Baby,It's you.
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昼休みの日差しをたっぷりと浴びて、私は、屋上から、正面の校舎を見下ろしました。
私たちの教室があるこの校舎に、垂直になるように建っている旧校舎。二階建ての木造建築は、薄暗くて、こんな青空のお昼なのに、じめっとして、重苦しい。
旧校舎の周りだけ、空間が切り離されているみたい。とても大きな写真を、ぺたりと貼って、それを見ているような。足りないんです、現実味が。
現に、太陽は空の真上にあって、日光は旧校舎にも届いている筈なのに、私は、旧校舎を暗いと感じているのです。視覚と感覚のズレ。その正体を見極めるように、私は旧校舎を見下ろしていました。
「ずっと見てるね、そんなに気になるんだ、旧校舎?」
『うん、幽霊、見えるかも知れないから』
背中をフェンスに預けて、舞華ちゃんが私を見ました。私の足元に膝を折り曲げて座っているため、顔を上げた舞華ちゃんは、少し、眩しそう。
「無理だよ。そこからじゃ、窓が見えないもん」
『ピアノの音くらいなら、聞こえるかも』
「聞こえないって。距離的に無理」
『幽霊だよ。距離とか、関係ないのかも』
私が言うと、舞華ちゃんは、少しだけ首を傾げました。
「じゃあ、なにが関係あるの?」
『さあ、‥‥相性とか?』
「なんの相性?」
『うーん、体質?性質?なんだろう』
「ふうん」
舞華ちゃんは、私を見上げるのをやめて、自分の膝の上の本に視線を戻しました。表紙の色が昨日と違うので、別の本なのでしょう。それでも、文字が細かくて頁数が多いことには、変わりありません。
「紗々ちゃんは、怪談とか、好きなの?」
目は活字を追いながら、舞華ちゃんが小さく呟きました。それはそれは小さな声でしたが、私の聴覚なら、問題はありません。
『好き、というか、珍しいの。私が住んでいた所には、人を怖がらせる為の噂話なんて、なかったから』
「なかったの?」
舞華ちゃんが、もう一度、私を見上げました。今度は、目を見開いて、驚きの表情。
『うん。だって、必要ないから』
「そうなの。こういった不思議なお伽噺や民話って、集団生活のなかでは、必ず発生するものだと思ってた」
確かに、民話や寓話の類いは、社会には付き物ではありますが、私の故郷は、なんたって、魔界なのです。
秩序的な社会というものが、そもそも、存在しないのですから。
生きることにいっぱいいっぱいな私たちに、噂を気にする余裕など、ないのです。
煙鬼さまが大統領になられて、今まさに秩序が作られようとしていますが、それも、期間限定のお話。煙鬼さまが引退なさって、次の大統領が決まれば、また、違う魔界になるのです。
なんて不安定。
でも、それが、魔界なのです。
魔界かあ。
お祖母さまも、黄泉さまも、お元気でしょうか。
「紗々ちゃん、どうしたの?ぼーっとして」
『あ、いえ、ちょっと考え事を』
「大丈夫?ここ、暑すぎた?」
『ええ、大丈夫。気温の所為ではないの』
舞華ちゃんは立ち上がって、私の顔を覗きこみます。色白で小柄な舞華ちゃんは、日の光だけで身体を害してしまいそうな、そんな儚さ。
「紗々ちゃん、怖い話が珍しいなら、教えてあげようか、他にも」
舞華ちゃんは、眼下の旧校舎を見つめたまま、私に言いました。囁くような声は、それだけで、私を怖がらせようとしているみたいですが、生憎、本人にその気はないようです。
『そんなに、いろいろあるの?』
「たくさんではないけれど、そうだなあ。
“不死桜”とか“黒いラブレター”とか、最近だと、“謎の転校生”とか」
『“謎の転校生”?』
「紗々ちゃんのことだよ」
『私っ?』
なんということでしょう。人間じゃない、ということが、もうばれてしまったのでしょうか。
絶望感に、頭が埋め尽くされそうになっていると、舞華ちゃんは黒髪を揺らして笑いました。あ、笑顔、初めて見たかも。
「転入手続きだけして、本人は、なかなか、姿を現さないんだもん。皆、噂しまくり」
『だからといって‥‥』
溜息ついでに舞華ちゃんに抗議しようと口を開きましたが、言葉は出しません。階段から、足音が聞こえた為です。聴覚からの情報収集に、自分の声は邪魔なのです。
『誰か、上がってくるね』
「そっか。じゃあ、私、もう行くね」
フェンスから身体を離し、舞華ちゃんが囁くように言いました。振り返らない背中に、私は小さく掌を振るだけです。
『うん。また、教室でね、舞華ちゃん』
足音もなく扉の向こうに消えていく舞華ちゃんを見送って、私も囁くように言いました。