出会った時、彼女には「自」という意識がごっそりと抜け落ちていた。



「―――私は奴隷ですので」



なんでもその一言で全てが片付いてしまう、人としては些か、いやとても大きな欠陥を抱えた少女。もともと戦闘用奴隷であったそんな彼女を商人から買い取ったのは俺だった。

感情もなく、意志もなく人形のような彼女。それでも俺はそんな淡泊な彼女が好きだった。



「ヒュウガ少佐、距離が近いように思うのですが」



崩れることを知らない顔を向け、彼女は俺に疑問を投げ掛ける。手にはアヤたんに頼まれたであろういっぱいの書類を抱えていた。それでも小さく震えている腕は見ないふり。代わりにその書類の山に肘をついてみたりする。




「そんなことないよ」


「あの、重いのですが」


「重そうには見えないけど」


「見えなくとも重いんです。退いてください」




声を荒げることもなく、かといって眉間に皺を寄せることもない。そんな彼女にちょっかいをだすのが俺の日課だ。毎日会って、毎日くだらない会話を交わす。

始めこそ返事なんてものも機械的にしか返ってこなかったけれど、最近ではちゃんと自分の気持ちを伝えれるまでになった。


――4年。そこまでくるのに4年もかかった。






「よしよし、いい子。君が重たくて【嫌だ】っていうんなら手を除けてあげる」


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」




にっこりと笑いながら書類から退かせた手で彼女の頭を撫でてあげる。そうすれば、無表情ながらに彼女の頬が薄らと桃色に染まった。




「あ、【照れ】てるんだ、かーわいいなぁ」


「子供扱い、しないでください」




彼女はまだまだ感情というものの認知が薄いのではあるけれど、俺はいつもこうやって「楽しい?」、「悲しい?」、「嬉しい?」という感情を付け加えて訊ねてみることで彼女自身に意識をさせる方法をとっている。

アヤたんには俺にしては酷く丁寧すぎやしないかと呆れられたけれど、それでも俺はこのスタンスを崩そうとは思わない。

もちろんそれには俺なりの理由がある。いや、理由というよりも決意と言ったほうがいいかもしれないけれど。




「そうそう。いきなりなんだけどさ、今日は一緒に食堂でご飯食べようって言ってたよね?」


「はい」


「ごめんね。それまた明日にしてもらっていいかな?アヤたんから任務を頼まれて、実は今すぐ北に飛ばないといけないんだ」




彼女に、こればかりはどうしようもないんだと両手を挙げてみる。ごめんね、と瞳で告げれば、やはり端的に彼女の口から放たれる「分かりました」という言葉。

しかし、そんな事務的な処理を見せる彼女の眉尻は下がっている。彼女がこうやって表情を顔にだすということはあまり多くはない。だからこそ、今回はそれほど一緒にご飯を食べに行くのを楽しみにしていてくれたのだということが分かって、とても申し訳なく思う。

それと同時に、俺の心の中を掻き乱していくのは小さな不安だ。彼女の心の中で今渦巻いている感情が手に取るように分かって、俺は辛くなる。




「俺と離れるのが【寂しい】?引き止めないの?」


「――寂しい、ですが仕方ありません。私は奴隷なのであなたを引き止める資格がありません」


「……いつも言ってるけど、俺は君のこと奴隷だと思ってないよ」


「でも、私をあなたは買ったのでしょう?」




やっぱりだ、と俺は心が締め付けられる。

彼女をいつまでたっても苦しめるのはこのロジックだ。物心ついたときからの細胞にまで染み渡った常識は、壁紙を張り替えるように簡単にできることではないと思い知らされる。

それと同時に、どうして俺はいつまでたっても彼女をこのロジックから救い出してやれないのかと、そんな自己嫌悪にも苛まれる。

俺が出来ることはいつだって何かを教えてあげることだけ、見守ってあげることだけだ。

いてもたってもいられなくて、俺は彼女を包み込むように抱きしめる。彼女が理不尽なロジックに呑み込まれてしまわないように、ただひたすらその渦が遠のくまで守り続けることしか俺はできないから。




「……待ってて。すぐに帰ってくるからね。明日は絶対に絶対にご飯を食べようね」


「はい」


「何が食べたいか考えといてね。俺がごちそうしてあげるから」


「……でも、」


「今回は俺が君との約束を破っちゃったしね。そのお詫び」


「――…あ、ありがとうございます」


「あとね、たまには俺に甘えていいんだよ。わがままも言っていい。行かないでっていってくれたら君のために仕事なんか放り投げて一緒にいてあげる」


「――コナツさんが泣いちゃいますよ?」


「コナツは慣れてるから大丈夫だよ。俺はコナツより君が泣いてないかの方が心配。それに君と少しでも長く一緒にいたいからね」




そういって俺は額にキスを落としてみる。柄にもないおまじないというやつだった。俺が任務で離れている間、彼女に少しでもいいことが訪れますようにと。そんなことを思いながら、二度・三度と願いを落としていく。




「くすぐったいです」




もぞもぞと腕の中で身動ぐ彼女に、少し覗き込む。あまりに俺がしつこくて、子供扱いされたと勘違いしているかもしれない。怒っちゃったかもと不安になって慌てて様子を窺ってみた。

けれどもそんな中、彼女から零れていたのは小さな笑みだった。はじめて見る彼女のそれは胸板に隠れてあまりしっかりとは見えなかったのだけれど、それでも嬉しそうに微笑んだ口元だけはちゃんと確認することができた。彼女が笑った。そのことに心が歓喜する。




「痛い、です」


「ごめん、ごめん。嬉しくてつい力が、」


「――? 何か嬉しいことがあったんですか?」


「うん。今あったよ。君が笑った」


「笑った?」


「そうだよ。君はさっき――」




あぁ、俺は今きっととてつもなく情けない顔をしているのだろう。そんな姿を見られたくなくて、思わず彼女を抱く腕の力を込める。――また一歩進めたのかな。




「君が笑ったんだ」


「――なんで笑ったのでしょうか?少佐の言葉が【嬉しかった】のは事実ですが、笑うほどには楽しくはないです」


「嬉しくて笑うこともあるんだよ」


「………?」


「大丈夫。そのうち分かってくるから」




抱き締めながら頭を撫でてやる。俺も彼女もまだまだ分からないことだらけで戸惑うことも後ろを振り返ってしまうことも多い。時にはさっきみたいに自己嫌悪に苛まれて、彼女よりも俺の方が道半ばで心折れそうになったりするときもあったりもするけれど、けれど、それでもゆっくりと確かに成長している彼女がいて、そんな彼女を見ていたいと思う俺がいて。



本当は、好きだよ、と今すぐにでも想いを伝えたい。けれども、まだ彼女にはこの気持ちを受け入れるだけの用意が出来ていないことも分かっている。だからこそ、俺は彼女がちゃんと普通の人間と同じように笑ったり泣いたり怒ったり、そんな当たり前のことができるようになるまで気長に待っていようと思う。

そこには、彼女がこうなってしまう前に俺はなぜもっと早くに見つけてあげれなかったんだろうという負い目もあるのだろうけど、純粋に俺の中に彼女の成長(みらい)を見守っていたいという気持ちが確かに大きく存在するのもまた事実なのだ。

惚れた弱みなのかもしれないし、ただ単に負い目の延長なのかもしれない。


それでも俺は、これから先も彼女の傍で共に歩いていきたいと思う。だからどんなに時間がかかっても――。









ズキリ、と心を揺らす
(書き換えられていく過去の記録)







――ゆっくり歩いておいで。俺はずっと手を伸ばして君を待っててあげるから――










以上、07夢企画「→愛なら永久を築けるか」の提出作品でした。

重めですが、甘めです。なんやかんやで溺愛少佐な話なんだなぁ、と受け取って貰えたら嬉しいです。もしくは子を見守る親の眼差しでもオッケーです。


とまぁ、冗談は置いておいて、2週間の期限が1ヶ月に延びてしまって申し訳ありませんでした((深々

遅刻して書いた上にこの出来上がりというまさかの展開ですが、書かせていただけて本当に楽しかったです。
どうもありがとうございました!


10,02,10(TUE)


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