11/12の日記

22:00
君の後ろ2の続き
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〜B君の家〜
C君が死んで四週たった日
B「あーあ 何もおきねぇ 偶然だったのかな? 家にいりゃ安全だと思って無駄に休んじまったぜ くそ! 明日から行くか」
ガシャーンガシャーン ドドドドド
B君の家の隣が工事中なのでこの騒音はB君に余計に腹を立たせた
B「うるせぇな!ったく」
その時でした
ウゥゥゥゥゥゥン ギギギギギギギギギ
B「なんだ?」
そういって窓の外を見てみるとクレーン車がこっちに向かって倒れてきていたのだ
B「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
クレーン車はB君ごとB君の家を巻き込んで倒れた

その日の夜
A君はそのニュースを見て言葉を失った
そのニュースの内容はB君の家にクレーン車が倒れこんだということだった
もちろんB君は即死だった
A「つ、次は僕?」
A君は自分の背筋がゾクゾクした
振り返るとあの見知らぬ人が立っていた
そしてこっちを向いてニヤリと笑うと消えた
A「死にたくないよぉう」
A君はB君みたいには学校に行かないという手段を選ばなかった
死にたくないと思ってもあいつがあの日後ろに立っていたのを見てほとんどあきらめていたからだ
そして何気ない日常が長く続いた
B君が死んで四ヶ月たとうとしていた夜
A君が寝付けずにいるとあいつが目の前に現れた
そしてまたニヤリと笑いこっちに寄ってきた
A君は死を覚悟した
そして目を静かに閉じた

A君は朝になって目を覚ました
A「あれ?死んだんじゃ?」
そのときA君は分かった
助かった!助かった!と
今日はB君が死んだ日から四ヶ月だ
だが、それにA君は気づいていない
A君はとても気持ちが軽くなった
そうしてウキウキして学校に行った


その日の夜
ニュースキャスター「今日の午後2時30分ごろ ○○中学校に飛行機が墜落した事故ですがなんと死亡したのは一人だけというのが分かりました 死傷者は二年生のA君でーーーーーーー」
あの男はなんだったんだろうか?
一ついえるのはあの男に後ろに立たれてはいけないこと
立たれれば死を覚悟しといたほうがいいだろう
気をつけて ほぉらあなたの後ろにも
 
    END

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21:54
犬鳴峠
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皆さん犬鳴峠ってご存知ですか?
福岡県の宮若市って場所あたりに点在する峠なのですが、そこは昔から幽霊スポットとして有名な場所です。

自分も昔、友達と一回行ったことありますが、雰囲気がやばかったです。夜だったのですが立ってるだけで吐きそうでした・・・

そこにはトンネルがあるのですが、そこは本当にやばいらしいです。(今は封鎖されて入れないです)

本題に入りますが
友達のお姉さんが学校の男友達に誘われて犬鳴峠に行ったらしいです。
時間も夜11時を過ぎていたという事もあって雰囲気はすごかったらしいですよ・・・

その場所に着き、車から降りて辺りを歩き回っていたら男友達がトイレをしたいと言ってその場を少しのあいだ離れたそうです。

2分ぐらいすると男友達が戻ってきてお姉さんが
『そろそろ帰ろうか?怖いし』と言って車に引き返そうとすると、男友達がいきなり抱きついてきたそうです。

抵抗しようとすると無理やりに服を脱がそうとしてきて、まだつき合ってもない関係だったので怖くなって走って逃げたそうです。

しかし辺りは暗く視界がかなり悪い状態だったのでどこに行っているのかも分からなかったそうです。

しばらく走っていると男友達がお姉さんに追いつき手をつかまれ『止まよ!ここ崖だぞ!!死にたいのか?』
と言われました。

お姉さんが下を見ると崖があり、もしあと一歩でも行っていれば落ちていた距離だったそうです。

しかしお姉さんは
『でも、急にあんな事して酷いじゃない!つき合ってもないのにあんな事されたら誰でも逃げるでしょ!?』
と言いました。

しかし、男友達は
『えっ!?俺は今までトイレを探してて無いけん、ここでしようと思いよったらお前が崖に向かって走りよるけん、危ないと思ってつかまえた』と言いました・・・

『そんなの嘘でしょ!?』
と聞いても、友達は真面目な表情で
『嘘じゃない・・・』

と言ってきて、いよいよ二人共怖くなり友達の方から
『帰ろう。ここはやばい』と言いだし、急いで車に戻ったそうです。

車に戻り急いで帰ろうとして発進しました。

しかし、来た道を戻っているのですが、どんどん知らない道にしかも山道に入っていたそうです。

運転している友達も尋常じゃないくらいに慌てて、お姉さんもあまりの恐怖に泣き出しました。

二人とも恐怖で発狂しそうな時にやっと知っている道路に出てきて急いでその場を離れたそうです。

そして近くにあったホテルに入りびくびくしながら一晩すごしたそうです。(とうぜんですが男女の営みはなかったそうですww)

そして次の日に無事に帰ったそうですが、あまりの怖さにもう二度と肝試しとかには行けなくなったそうです。

 END

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21:51
有名な話。
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夏のある日2組のカップルが海水浴に出かけました
仮にA君、A君の彼女、B君、B君の彼女とします。
A君はバイクを持っていて一人で乗ってB君は車を
持っていて残りの3人が乗っていました。

日が暮れて、帰る時にふとB君が「競争しようぜ。」
といいます。そこでA君のバイクと、B君B君の彼女A君の彼女の
乗る車とでお互いの家まで競争することになりす。それぞれの
カップルは同棲しており、同じアパートで知り合った4人なのです。

先についたのはB君たちの乗る車でした。勝ったのに喜ぶ
B君のカップルに、A君の彼女は少し心配気味です。
A君はバイクの運転はとても上手いので、本当なら
先についていて当たり前なのです。

その日A君は帰りません。
そして次の日、目覚めたA君の彼女は
信じられないことを聞きます。

B君とB君の彼女がとても悲しげで不安げな様子で部屋にきています。
「あのさあ・・・」B君が口を開きます。
「今朝警察から連絡があって、Aのやつカーブ事故で死んじまったらしいんだよ・・・」
「ガードレールに、凄いスピードで激突して・・・・即死だったらしい・・・」
A君の彼女はずっと考えていましたから、万一のこともあるだろうと
分かってはいましたが、やはりショックで泣き伏せてしまいます。

しかしB君達がさらに驚くべくことをつげるのです。
さきに切り出したのはB君の彼女です。2人の体が
とても震えているのをA君の彼女は感じます。
「朝・・・連絡があったって言ったじゃない?・・・」
「あのね、驚かないでね、あたし達そのあと部屋に誰か来たの。」
「誰だろうと思って・・・それで誰だ?って聞いたら・・・・・」
『Aだって言うんだよ・・』
B君が割って話してきます。
A君の彼女は何を言っているのか分からず只聞いています。
『悪い冗談だって思って、すぐに怒鳴りつけてやろうと思ったけど
あいつがきたの、俺らが電話を受けてからすぐなんだよ・・・だから
誰かがふざける余裕なんてねえだろうし・・俺ら怖くて、それで
開けらんなかったんだ、そしたらかえってったんだ・・・』

B君たちはA君の彼女にもしもAがきても決してドアは開けるなと
いいます。彼らが言うには、自分では死んだと思っていないAが
自分たちを引きずり込もうとしていると言うのです。B君たちが帰った後に
A君の彼女はA君との思い出を巡らせ一人泣いています。

その夜。

A君の彼女はドアをノックする音で目覚めます。
「来た・・・」
彼女は必死でそれを無視します。A君はドアを叩きつづけます。
「おい!」「俺だよ!」
「ここを開けてくれよ!」
部屋の隅でA君の彼女は必死に耳をふさいでいますが、彼との思い出と
懐かしさにたまらず、ドアの方に近寄ります。
「開けてくれよ、俺だよ!」音はドンドン大きくなります。

そっと近づくA君の彼女。ドアごしに見えるA君の影ですら
涙が出ます。気付けばA君の彼女はドアの前に立っています。
ドアを開けそうでした。しかし、A君は死んでいるのです。
A君の彼女は必死で声を出しました
「・・なたは・・・・・んだの・・・!!」
ノックは大きくなります。
そしてA君の彼女は
せめて成仏してほしいと思い
決死の覚悟で一気にドアを開けます

「あなたはもう死んだの!!!!」

『死んだのはおまえらのほうだよ!!!!』

A君の彼女は気絶していました。

そして、次に気付いた瞬間
彼女は治療室のベッドの上にいました。目の前にはなんと
死んだはずのA君がいて、泣いて喜んでいます。状況が全く掴めない
彼女にA君は話しかけます。
「競争して、俺が家に着いても、お前達はぜんぜん来なかったんだよ。」

「それで来た道を戻ってったらお前達の車がめちゃめちゃでさ・・・
「前の座席に座ってたB達は即死だった・・・」
「でもお前だけは軽傷ですんでたんだよ。でもずっと気を失ってて・・・」

A君の彼女は最初はその事実だけを飲みこんでいましたが、
すぐあとにとても恐ろしくなり、ずっとA君に抱き着いています。

即死だったB君たちは、生死をさまよっているA君の彼女を
引きずり込もうとして、精神の中に入りこんできていたのです。
あのままA君のよびかけをずっと無視していれば、A君の彼女も
死んでいたのでしょう。

END

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21:47
歴史的恐怖話
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カンボジアのポル・ポト政権、戦慄の歴史

カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。人口は現在約1千万人。
首都はプノンペン。カボチャはこの国から伝わったのでその名がついた。
カンボジアの歴史は苦難の一言に尽きる。
かの有名な遺跡、アンコールワットが建設された12世紀では
インドシナ半島で最強の国家だったものの、その後は衰退の一途を辿った。
ベトナムやタイに領土を奪われ、第二次世界大戦渦中はフランスの植民地だった。
その状況を打破したのが王族の血を引くシアヌークだった。
大戦後、彼は国際世論を巧みに操り、フランスから国土を解放した。
1953年のことである。
この功績により彼は「カンボジア独立の父」として民衆に敬愛されることになる。
多少独裁の色は濃いとはいえ、彼の手腕で国はそれなりに機能した。
それでも後のポルポトによる圧政時代と比べれば格段に自由な時代で、
当時を懐かしむ人々も多いという。

そう、それほどポルポトの時代は酷かったのだ。

1970年。米ソ冷戦下。
アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを蜂起し、
シアヌークは中国に亡命する。
クーデターを実際に画策したのはCIA。完全にアメリカのわがままだった。
このアメリカの暴挙には以下のような背景があった。
1961年からのベトナム戦争でアメリカは南ベトナムを応援した。
腐政に苦しむ南ベトナムの農民&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍
VS
利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍。
資本主義のアメリカはこの構図にも関わらず南ベトナムを応援した。
民衆の幸せなんて一切考慮していない。
ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから南側を応援したに過ぎない。
ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては
南ベトナムが勝利して力をつけると自国が占領される恐れがあった。
よってシアヌークはベトナム寄りのカンボジア領に北ベトナム(解放軍)の
補給基地をつくることを暗黙の上で了解した。
これで南ベトナム軍は南北から挟撃される形になってしまった。

アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが
国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。
ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。
よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。
そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。
ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、
アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。
そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、
カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
むしろいない方がいいのでは?
ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないので
アメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。

カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。
亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。
賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。
そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことで
クメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、
田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。
そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、
ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒し
カンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。

ここまでは。

ポル・ポト率いる解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで
強制的に地方の農村部に移すということを開始した。
逆らう者は容赦なく殺した。次々と殺した。
同様の行いが大小含む全ての都市でなされた。
これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかった。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を迅速に施行した。
・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却
・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止(関係者は全て殺された)
・都市市民の農村部への強制移住
・家族概念の解体。2〜5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚
異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。

投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。
これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。
しかしポルポトはそうは思わなかったらしい。

次にポルポトは理想国家の建設のために協力者を集めた。
『例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。
 資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。
 それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。
 理想国家を作るためには君達の力が必要だ。
 大切なのはカンボジアの未来なのだから』
国を良くするため、という言葉に共感した<インテリ>が次々と現れ、
それこそ国内のほとんどの高い教養を得た人々、
海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。
ポルポトは大嘘をついていた。
彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、
その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。
そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた

不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。
『疲れた』と言っただけで、スプーンをなくしただけで殺された。
次のような者も即刻殺戮対象となった。
・眼鏡をかけている者
・肌が白い者
・手が綺麗な者
そして、
・美形
家族に至るまで、全て。
ポルポト率いるクメール・ルージュ政権は、密告を奨励した。
妻が夫を、夫が妻を、子が親を密告し、隣人を密告する、
そうした恐怖の密告社会の中で、国民は互いに殺し合った。
少しでも正義感が強いとか、物事を考える者はそれだけで殺された。
家族、一族もろとも。
誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、
反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。
ポルポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られた。
ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。
結果、少年達はポルポトを神とあがめ、
命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。
そうしてポルポト兵は狂信的集団へと収束していった。
1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間で
カンボジアでは約300万人の死者が出た。
これは国民の1/3に当る大虐殺であった。

なぜ世界がこの虐殺を取上げなかったのか。
それには大まかに2つの理由がある。
1つはポルポトが徹底した鎖国政策をとり、人の移動や情報を封鎖したこと。
もう1つは突拍子のない話で、真実味が感じられなかったこと。
実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、
自国民をそこまで意味もなく虐殺するなどあり得ないと判断されたのだ。
国家にとって何の利益ももたらさないではないか、と。
だから誰も信じなかったというわけだ。
しかし虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、取材の依頼が殺到した。
拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的と判断したポルポトは
限定地域、限定期間での取材を承諾した。
そこでは裏工作がなされ、平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は
果敢に独自の取材を展開したが、そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなくポルポトの命で殺されたのであろう。

ポルポトによる狂気は1979年のベトナム軍の侵攻をもって、
公式の上では終わりを告げた。
そこでベトナム軍の兵士たちは戦慄に震えた。
実はベトナムの情報筋も、クメール・ルージュによる虐殺の噂は
尾ひれのついたものであろうとたかをくくっていた。
だが、蓋を開けたときに見たものは、噂を遥かに超える『事実』だったのだから。
ポルポト軍はタイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。
ポルポトは逃げる前に軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、もし実行されていれば
生き残ったのは軍人5万人と逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人ではもはや国家とは呼べない。
カンボジア解放後、残った国民の85%が14歳以下の子供であった。

これらの出来事が起こってからまだ30年弱。
決して遠い昔の話ではない。
つい最近に現実にあった悪夢。
これがクメール・ルージュ、そして純朴なる共産主義者・ポルポトの夢見た『理想』のなれの果てなのだ。

END

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21:45
感動物語だと思う2
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私には、とても優しいばあちゃんがいた。
泣いた時なんかは、
「どうしたぁ?そんたに泣いて?」
と言ってくれて相談にのってくれたし、虐められたら、精一杯励ましてくれた。
ある日、そんなばあちゃんと喧嘩をしてしまった。 私は、ばあちゃんに、

「そんな、ばあちゃん死んじゃえばいいのに!!」 と、言ってしまったのだ!それでもばあちゃんは、 「ほんとにごめんねぇ、たしかにこんなばあちゃん死んだほうがいいねぇ、許さなくていいから、せめて謝らせてねぇ。」

「いいよそんなの!早くどっかいっちゃえ!」   「ほんとにごめんねぇ。」              …その次の日、ばあちゃんが、           死んだ。                 

昨日喧嘩したばかりなのに沢山涙が出てきた。    私は思い出した、昨日の自分の発言を。      「そんなばあちゃんなんか死んじゃえ!」      私はかなり悔いた。             

何でこんな事を言ってしまったのだろう!?
私のせいで、ばあちゃんは死んでしまったのではないか?私は、ばあちゃんの部屋に行きばあちゃんの写真を見ながら泣いた。

そのとき、写真から水が出てきた。それと同時に、
「何で泣ぐ?ばあちゃん死んだのはお前のせいじゃないんだから。私の事は忘れて前向いて生きていってねぇ」
「ばあちゃん!?ね、ねぇばあちゃん!昨日は言い過ぎたよ、ごめんね!」
「謝る必要はねぇ、私も悪いんだから。」
「そんなこと、そんなこと、ないよ…」
「もう逝かなくちゃねぇ」
「バイバイ、おばあちゃん、本当にごめんね。」
「それじゃあ、またね。そして、ありがとう。」
「ーーーっ!!」
「じゃあね。」
「待って!ばあちゃん!!」


それから声は聞こえなくなった。
その日私は泣いた、枯れるほど、大声で。
次の日、私は、前を向いて生きていく事にした。天国のばあちゃんに私は元気だよ!と伝えるために。   END
SP:泣いてしまった。(:ω:)

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21:38
君の後ろ2
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その次の日A君は気になるものを見た
C君の後ろにあの見知らぬ人がたっていた
一瞬驚いたがすぐにその人は消えた

その三日後
朝のHRで驚くべきことが伝えられた
〜C君が登校中に事故にあった〜
大型トラックにはねられ即死だったそうだ
そのときA君は見た
なんとB君の後ろにあの見知らぬ人がたっているではないかそしてまたその見知らぬ人は消えた
そのときA君は直感した
B君が危ない!

このことを伝えるとB君は顔を青ざめこう言った
B「俺は家からでない!絶対にでない!死にたくない!」







そういったB君は次の日からこなくなった

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21:36
切ない話だったので、コピペです。
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高校時代の話

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。

END

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21:33
感動物語だと思う。
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去年のちょうど今頃の話なんだが。
仕事の関係で俺はほとんど日本にいなかった。
で、六ヶ月振りに日本に帰って来たんだよ。
帰ってきた港の直ぐ近くに祖母と叔父夫婦が住んでる家があったんで、土産持ってな。
んで、いつも通り「おいばばぁ!今年の夏は暑いけどくたばってへんやろなw」とか言いながら家に入った訳。
でも祖母の返事が返ってこない。いつもなら「お前こそ死んだと思ってたわwwww」とか笑いながら出てくるのに。
で、代わりに出てきたのが叔父。「ばあさん、3月に脳梗塞で・・・」って突然言われたんだよ。
慌てて祖父の仏壇のある仏間に行ったら、祖父の遺影の横に祖母の遺影が。

俺もう、大声出して泣いたのよ。祖母は大好きだったのに、その死に目にも会えなかったのかよってな。
そしたら、突然祖母の声が聞こえたんだよ。

「○○(俺の名前)、うちが死んだら笑ってやるって言ってたやないか!笑え!」

ってな。一緒にそこにいた叔父夫婦もしっかり聞こえたらしい。
もうそこからは俺も叔父夫婦も大笑いしながら大泣き。
滲んで良く見えない視界の隅で、祖母の遺影が笑ったような気がした。 END

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21:28
残酷な話(心の弱い方は見ないほうが良い)
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これはアメリカでの話。
3月が終わったばかりの、ある寒い夜のことだ。
ある男が、分娩室の前で祈りを捧げていた。
「神様、どうか妻とわが子を助けてください」
男の妻は生まれつき体が弱く、出産に耐えられないため帝王切開を選んだが、
それでも命さえ危険であった。
妻と、エイプリルと名づけたまだ見ぬ我が子の無事を祈って・・・
その時、分娩室のドアが開いた。

「極めて難しい手術でしたが、お子さんも、奥様も、良好な状態です。おめでとうございます」

男は喜びに涙を流し、分娩室に駆け込んだ。
が、そこにいたのは手術台の上で血まみれで絶命した妻と、床に落ちて死んだ我が子だった。

背後で医者が叫んだ。
「エイプリルフール!!」

END((゜Д゜))ガクガク

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21:26
有名かもしれません
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Aさんはあるアパートの一番端の部屋を借りた。部屋は、家賃の割に広く、いい部屋だった。
しかし、それには訳があるのでした・・・。
ある日の夜、Aさんは不審な音で目を覚ました。
壁から「カツカツ」とおとがするのだ。最初は「あぁ、隣の部屋の人、まだ起きているのか」と思った。
しかし、よく考えてみると、音が聞こえてくる方向には、部屋がない筈だ。

おかしいと思ったのだが、そのまま寝てしまった。
翌日、外出した時に、ふとアパートを見た。何かがおかしい。Aさんのの部屋の隣の部屋がないはずのところにもう一部屋作れるくらいのスペースがある。しかしそこは、アパートと同じ色の壁で、封鎖しているかのように、ドアや窓があったらしきところを隠している。
最初に見た時は、しっかり見なかったので、気がつかなかった。Aさんは、大家さんのもとを訪ねた。あそこには部屋があったのか?と訊いたのだが、大家さんは「ない」と言い、それ以上話してくれなかった。

何か事件があったのだと思い、探りをいれてみた。
すると、3年前、その部屋で、子供をクローゼットのなかで監禁していた という事件があったことが判明した。子供は、自分の手をかじり、血で、「タスケテ」とたくさん書いていたそうだ。しばらくして、子供は餓死したらしい。
Aさんは、幽霊や怪奇現象はかなりすきだったので、幽霊を見れるんじゃないかと思い、引っ越さなかった。
その日の夜、また「カツカツ」という音に目を覚ました。
Aさんは軽い好奇心で、となりの部屋を見てみようと思った。そして、隣の部屋のドアがあるらしきところの壁を壊し、中に入った。例のクローゼットは、自分の部屋の方向の壁のところにあった。
おそるおそるクローゼットの中を覗いてみると、そこには
血で「死ね」とたくさん書いてあった・・・。
そのとき、開けておいたドアが乱暴に閉まった。
そこには、手が血だらけの子供が立っていた・・・。

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21:22
『携帯画面』
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 夜、布団の中で壁の方を向いて、携帯で友人にメールを打っている
時、金縛りにあった。
 全く体が動かない。目さえも動かせず、一点を凝視し続けるしかな
かった。
 一点……そう、携帯の画面を見続けていた。
 そこに、見慣れたメールの画面はなかった。誰かが、歩きながらビ
デオ撮影をしていると思われる動画が映っていた。何の変哲もない道 を歩きながら。

視点は、人の目の高さにある。自分が歩きながら見ている風景のようにも見える。画面の奥から手前に向かって歩いてくる人もいれば、 視点と同じ方向に歩いている、背を向けた人物も何人かいる。画面の 中央には、視点と全く同じ速度で歩く人物が背を向けていた。どうや らその人物を追っている映像らしい。夜、家路の途中であるようだ。
 映像は非常に滑らかだ。夜の道を滑るように移動している。誰かがビデオカメラを持ちながら歩いているのであれば、多少の手ぶれもあ りそうなものだが、映像にはそれが一切なかった。生きた対象を捉え た映像ながら、それを追っている側に生の香りがしない。
 主人公と思しき人物が家に着く。一人暮らしらしい。テレビをつけ、 風呂に入り、ビールを飲み、夕食を食べる。その一部始終を背後から 見る。

やがて床についた。すぐには寝付けないらしく、布団にくるまりな がら、携帯でメールを打ち始めた。やがてその人物は、壁の方を向い たまま動かなくなった。一心に、携帯の画面に見入っているようだ。  先程からかれこれ三十分近く、この映像のまま動かない。金縛りも 解けない。映像の視点から主人公と思しきその人物までは、1メート ルもないほどの至近距離である。

END

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