07-GHOST
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*「殺人衝動ディレッタント」と「狂気と狂喜の狭間で」の続きとなっています。アヤナミ視点、番外編です。
「……大丈夫か、ヒュウガ」
「ぁ、うん。大丈夫」
ふらつきながら廊下に歩を進めるヒュウガに声をかければ影を灯した笑みが返ってきた。
疲れ果てたというよりは、儚げ。それでいて張り詰めた糸のような緊迫さを伴っている男にアヤナミはふと蜻蛉を思い出し苦虫を潰したような顔をするしかなかった。
――本当は大丈夫ではないと思う。
それでも今までアヤナミがヒュウガを深く追究するようなことがなかったのは認め合っているからこそ。
二人の間には傷を舐め合う甘さなど必要ない。
聞くことが憚れるのは互いに信頼をしているが故であって、だからこそ「大丈夫だ」とヒュウガに言われてしまえば、アヤナミはそれ以上何かを問い詰めることができなかったのだ。
必ず一人で歩きだせると信じているからこその、見ないふり、だった。
――しかし、今回のヒュウガの様子を見る限り、これ以上放っておくのは危険かもしれないとアヤナミは思う。
ヒュウガが明らかにおかしくなったのはある任務を終えた後からだった。
島に潜むテロリストの抹殺。
ヒュウガの実力であれば、ものの二・三時間で終える何ともない任務内容であったはずなのに、しかし、それは最悪の形となって迎えてしまう。
半日経っても連絡を寄越さないヒュウガを不審に思い迎えに行けば、そこは全面肉片と赤の海。
命令に背き島一帯を殲滅した挙げ句、殺し足りないと死体をも切り裂いていくヒュウガは狂喜とも狂気とも呼べる笑みを貼りつけて楽しそうにその場に鎮座していた。
「殺してないよ。俺は我慢している」
ヒュウガが何を見て、何をもってそう判断しているのかは分からなかった。
『殺してないよ、俺は我慢している』
その言葉に抜けた主語や目的語など口にされずとも、互いに言葉にしない部分をも察し合えるだけの長い時間を共有してきたつもりだ。
ヒュウガの狂気の矛先は恐らく、アヤナミ自身。
それくらいの予想くらいついていた。
近頃のヒュウガは確かにおかしい。元から好んで戦地に駆け走る男だったが、血に飢えた獣のように完全に理性を飛ばしてくることが多くなった。
今はどうにか衝動を押さえきれているようだが、その張り詰めた糸はいつ切れてもおかしくはないほどに日に日に危ういものになっている。
闇の淵を彷徨っているかのような不安定な状態が続いて、誰彼かまわず幾度となく得物で切り伏せようとする仕草を見せてはいるあたり相当だろう。
しかし、それでもやはりアヤナミにとってヒュウガはヒュウガでしかなく、ヒュウガの身に対する漠然とした不安は抱いだくも、自分の身の危険を感じるまでには至らなかった。
それどころかおかしなことにその姿を見て、不思議と心が満たされたりするのだ。
それはきっと狂気の中に確かに存在する何かをヒュウガがアヤナミの前でだけ見せる満足気に微笑みの中で垣間見たからに他ならない。
「そんな顔しないでよ、アヤたん。俺は何もないよ?何もしてない」
「何もしていないのは分かっている」
「ちゃんと我慢してるし、大丈夫」
「……我慢してるとは、」
「殺さないように」
真っ直ぐこちらを見据えて何の躊躇いなくストンと落とされる言葉は、まるでヒュウガ自身に言い聞かしているとしか思えないもので、やはりアヤナミは何も言えなくなってしまう。
何度も繰り返されるこの呪文(やりとり)は果たして誰がためのものなのだろうか。
「――そうか。それは殊勝なことだな」
「そうでしょ。俺は偉くていい子なんだよ、アヤたん」
「あぁ。我慢できるとは感心だ。そんなお前だからこそ純粋に傍に置くことができる」
「あれれ?アヤたんがそんなこと言うなんて珍しい」
「なんだ。私が言うと不満か?」
「……ううん。なんかホッとする。俺は間違ってないんだなって。耐えられるよ。どこまでいっても頑張れると思う」
手を差し伸べるべきなのかもしれないとアヤナミは思う。
けれどもどこかこんな不安定な状態のヒュウガを見ていたいと思う歪んだ自分がそれを引き留める。
決してヒュウガを甘やかしているわけではない。これはただの我が儘だ。
どれだけ続くかは分からない。それでもギリギリのラインでも崩れることなく明確に存在しているヒュウガの私への確かな忠誠心と、今の不安定な状態の中に存在する双方の微妙な関係を失いたくないがためにアヤナミは精一杯の見ないふりをする。
ただ、その一線を越えて全てが壊れてしまうのが怖くて――。
歪んだマペットに唯一存在する正常な意志
(与えられない快楽を見ないふりをして塗り潰してやる)
10,05,3(MON)