□甘い誘惑
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日が差す時間が少しずつ長さを増し、ふとした瞬間に春の訪れが間近なのだと思わせる反面、冷え切った空気は肌を刺すように痛く、いまだ冬だと訴える。特に2月初旬はぐっと冷え込む為、なかなか春の訪れを感じるのは容易ではない。
…今宵もひどく冷える。どうやら寒波が押し寄せていて近いうちに雪が降るだろう、とニュースで見たのは今朝の話で、まだ記憶に新しい。
そんな夜でも秋はセーター一枚で部屋をうろうろしている。座木は時折、秋は自分のこと(心身共に、だ。)に関して無頓着すぎるだろうと思うことがある。
夕食後、秋に「後で部屋に来い。」と呼び出されたので、食器の片づけ・風呂などを手早く済ませてから部屋に向かった。ノックをし、部屋に踏み込むと夕食時に見たままの薄いロングシャツのみで彼は出迎えた。

「風邪などひかれないようにしてくださいね?」

部屋に入ってから発した初めての言葉がこれだったのだが、秋は座木の小言になど聞く耳持たずただ「んー。」とだけ答えた。
自分の寝床に横になって読書をしていた秋は、あっさりとそれを止めて座り直すと、布団をポンポン、と叩く。「ここに座れ」ということだろう。

さて、何がはじまるのか。と正した姿勢で向かい合うと、秋は包みの開いた小さな箱を差し出した。引き出された内側には四角く整えられ、ココアのまぶされたものがきれいに配置されている。これは…

「チョコ、ですか?」

「ん、お前にやる。」

「はあ、それはまた…何故?」

真意を図りかねて秋を見つめると、彼は顔を綻ばせた。ただしそれは華麗な笑顔ではなく、何とも言えない含みを帯びた笑み。これは、そう。悪戯を思いついた子供のような…。

「今日はバレンタインだからな。」

「え、あ、ありがとうございます。」

まさか秋にバレンタインのチョコなど貰う日が来ようとは…。座木は手渡されたものをまじまじと見つめた。気持ちは嬉しいのだが、何故秋は急にこんなことをしたのか不思議だった。そしてもうひとつの疑問。

「あの、もうすでに開封されているのですが?」

「ああ、どうせここで食べるから開けといた。」

「それはそれは…。どうもご丁寧に。」

確かに包みを剥がすという作業はなくなるが、バレンタインという行事ではこの包みもいかに工夫し美しくみせるか、というのも大切な要素であると思うのだが、そこは口から出さないことにしよう。

それにしても、本当にどういう風の吹き回しか。バレンタインといえば、秋風に言うと「メルヒェン」な行事で、彼が好むようなものではないと思うのだが。(事実、今まで共に生活してきて一度たりとも彼からこのようなことをしてもらったことはないので、多分正しいだろう。)


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