□そして旅を。
1ページ/1ページ

夢や希望があればなんだって出来る。なぜなら夢は力の源だから。なぜなら希望は光の収束物だから。

「夢も希望もないならどうすりゃいい?」

 ぽつりと一言呟いて思いきりテレビを殴った。痛い。痛いけど液晶は見事に割れた。さっきまでくだらない詩を歌っていた奴はもう映らない。あ、どうしよう。
 店員が走ってくる。なんだか知らないけど怯えてるように見える。困った。やってしまった。買わなきゃいけないのかな?
 頭の中で財布を開く。ついでに銀行の貯金額を思い出してみる。財布の中には諭吉が一枚。銀行は?三日前に競馬に突っ込んで負けたから無いな。
 いつの間にか店員はもう目の前にいた。捕まるか。面倒だ。生きるのも、抗うのも。
 その時、まるで走馬灯のように記憶が脳内を駆け巡った。
 え?俺、死ぬの?
 馬鹿馬鹿しい。死ぬ訳がない。なのになんだろう、この悪寒。何かが危険だ。
 そう考えたら後戻りは出来なかった。気付いたらやっていた。さっきと一緒。うーんと唸り地面を転がる店員を見る。
 店員の顔はみるみる俺の顔になっていく。気持ち悪い。死人の面だ。


 一度も足を止めずに走り続けた。息が苦しい。でも走った。死ぬまで走ろうと思った。死ぬまで走ったらどうなるのか知りたかった。頭の中にさっきの電気屋での出来事は無かった。ただ、走った。無我夢中で走った。みっともなくなっても走った。通り過ぎる人は皆白い目で俺を見る。そりゃそうだ。こんな人間は頭がおかしい。でも死ぬ事は無かった。でも死ぬ事は無かった。
 アスファルトの地面はごつごつとしているけど、冷たくて心地が良い。長い距離を走ったみたいで足は棒だ。人通りは少ないから大事になりそうはない。たまに通る人も俺に無関心だ。なんだか心地良い。透明になったのかな。
 そんな中で考えた。さっきのテレビの歌手のあのセリフ。夢や希望。俺にそんなの、まだあったかな?


 十六歳の時に家出した。一年間バイトして溜めた金は十五万程度だったけど、十五万あればなんでも出来る気がしたから。
 とりあえず東京に行ってみた。夢も希望も割とあった気がする。やってみたかったからバンドを組んだ。弾けもしないくせにギタリストだと名乗って。直ぐに弾けないとばれた。だから歌わせろと言った。ボーカルになった。売れないバンドマン。ありきたりな職業だった。
 十七歳の時に彼女ができた。ライブを見に来た女の子で、ライブの魔力に惑わされたようだった。スポットライトは人間を美化する。それを知らない女の子だった。その日から二十歳まで金には困らなかった。
 十九歳の夏にチャンスが巡ってきた。マイナーレーベルがどうやら気に入ってくれたらしい。だけどそれは俺に関係が無かった。必要とされたのはバンドの音と詩だけだったから。俺の歌は邪魔なだけだと。作詩は俺だったけどそれをする気は無かった。だからいち早くバンドを抜けた。
 二十歳の時に女が死んだ。自殺。誰のせいでもないと思った。家に帰ったら首を吊っていた。首吊りは糞尿が出ると聞いたけど出ていなかった。綺麗好きだもんな。そう言って女を降ろして横で眠った。暖かいような冷たいような。固いような柔らかいような。頭を撫でるとシャンプーの匂いがした。この匂いだけが好きだった。


 気付けば五年が経っていた。働く意義も理由も見つからずにその辺に歩く学生を脅しては金を貰う。きっと世界の中で最低辺に位置するんだろう。だから、そう。夢も希望も無いんだよ。
 夢も希望も裏返せば絶望となるなら、俺は、ぼくは、絶望を知らない。

 
 遠い所から自分の姿を見てみたくなった、望遠鏡を覗いて人を眺めた。ぼくの顔はどれも虚ろで、誰もが俯いて歩いてた。気持ち悪い。
 頭の中で言葉が反復されていく。気持ち悪い、のリフレイン。機械で無理矢理作られた残像の中で気持ち悪い、ただそれだけが聞こえる。
 夢も希望もない。この世界には夢も希望もない。みんな、気持ち悪い。


 意識が溶解されながら街を歩く。道行くぼくは皆ぼくを見て笑うだけ。
 首が重い。痛い。苦しい。それでも必死に首を上げた。空が見えた。夢も希望もない空。
 それが必要でそれがない世界なら、その世界を壊して新しい世界を作ろう。必死に、必死に、生きていこう。
 夢も希望もない世界。
 俺は抜け出して行く。
 必死に、必死に。



.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ