text〜藤メフィ

□しゃぼんだま ☆☆☆
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今宵は満月。
夜も更けった暗がりで、月の灯りだけが室内を照らす中、虚無界を捨て物質界に何百年も居続ける悪魔が一筋の涙を零す。
彼の名はメフィスト・フェレス。
正十字騎士團に二百年以上協力する名誉騎士であると共に、正十字学園の理事長も務めている。
そんな彼が常日頃から時を刻んでいる場所。
それは、正十字学園最上部に位置する理事長室。
静寂に包まれた室内で、メフィストは大切に保管している藤本獅郎の形見として引き取った銀のブローチを先程からずっと眺めている。
時々引き出しから大切そうに出して机の上で眺めては、また戻す。
こんな事をもう何ヶ月も続けている。

「もう、半年を優に越えましたね」

誰に聞かせるでもなくメフィストはそう呟くと、月の灯りでキラリと光る銀のブローチを優しく撫でた。


藤本獅郎が生涯を閉じて九ヶ月という月日が経とうとしていた。
双子の後継人となったメフィストはそれなりに忙しく過ごしてはいるものの、月命日が訪れると、何故か自然と涙を零した。
悪魔が人間のように涙を流すなんて馬鹿馬鹿しい。
そう、心の中で呟きながらも、何故か悪い気はしなかった。
こんな感情を植え付けたのは、紛れもなく藤本獅郎ただ一人。

「責任取ってくださいよ、藤本」

故人は空に上る。
ふと、そんな事を思い浮かべてメフィストは窓辺に立ち空を見上げた。

「会いたいです、………獅郎」


☆☆☆


フワフワと雪が舞う十二月。
寒いのが大の苦手なメフィストは、真っ白なコートを身に纏いある場所を訪れていた。
月に一度、團員を引き連れる事なく訪れるそこは、メフィストにとって、藤本との終わりを告げる場所。
だったはずが…
藤本獅郎の葬儀が行われたあの日、最後の別れを告げようと心に決めていたというのに、いざ墓前に立つとその決心は脆くも崩れた。
自分の心とは裏腹に、軽快に奏でる携帯の通話ボタンを押すと、通話口からはサタンの落胤である奥村燐の声がした。
墓前で出会ったその彼は、血縁ではないというのに、藤本によく似ていた。
藤本の事を忘れるつもりだったのに、始めから双子の後継人になるレールを敷かれていたようで、忘れる事を許されない。
訪れるはずの別れは一向に訪れず…
藤本はメフィストの心にずっと存在し続けている。

葬儀の後の燐との出会いを思い出し、あれからもう、すっかり季節が変わってしまった。
と、メフィストは空を見上げた。
降り止まない雪は辺りの墓石に積もり、眼前の藤本の墓にもすっかり雪が降り積もっている。

「今日はよく降りますね…」

藤本に話しかけるように呟くと、メフィストは厚手の手袋を外して雪を払う。
足元には数センチにも重なる雪がバサバサと落ち、藤本の墓だけが光って見える。
メフィストは、悴んだ指をギュッと握り込んでいると、何故か近くから声がしたような気がした。

『手袋外したら冷てぇだろーが』

一瞬耳に響いた藤本の声。
しばらく聞いていないと言うのに、随分鮮明に聞こえるもんだと、メフィストは笑う。

「いよいよ私も末期のようだ」

幻聴が聞こえ始めた事にメフィストは肩を落とし、五百年以上生きてきた悪魔である自分が、たった一人の人間に固執し、亡くなってからも引きずっている、だなんてどうしたもんかと、墓前で目を瞑って蹲った。
伏せた瞳からはポロポロと涙が零れ頬を濡らし、握り込んでいた指先はカタカタと震えた。
そして、降り止まない雪は、メフィストと藤本の墓にハラハラと落ち、少しずつ積もり始める。
メフィストは冷たくなった自分の手を擦り合わすと、ハァと息を吹きかけた。

「さよならも言わせて貰えなかった私には、心残りがたくさんあるのですよ、藤本。もっと…」

手を繋いでおけば良かった。
と、殆ど音にならないような声でメフィストは言った。
昔、藤本が手を繋ごうと言う度に拒んでは自分に嘘を吐いた。
ホントは手を繋ぎたくて、もっと藤本に触れて欲しくて、それでも悪魔という自分が邪魔をして素直になれなかった。
だから、今更ながらに後悔の波に押し寄せられ、メフィストは苦しんでいる。

「生まれ変わったら…もっと、素直な私を…」
『今、見せてくれよ』

やはり、メフィストの耳には藤本の声が聞こえるようだ。
先程は幻聴だと思っていたが、二度も鮮明に声を聞いてしまっては、もう傍に居るとしか思えない。
しかし、確かに藤本は死んだ。
どう考えたってここに居る筈がない。
葛藤はあるものの、メフィストは藤本の墓に目を向けたまま、恐る恐る言葉を発する。

「藤本…。居るんですか?」

しかし、返事は帰ってこない。
当然だ。
桜の蕾がつき始めた三月のあの日、藤本はサタンに憑依され、燐を守るため、自ら命を絶ち生涯を終えた。
そう、藤本がここに居る筈がない。
それでも、今は地に眠っている筈の藤本の声が聞きたい。
もう一度名を呼ばれたい。
きっと、あまりにも強い願望が、都合の良い自分の耳に、低くて落ち着いたトーンの藤本の声を届けたのだ。
メフィストは地面に膝を着き、何層にも重なった雪を掴むと、悪魔である自分がどうしたもんかと笑って神頼みをする。

「神よ。一度でいい、藤本の声を…」

しん、と静まり返ったこの場所で悪魔が指を絡ませ祈りを捧げる。
何とも不思議な光景ではあるが、メフィストは真剣だった。
縋るものはもう、神しかいない。
すると…

『メフィスト』

どうやら神は悪魔にも平等に願いを聞いてくださったようだ。
耳に届いた、低くて心地良い声。

「藤本…」

この墓前で何度目かの涙を流すと、メフィストの手に重なるように小さな傷が幾つも残る手が重なった。
その手は透けて自分の手に触れた感覚さえないものの、藤本の手だとすぐにわかった。

「藤本!」
「よぉ、メフィスト。悪魔のお前が、何、神頼
みなんかしてんだよ。…おい、泣いてんのか?」
「泣いてません!」

メフィストは空いた方の手で目元をゴシゴシ擦ると、目の前の藤本をまじまじと見た。

「貴方、何で…?」
「なんだかよぉ。俺の事が大好きで仕方がない悪魔がいつまで経っても泣いてるから、死にきれなくてなぁ」
「っ…!」
「ただいま」
「おかえり、なんて言うと思ったら大間違いですよ」

ぷいっと音がしそうな様で、メフィストはそっぽを向くと、横目でチラッと藤本を見た。

「貴方、透けてるじゃないですか。これじゃあ、帰ってきたとは言えませんよ」
「なんだよ。もっと喜ぶと思ったのに。ま、涙は止まったから、良しとするか」

そう言って、生前と変わらぬ悪戯な笑顔を見せる藤本を見て、メフィストはまた泣きそうになるのを堪えた。

「事情はゆっくり話すから、とりあえずお前んち行こうぜ」
「はぁ?さっぱり意味が分かりません。うちに来てどうするおつもりですか?」
「居候」

再度、悪戯な笑顔を見せた藤本に対して、メフィストは大きな溜息を吐く。

「わかりました。その代わり、きちんと事情を話してください」
「もちろんだ」


☆☆☆


無限の鍵を使い、向かった先は理事長室。
整った空調にホッとしたメフィストは、雪で濡れたコートを脱ぐと、振り返って藤本を見た。

「感覚は?」
「ねーよ」
「そうですか。じゃあ、寒さや暑さを感じないという事ですね」
「そうだな」

藤本は懐かしげにソファを撫でると、いつも座っていた場所に腰を掛ける。
メフィストはというと、何を話したらいいのか、正確に言うと何から聞いたら良いのかわからず、藤本の視線から逃れるように俯いた。

「今日は随分と大人しいじゃねーか」
「そっ…そんなことないです」
「そうか?じゃあ、こっち来いよ」

藤本は生前と変わらない空気を纏い、メフィストに手招きをする。
そんな仕草にドキッと胸が跳ね、少し距離を置いて藤本の隣に座る。

「近う寄れ」
「何ですか?それ」
「知らねーのかよ。昔、日本に居た殿様とかは、そういう風に言って、人を呼び寄せたもんだよ」
「おぉ、それはまさに侍スピリッツ!」

メフィストは目を輝かせてピッタリとくっつくと、急に恥ずかしくなって俯いた。
しかし、くっつくと言っても、藤本の透けた体に触れても感覚はない。
この状況がいつまで続くのかと不安になっていると、それが顔に出ていたのか、藤本の方から口を開いた。

「悪かったな」
「何の事です?」
「何も言わずにお前を置いてっちまって」

藤本はそう言いながら、膝の上でギュッと握り拳を作った。
そんな様を見て、残された方だけではなく、先に逝った方も辛かったのだと、メフィストは理解した。

「触れてーなぁ」
「何に、ですか?」
「お前にだよ」

そう言うと、藤本はメフィストの手に自分の手を重ねてみる。
しかし、触れた感触はなく、ただ重なって見えるだけ。

「それ、いつ戻るんですか?まさか、ずっと戻らないんじゃ」
「そんな事ねーよ。ただ、神様に言われた託をきっちり守らなくちゃなんねーんだけどな」
「それは一体、何ですか?」

藤本の体が完全体になるのであれば、何でもしたい。
自分に出来る事全てで、藤本を取り戻したい。
そう、メフィストは強く思った。
しかし、その内容を藤本は言えないと言う。

「神様からの託っつーのは言えねーんだわ」
「貴方、先程から神様神様と言っていますが、本当に神様というのが貴方をこの世に戻してくれたのですか?」
「あぁ、そうだ」

藤本はメフィストの顔を覗き込んで、にやりと笑うと、そのまま話を続けた。

「めそめそ泣き続けるお前を見てたら居ても立ってもいられなくなってよぉ。それで神様んとこ行って、生き返らせてくれーって言ったら、条件付きで生き返らせてくれたって訳だ」
「そんな簡単に?しかも、悪魔のために神が力を貸すなんて、そんな事あり得るのでしょうか」
「生前の俺の行いが良かったからじゃねーか?」
「貴方の行いがですか?」

そう言ってメフィストは笑うと、藤本はホッとした表情を見せた。

「やっと笑ったな」
「何ですか、急に」
「お前、ずっと不安そうな顔してっからよ」

藤本は触れられないのを承知でメフィストの頭を撫でる。
生前にもこうやって頭を撫でては、触覚の様に跳ね上がった髪が引っ掛かったなぁ、なんて思って少し寂しさを感じた。
もう、あの頃には戻れない。

「なぁ、メフィスト。お前に頼みがあんだけどよぉ」
「何でしょう?私に出来る事であれば何でも言ってください」
「じゃあさ、一緒に暮らそうぜ」
「はい?」
「神様から、物質界の人間に接触するなって言われてんだわ。だから、お前の部屋で俺を匿ってくれ」

藤本は寝室を指さしながら言うと、対するメフィストはきょとんとした表情を見せた。

「神からの条件は言えないんじゃ…」
「あぁ、これぐらいは言っても大丈夫なんじゃねーか?」
「貴方、相変わらず適当ですね」
「まぁな。だから、お前が引き連れてる團員に姿を見せる訳にもいかないし、当然外にも行けねーから、寝室で過ごさせてもらうわ」
「わかりました」

メフィストは腑に落ちない様子ではあるが、立ち上がって藤本を寝室へと案内した。
寝室と言えど広さは理事長室程あり、大画面のテレビにテーブル、引き籠るには絶好の環境である。
ベッドもキングサイズで、睡眠時間を一時間程度しか取らないメフィストに、なんでこんな広さが必要なんだ?と聞いたら、頬を赤らめて返事をくれなかったっけ。
この先どれぐらいメフィストの傍に居てやる事が出来るのかわからないが、念願の同棲とやらには十分だと、藤本は思った。

「世話かけるな…」
「いえ。私は貴方が戻って来てくれたというだけで、嬉しくて。神とは本当に存在するのですね」
「悪魔が存在するんだ。神様だって存在したっておかしくねーだろ?」
「そうですね」

藤本を生き返らせる程の力を持つ神とやらは、悪魔よりも強い力を持っているのではないかと、メフィストは思った。
そして、一生お目にかかる事はないだろう相手の存在を信じる事にした。

「藤本!もうすぐクリスマスです。神の生誕を祝う日にケーキを食べましょう」
「お前なぁ。悪魔が神の生誕を祝うなんて聞いたことねーぞ」
「いいんですよ。神は私の願いを二度も叶えてくれたのですから」

一度目は、藤本の声。
二度目は、藤本を生き返らせてくれた。
悪魔であろうが関係ない。
メフィストにとっては、神の生誕を祝う程には世話になってしまったと思っているのだ。
ピンクで統一された部屋の中で一番の面積を占めているベッドにメフィストは腰を下ろすと、温もりが直に伝わりそうな距離に藤本も腰を下ろす。

「抱きてーな」
「無理ですよ」

今は感じる事が出来ない温もりを夢見て、メフィストはそっと目を閉じた。

―早く元の姿に戻ってください、藤本。
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