text〜藤メフィ

□Medizin der Liebe ☆☆☆
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「はぁ…」

何十枚何百枚と重なった書類に目を通しながら、終わりの見えないこの作業に大きな溜息を吐く。 
気分転換にと開けた窓からは、熱を含んだ風が勢い良く吹き込み、それと共に蝉の合唱が一気に耳に飛び込んできた。

「外は暑そうですね…」

換気というのは名ばかりの行動を終え、バタンと窓を閉めると、室内はキンキンに冷えたものへと戻る。
悪魔のくせに暑いのも寒いのも大の苦手。
物質界へ来てから二百年以上が経ち、ここ数年はそんな感覚が芽生え、随分この世界に染まったものだと笑いが込み上げる。
人間と触れ合った悪魔はより人間に近付いてしまうのだろか。
ふとそんな事を思い脳裏に浮かんだのは正十字騎士團の中でも有能でいてふざけた男、藤本獅郎の顔だった。
私の頭の中を占領し過ぎですよ、藤本。
と、ぽつり呟くと、ダンッダンッと乱雑に階段を上がる足音がして、来客である事はわかっているものの、敢えてソファーに足を投げ出しゴロンと横になった。
騒がしい足音が扉の前でピタリと止まると、たった今まで響いていた騒音とは正反対に控え目なノックがする。

「どうぞ」

起き上がる事もせずノックの主の姿が見えるのを待っていると、足音だけはまた騒がしく、寝転ぶ私を至近距離で覗いてきた。

「誘ってんのか?」
「ちっ…違いますよ」

こんな出迎え方に特に深い意味はなかった。
ただ、寝転びたいと思ったのと来客のタイミングが重なったのだ。

「お前、他の奴にもこんな姿見せてんじゃねぇだろーな」
「見せてませんよ。貴方だと判っていたから…」
「寝転がって俺を誘ってたって訳か」

そう言って私の額にチュッと音を立ててキスをすると、手にしていた紙袋をテーブルの上に置いた。

「なぁ、メフィスト。緑茶あるか?」
「緑茶、ですか?ありますけど、こんな暑い日にホットで飲まれるおつもりですか?」
「こんな暑いって、このどこが暑いんだよ…?」
「そうですね」

朝から点けっぱなしの冷房で室内は長袖でないと少し寒いぐらいには冷えていた。
しかし、藤本からの緑茶のオーダーは、特に室内の温度には関係ないように思える。
いつもならブラック珈琲な彼がどうしたもんか。
そこで初めて私はテーブルの上の紙袋を再確認した。
あぁ、なるほど。
あれはきっと和菓子ですね。
全てに納得がいった私は、ソファーから起き上がると、緑茶をテーブルへ準備する。

「アインス・ツヴァイ・ドライ!」
「ほぉ!やっぱ、お前すごいな!マジシャンみてーだ」
「服装も、とか言ったら没収ですよ」
「そんな事、思ってねーよ」

テーブルに緑茶を二つ並べると、後ろから藤本が保冷バッグに入った和菓子らしきものを取り出し同じように並べた。

「あぁ、悪ぃ。皿も用意してくれ」

要求通りに小皿も用意すると、藤本はつるりとゼリーの様な物を皿へと移す。

「何ですか、これは?」
「水羊羹だ」
「水、羊羹…?」

以前藤本が土産だと持ってきた羊羹と似たような物だろうか。
色は少し薄めに見えるが…。

「何、頭にハテナいっぱい浮かべてんだよ。まぁ、食ってみろって」
「…はい」

二人でテーブルを囲み、私が一口目の水羊羹を口に運ぶのを、藤本は楽しげに見つめる。
ぷるぷると震えるそれは以前食べた羊羹に似ていて、それでいてゼリーのような食感でもあった。

「美味い!」
「だろ?」

満足げな表情を見せた藤本も水羊羹を食べ始め、暫しの沈黙。
そして、先に口を開いたのは彼の方だった。

「また一つ日本人に近付いたな」
「何を言ってるんですか。私は悪魔ですよ。日本人以前に人間でもない」

言ったそばから胸の奥がキュッと締め付けられた。
これじゃあまるで、人間にでもなりたいみたいではないですか。
まぁそんな事、この男と出会った時に気付かされてはいた。
人間になりたいと言うよりかは、目の前のこの男と同族になりたいなんて思っているからだ。

「メフィスト…」
「何ですか?」
「お前はそこらの日本人より、余程日本人らしいぜ」
「…っ!」

何気なく言う藤本の言葉に私はいつも翻弄される。無意識だから余計たちが悪い。

「どうした、メフィスト?」
「いえ…あ、ところで…」

私は話題転換しようと、今日、何故藤本がこの水羊羹を手にここを訪れたのか聞く事にした。
彼が特に用もなく訪れるのは日常茶飯事ではあるが、何かを持ってくる際は大抵が派遣先での土産物だったりする。
しかし、ここ数日はそのような任を下してはおらず、大人しく神父と講師をしていたはずだ。
だからといって、藤本は私に黙って旅行など行くタイプでもない。
あぁ、私に黙ってと言うのは、その…急な任務があっては困るからであって深い意味は、ない。

「で、今日はどうして水羊羹持参でここを訪れたのですか?」
「あぁ、何か良い和菓子はないかって話してたら、教会の奴らがここの水羊羹が美味いって教えてくれてよ」

と、言いつつ藤本は紙袋に記されている和菓
子屋の名前を私に見せた。

「で、態々買いに行ったんですか?ここ、少し遠いですよね」
「あぁ、まぁな。お前と一緒に食いたくなってよ」
「…!」

この男は平気でこんな事を言う。
今、私がどんな顔をしているのか想像するだけでもゾッとする。
顔に熱を帯びているのは確かだ。
冷えた室内なだけあって、容易にわかる。

「何赤くなってんだ?」
「赤くなんてなってません」
「そうか?」

にやにやと笑みを浮かべる藤本を無視して少し冷めてしまった緑茶を一口喉に通すと、甘味を帯びていた口内がサッパリとしたものへと変わる。
そして、もう一度緑茶を口にしようとしたところで、藤本が立ち上がって私に近付いた。

「なぁ、メフィスト。俺が何の授業担当か知ってるか?」

私の耳元に口を寄せ、少し低めのトーンで発する藤本の声は、熱を帯びている様に感じた。

「なっ…何を今更。あなたは正十字学園の悪魔薬学講師です」
「正解」

その答えと同時に柔らかいものが唇に触れ、自分より高めの体温に、藤本から口づけを受けているのだと気付く。
顎に伸ばされた手はするすると項を伝い、そこからギュッと抱き締められると、暫しの沈黙の後、藤本はこう言った。

「お前に頼みがある」

なるほど。
藤本が今日差し入れ持参で現れたのには、私に何か頼み事があったという訳ですね。

「何ですか?」

私の問いに再度藤本は耳元へ口を寄せる。

「試したい薬があるんだ」
「はぁ?」

反射的に出た自分の声があまりにも間抜けで、正直驚いた。
予想外の頼み事に、瞬時に私は藤本の顔を見ると、自分を映すその瞳が真剣そのもので、特に考える事もせず、わかりました。
と、答えを出していた。
どんな薬を試すのか聞いてはみたものの、どうやらまだ出来ていないらしく、完成したら説明する。
と、半ばはぐらかされたような形になる。
まぁ、死に至るものではないらしく、藤本に限ってそんな事はしない。
なんて、人間を信じているような物言いする悪魔は私ぐらいだろう。
しかし、この安易な承諾が自分にとってとんでもない事態を引き起こすなんて事は、今の私には知る由もなかった。
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