H×H
□ワガママ姫と観覧車の魔法
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星が静かな夜だった。
『だぁーーめ』
音と音の間をわざと長く伸ばして、私はクラピカの顔を両手で覆った。
小さくて華奢な顔は、私の掌にすっぽり隠れて、私の目の前で制止する。
「何故」
掌の向こうから、小さく聞こえる、囁き声。
吐息と唇が掌を掠めて、思わず目尻に力が入る。
見られては、いない。大丈夫、大丈夫。
気を取り直して、深呼吸。吸って。吐いて。
『クラピカ、明日も、朝から仕事でしょう。
支障が出たら、大変だもの』
勿論、クラピカが仕事に支障を来すような愚行をするとは考えられない。確率に直すと、2パーセントくらい。
まあ、仰向けに寝ている私の上に覆いかぶさるように俯せていることが、愚行に近いのだけれど。
限りなく近い、ということは、厳密には、それではない、ということなのだ。
しかも、クラピカの脳内では、この状況は当然の結果であるとしている可能性が高い。
「支障は出ない。
よって、なにも問題はない」
ほら、そうやって、何でも切り捨てる。
そもそも、クラピカにとって、この状況からもたらされる結果は、問題ではないのか。
『それに、隣には、バショウさんたちが居るんでしょう』
ノストラード組の寵娘、ネオン=ノストラードの護衛組の人たち。つまり、クラピカの仕事仲間。もちろん、プロハンターだ。
聴力だって、プロのもの。
しかも、廊下を挟んだ向かいの部屋は、センリツが使っている。
センリツと同じフロアでそんなことをしたら、確実に自滅行為だ。
つまり、自分で自分を消滅させたくなるほど、恥ずかしい行為ということ。
なんで、私がノストラード組の方々と同じホテルに泊まっているのか。
一言で説明するなら、カムフラージュ、直訳で、擬装だ。
文章で説明するなら、私とクラピカが、カップルに擬装して、ネオン=ノストラードの護衛をするため。
護衛の対象、つまりネオン=ノストラードが、急に、この春オープンしたばかりのテーマパークに遊びに行きたいと言いだしたらしい。
夢と魔法のテーマパークを、屈強な男たちに囲まれて歩くのは、悪目立ちし過ぎるので、クラピカたちはただの入場客として、遠巻きにネオン=ノストラードの護衛につくそうだ。
護衛チームのメンバーでは、一般のお客さんを演じるには、明らかにただ者ではないため、急遽、私が呼び出された。
もちろん、バイト代付きで。
このホテルは、そのテーマパークの敷地内にある。
星が目立たないのは、テーマパークのアトラクションの明かりが、今も輝いているからだ。星の代役をしたいのだろうが、くるくる回る観覧車の光では、旅人も困ってしまうと思う。
カーテン越しに極彩色の明かりを感じていると、両手首をクラピカの片手に捕われてしまった。
「バショウは、今から1時間半は正面玄関で見張りだ。
他に問題はあるか」
『センリツは?』
「屋上だ。3時間後、私と交代予定。
降りてくる前に、携帯で連絡してくる」
つまり、クラピカのフリータイムは、3時間。
『どうせ、そのまま朝まで見張りでしょう。
だったら、休みなよ。貴重な、休憩時間だもん』
更に近づくクラピカの顔色は、健康な色ではない。体調のパラメーターを数値化したいくらい。
「貴重な時間だからこそ、有意義に使いたい」
『休憩も、十分、意味があるものじゃない』
「レインとこうしている方が、私には重要だ」
そんなことを言われても、私はこれ以上の接近を許すわけにはいかない。私は、クラピカの仕事の邪魔をしに来たわけではない。
「1ヶ月」
『え、』
急にクラピカが言葉にした日数に、私は心当たりを感じながら、聞き返す。
「組の仕事で、私がレインに会えなかった時間だ。
正確には28日と12時間だな」
時間単位で申告されて、言葉が詰まる。
『だめだめっ。
センリツなら、屋上でも、聞こえちゃうよ』
私がセンリツを最後の砦として擁立すると、クラピカは茶色の瞳を細めて「問題ない」と一掃する。
「そろそろだな」
クラピカはベッドサイドのデジタル時計を見て、呟く。
何が、そろそろ、なのか。わけが分からない私は、シーツに沈む頭を少し傾げる。この、パリパリの糊の利いたシーツは、ホテルでしか再現できないに違いない。
そろそろの正体を知りたくて、クラピカの視線を追う。しかし、デジタル時計の文字盤からは、答えに繋がりそうな情報は得られなかった。
気が付いたのは、もうすぐ日付が替わるということ。
ゼロが4つ並ぶ瞬間が見たくて、少しの間、時計を見つめる。
急に暗くなった視界に、それは阻まれてしまったけれど。
『え、なに』
テーマパークという光源が、急に機能を停止したのだ。
同時に、
ドーーーーン
『へ、ええ、と』
テーマパークを一望する大きな窓一面を、轟音と共に支配する大輪。
金属の炎色反応が、暗い夜空を彩っていた。
『花、火』
「ああ。今日は、この国の大統領令嬢の誕生日だそうだ。
今から、2時間花火を打ち上げ、その後朝までパレードが予定されている」
『騒がしいんだね』
国民全員から祝われる誕生日は、どんな気分なのだろう。
その子にとって、それは、当たり前のことなのだろうか。
連続的な光源によって映される観覧車の巨大な影が、生きものみたいだな、なんて思いながら。
思いながら、見ず知らずの大統領令嬢への祝辞を考える。
この花火は、その子へのお祝い。
ほら、また上がる。
一瞬遅れて、爆発音。
同時に、私に覆いかぶさったままのクラピカに、キスをされる。
『ん、‥ー』
散り際にキラキラ光る火花の破裂音が、外耳を擽る。それでも、私の咥内を支配する水音の方が、私を掻き乱した。
音が止むと、唇が離れる。
「‥。これで、なにも、問題はないだろう」
『問題ないことが、問題なんだよ』
散っていく花弁が、離れていくクラピカの白い顔を、幻想的に彩っている。
打ち上げた後の束の間の静寂が、私の意識を現実に落とそうとするが、セレモニーの佳境に向かい、打ち上げの間隔は狭まる。
それは、つまり、昇った意識が降り切る前に、クラピカのキスが先に降りてくるということ。
ほら、また上がる。
そして、また、咲く。
少し遅れて、キス、される。
そして、ほら、また、昇る。
「レイン」
『ぅ‥ん、ーーふぁ、‥っは、あ』
確かに、この轟音のなかでは、センリツの聴力も繊細な仕事は無理そうだ。
もしかしたら、聴覚が麻痺しているかも知れない。
私は、確実に、判断能力が麻痺している。
だから、ほら、委ねてしまう。
星に成り代わった花弁が、私を、どこまでも押し上げる。
導かれる。
「レイン」
『‥その声、反則』
星のない夜は、いつだって、クラピカの声に導かれる。
それが星じゃないと分かっていても。
クラピカが連れていってくれるなら、多分、私は、どこだって良いのだ。
end