
「…ごめん」
いったい何にたいしての謝罪なんだろう。海に一緒に行けなくて?病院なんて嘘をついたから?頭を撫でられなかったから?
答えは頭の中でぐるぐると渦を巻く
ちがう、そんなことじゃなくて
「…、」
「時間、ちょっとやばいから…行くな」
「名無し、」
じゃーな、と目も合わせずに教室を出る
ごめん、ごめん。でも俺、
「名無しっ…」
開けられた蓋をそのままに俺はまた別の蓋を作って閉じ籠る。
こんなことしたらくるみに怒られちゃいそうだなあ…
来た道は振り返らずに、昼間と変わらずじりじり冷えた体を蝕む廊下をひたすら歩いた
伸ばされた手には気づかずに
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