暗
□蝶の翼
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" 僕達は滅びる、確実に。
僕達は見捨てられた。
僕達は苦しむ、永続に。
死して尚怨みは残るだろう、きっとそれが僕達を蝕むだろう。"
「はあ」
重い、重い溜め息が教室を舞った。
それは教室の空気を一段と重くするだけの物だから、異物とならず、すんなりと溶け込む。
景色はあまりにも鮮やかだった。
いつもならこの季節、冬の美味を求めて観光客が賑わうというのに、今年は観光客が一人もいない。
お蔭様で綺麗で、どこか優雅な情景を、島民である僕達は僕達の物だけに出来る。
……これは皮肉だ。
くだらないと投げ捨てたくなる程に皮肉だ。
僕達は捨てられたのだ。
日の丸を掲げたこの国に。
いや、捨てられただけならばこんなに問題にはならないのかもしれない。
僕達は見捨てられ、尚且つ自由を失った。
原因不明の感染症に医者達は次々にさじを投げ、遂には島ごと隔離されてしまい、そして、だから、自由を失った。
籠の中の鳥ではなく、翼を裂かれた鳥のように、広大な海だけが僕達を包み、広大な海が壁となる。
この寒空の下、海を泳ぐ事は不可能だった。
かといって船を使えば国家警備隊を称した悪魔共が船を蜂の巣にする。
逃げ場は無く、ただただ死を迎えるのみだ。
人口百九十六人と二百人に満たない小さな島。
揚羽島と呼ばれる由縁は島の形がそうだったと言われている。
長年の波打ちは島の形を変えてしまって、今では何が揚羽なのかは解りはしない。
そもそも原因不明の奇病―揚羽島の名前により揚羽病と言われている―を作り出したのは貪欲な金持ちのせいだった。
彼等は島の奥に眠ると言われる宝を捜して立入禁止の場所に足を踏み入れてしまった。
想像は難しくないだろう。
まるで、そう。パンドラの箱のようだ。
パンドラ、か。もし本当にそうなら、最後には一体何が残ったんだろう。
"立入禁止"
そう書かれた看板は無残にも道端に寝そべっている。
元来この先は神の都と云う胡散臭い場所がある。老人達だけがその場所を崇め、恐れていた場所だ。
だけど、昭和後期共に平成産まれの子供達―当然、僕も含まれる―は老人の戯言だと思って耳を傾けなかった。
現にあそこはただの遊び場だった。なのに今はどうだろう。
どこか不気味で、流れる風さえも遮らんとするような、何故か、僕が、僕達が足を踏み入れる権利など無いように思える。
パンドラの箱。本当に希望は残されたまま閉じられたのだろうか。
奥に進めば進む程に道は険しくなっていく。子供の頃は苦もなく駆け回ったのに、今じゃ足元を這う木の根に気をつけなきゃ歩く事もままならない。
経験は時を加速させる。いつか先生が言っていたな。最後に見たのは、そう、本土の人間に揚羽病を移すと船に乗り込んだ時だ。
人間の全てを捨てなければ手にいれられないような瞳を忘れる事が出来るかな。いや、どうでもいいか。どうせ僕も直ぐに死ぬ。
あの熱狂は凄かった。
島の公民館に集まった全島民は本土への復讐を胸に度々大声を張り上げる。
母親達は年端もいかぬ子供を置いて行く事に躊躇いを感じさせず、いや、子供達が見えて無かったのかもしれない。置いてかれた子供達は親の名前を泣き叫び、死んだ。
死の合図は、眼球が外に押し出される事にあった。あれは、本当に奇妙な光景だった。
次々に眼球が押し出されて、次に真っ赤な血を吐いて。
公民館に残された死体、眼球、血。
血を寄り所に寄り添う眼球、死体。
皆、泣いていた。
空っぽの眼で、泣いていた。
獣道を歩く事二時間。
僕はようやくたどり着いた。
そこは大きな赤い鳥居と、沢山の墓石に囲まれた神社だった。
こんな島に、こんな気味の悪い、尚且つ不思議な場所があるなんて知らなかった。何故だか興奮を覚える。この空間が禁断の地であることを肌で感じているから。
子供が石を投げて遊んだのか、神社の襖に貼られた紙はどれも破られてしまっている。
薄暗い中は意外にも広く、奥行きが身震いすらも感じさせた。
歩く毎に軋む床。
腐った木の壁の隙間を縫って音を奏でる遮断の風。
全てが僕を嫌う。此処は紛れも無く神の都だ。
突き当たりの調度中心にそれはあった。
パンドラの箱。揚羽の宝。災厄の元。
神の体内を犯すかのように、宝箱を開く手には汗が滲む。
本当に見てしまっていいのか。本当に知っていいのか。だけれど僕は思う。
僕達は神を信じない、と。
「おめでとう。君は今回の成功者だ」
箱の中にあるレコーダーは、箱を開けた途端に再生を始めた。
「幾つか混乱する点はあるだろう。だが、紛れも無く生き残ったのは君だ。世界最高峰のウイルスを体に宿してね。申し訳ないが、君達揚羽島民は何十年も前から管理させて貰っていた。そして、誰かが産まれる度に極少量のウイルス、揚羽菌を注入していたんだ。そして今年、ウイルスをばらまいた。生き残った君の体には揚羽菌の抗体がある。抗体を作るのには人の体が手っ取り早くてね、すまないがそういう事だ。そうそうこれから君を迎えに行――」
そう。僕達は滅ぶ。
苦しみ、もがき、涙し。
皆、翼は裂かれたと思っていた。
違ったんだ。
翼はあった。ただ、飛び方を忘れていただけ。
翼を見つけた僕は自由だ。
永遠に籠の中だけれど、飛び回れる。
結局、パンドラの箱に残ったのは"望み"だったのかな。
絶望、表裏は希望。
屈託の無い笑顔と共に、ヘリコプターの中で僕は右手を握りしめる。
ナイフは肉を切り血を流す。血はウイルスを含む禁断だ。
彼等は眼球を押し出してもがくんだ。
そうだ、もう一度笑おう。
やっと自由になれたのだから。
だから言おう。
「これは皮肉だ」
僕達は滅びる、確実に。