ホ宝物展示場ホ書庫
□いとしさに満ちた場所
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夜中に不吉な夢を見て、飛び起きることがある。
たとえば、赤い夢。あの雪降る夜に俺が犯した罪咎。
たとえば、白い夢。あのカフェテリアで毒によって意識を奪われていく絶望。
たとえば、青い夢。あの強い輝きを秘めた男が俺を拒絶する未来。
たとえば、黒い夢。このポンコツの身体がついにイカレてしまう、現実。
夢と現実と空想とが織り交ざったそれは妙にリアリティがあって、そのたびに俺は声もなく飛び起きる。
(クッ……闇はまだ深いってわけか)
早いビートを刻む胸元を押さえ、荒い呼吸を整える。
ガンガンと痛む頭に簡易マスクを装着し、隣で寝入るヤツの姿を視界で確認しようとした。
「まる、ほどう……?」
常であれば、いつも健やかな寝息を漏らして子供のように無防備に寝入る恋人。
その寝顔を見るだけで悪夢に翻弄された心は和らぎを得るというのに、なぜ今夜に限ってその寝顔がないのだろう。
月明かりの差し込む中、いるべき場所にはぽっかりと空間が開いていて。
触れると先ほどまでそこにいたという温もりが残っていた。
(どこに、行きやがった?)
就寝時は一緒だった。いっこうにまぶたを閉じないコネコちゃんを愛して、そうして泥のように眠らせたのだ。
だが、それからどうしたのだろう。夢うつつの中、腕の中に成歩堂の身体を抱きしめたことは覚えているが。
(俺が寝ている隙に家出しちゃったのか?)
夢の中で膨張した不安が、ザワリと闇に広がる。
かつても、意識しない長年の眠りの果てに、大切な女を失っていた。
それと同じことが起こっている気がして、血の気がどんどん引いていく。
目覚めた時に、成歩堂がいない。たったそれだけの事実。
それなのに、気がおかしくなるほど焦る自分を感じ、俺はギリと奥歯を噛みしめた。
「あれ、起きたんですか、ゴドーさん」
緊迫した空気を一気にぶち壊す、緩んだ声が響き。
俺ははっと息をのみ、そちらへ視線を投げた。
「アンタ……どこに行っていたんだ?」
「どこって、ちょっと腕を抜け出しただけですよ」
寝乱れた寝巻き姿の、ぼさぼさ頭の成歩堂は、小さく笑みを浮かべ、何かを持ったままベッドをよじ登ってくる。
「ハイハイ、ゴドーさん、横になって下さい」
上半身を起こしていた俺を無理やり横たわらせると、手にしていたものをベッドヘッドや枕の下に突っ込み。
そしてそのまま寝転がり、互いの身体に布団をひっかけて、ポンポンと俺の肩を叩く。
なんとなく拍子抜けしながら枕に頭を乗せると、ふわりとラベンダーの香りがした。
先ほどまではなかったそれに、成歩堂が枕の下に突っ込んだのは、おそらくアロマをしみこませた何かだと分かる。
「なぁ、まるほどう……。闇夜に漂う花の香りは一体何を意味しているんだい?」
「あ、ゴドーさん、目を開けないで下さいよ。説明しますから、目をつぶったままリラックスして聞いて下さいね」
成歩堂の手が顔にあった簡易マスクを外したのを受け、言われるまま目を閉じる。
かすかな花の香りと優しい静寂。
隣にあるコイツの気配が俺を落ち着け、荒ぶった感情が穏やかになっていく。
そんな、不思議な心地を味わっていると、子守唄のように優しい声音が届いた。
「悪い夢でも見てるのか、よくうなされてるじゃないですか、ゴドーさん。だから、安眠グッズを用意したんですよ。今の今まで忘れてたんですけどね、さっきうなされてたから、ちょうどいいやってんで持ってきたんです」
枕の下にある獏の形をしたハーブの香りは安眠を。
ベッドヘッドにあるドリームキャッチャーは良い夢だけをふるいにかけて。
実はヒツジの形のアイピローもあるんですよ、なんて真面目ぶって言われた日にゃ、笑うしかないだろう。
――あまりに、……いとおしすぎて。
「そうかい、そいつはありがとうよ、まるほどう。……だが一つ忘れてるぜ、俺に一番幸せな安眠を与えるものを、な」
え、それって何ですか、と勢いこんでたずねる成歩堂を手探りで抱き寄せ、俺はその耳へ直接ささやきかけた。