H×H

□恋の仕方を教えてほしい
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 照明の落とされた校舎は、昼間の雰囲気を一切残していなかった。広大な敷地と巨大な校舎。この学校だけで、どれだけの電力が使われているのだろうと考えてしまう。


 私は学園の正門に取り付けられたカードリーダーに、自分のハンター証を通した。電子的な確認音がして、門が解錠する。学園は証を所有するハンターであれば、昼夜問わず入出可能だ。門を通過するに使われた証は記録に残るので、誰が出入りしたかは24時間チェックされている。ハンター証は偽造出来ないようにあらゆるシステムが組み込まれているし、例え証を盗まれ使用されてもそれは盗まれた側の責任だ。学校側としては不祥事が起こったとしても、責任を問う相手が居れば問題はない。


 巨大な門を潜り、外よりも更に暗い闇の塊となっている校舎内に侵入する。ここでも、証をカードキーとして使用する必要があった。


 ここで一度携帯電話を取り出し、レインの番号を呼び出す。十回目のコール音が終わった所で、発信を切る。灯りの全くない廊下を進み、気配の全くない教室を通り過ぎた。


 走り出したい気分だったが、学校と言う条件が私を制していた。


 廊下の奥、重厚な扉で仕切られた資料室。遺跡ハンターが収集した、国宝級の品々が展示、保管されている部屋だ。この一室で博物館に近い規模がある。この扉を開けるにも、ハンター証を使う。


 証を読み取ったロックシステムが扉を開ける。この部屋も照明が消えているが、展示物の保護の為、電気がついていることは殆どない。もともと日光も入らないように設計してある。つまり、この状態が自然だった。


 資料室に入って、右手の壁に設置してある懐中電灯に手を伸ばす。遺跡や博物史に興味を持っている私は、この資料室によく足を運んでいるし、勝手も分かっていた。


 深呼吸をし、この場でレインの名を呼び、反応を見たい衝動を抑える。埃っぽい閉鎖されていた空気が私の肺を満たした。


 先程から、呼吸する度に胸が痛む。肺を外側から圧迫されているようだ。呼吸がしにくい。停滞した空気の為かも知れないが、体調の不備かも知れない。ここにレインが居なかったら、次の候補地へ行かなければならない。体調不良など訴えてはいられないのに。


 居ないかも知れない。そう思うと、頭の中心が脈打つように痛んだ。


 懐中電灯のスイッチを入れる。照らした方向に、光が白い道のように真っ直ぐに伸びて行った。


 展示と保管を兼ねた陳列棚の影を見落とさないように、慎重に歩く。前方と、左右を懐中電灯で照しながら。


 奥へ奥へ。自分の足音が、やけに遅く聞こえた。たまに携帯電話を取り出して、電波を確認した。レインの携帯電話は鳴らすことが出来るのだから、電波が届かない場所には居ない筈だ。この地点で、電波は問題なかった。


 透明なガラス張りの陳列棚を通り過ぎ、背の高い書棚が左右に並ぶエリアに足を踏み入れる。この辺りはサトツ氏が専門に調査、研究しているルルカ遺跡史の研究を纏めた文献が並び、中には一般に発行されていない書籍や論文もある。ここにレインが居るかも知れないと、私が思った理由の一つだ。レインは一度データ化された情報は収集出来るが、手書きの文書や実物を知ることは出来ない。アナログ非対応なのだ。ここにはレインの能力では知り得ない情報が、沢山詰まっていた。大方、レインは課題を終わらせる為に必要な文献を探しに来たのだろうと、私は考えていた。


 二列目の右側の書棚の奥を照らすと、天井に届きそうな程の脚立と女性の足が見えた。床に投げ出された足は、紺色の靴下に濃茶の革靴を履いている。


「レインっ」


 私が身間違える筈がなかった。身体中の血液が逆流する錯覚。床を蹴って、彼女の所まで移動する。本棚に背中を預け、レインは床に座って目を閉じていた。白い頬に触れて良いものかと一瞬戸惑うが、首筋に触れて脈と呼吸を確認する。最小限の接触だが、充分な体温を感じた。脈も正常で呼吸も規則正しい。


 長い睫毛が重なる瞼。懐中電灯の光を向けると、レインは身動ぎし、顔を背けた。


「レイン、お前‥‥」


 私は自身の体温が下がるのを自覚した。鼓動が正常な動作を取り戻し、状況整理の作業も脳内で円滑に行われた。


「おい、起きろ」


 言いながら、私はレインの肩を揺らした。肩の動きに合わせて頭が不安定に振られたが、レインが起きる気配はない。余程深く眠っているようだ。溜息が出た。呑気なものだ、こちらの気も知らないで。


 レインは眠り続けている。よく見たら、少し痩せたようだった。最近会っていなかったが、忙しいのだろうか。レインが課題を溜め込むなど、珍しいことだ。


 睡眠が取れていなかったのだろうか。体調を崩してはいないか。食事は取れているのか。聞きたいことは沢山ある。あるのだが‥‥私はレインの親か。こちらの気と言うのは、親心か。いつから他人のことをこのように心配するようになったのだ、私は。


「レイン」


 レインの後頭部に掌を添えて、顔を近付ける。額と額が当たっても、レインの寝顔に変化はない。仕方がない。私は一度顔を離し、もう一度額同士を接触させた。「起きろ」今度は充分な勢い。接触時の衝撃は、頭突きと呼ぶに相応しいエネルギーだ。『いったぁっ?』


「やっと起きたか」


 額を押さえ、涙を浮かべてこちらを見るレイン。『へ?なに、クラピカ?え?頭いたい』


「こんな所で寝るな。今何時だと思っている」

『え?今、え?あれ、私、寝てた?嘘っ今何時?』

「質問を同じ質問で返すな」


 レインが携帯電話で時間を確認する。同時に、ディスプレイに表示された着信履歴に気が付いたらしい。『うわあああっ、キルア、ごめんっ!』

「静かにしろ」時間が時間なので叱られる心配はないが、それでもここは騒ぐような場所でもない。「何故こんな場所で寝ていたのだ?」

『ああ、えっと、サトツさんにレポートの再提出くらっちゃって、ここで直してたの。今日中に出したかったんだけどなあ、まさか寝ちゃうとは。サトツさん、帰っちゃったよね』

「だろうな」

『クラピカも、ごめん。有り難う、探しに来てくれて。私、証持ってないから、戸締り出来ないし』


 床に散乱した資料を片付けながら、レインが言った。健康状態に問題はなさそうだ。私の体調も、いつの間にか回復している。


 復調したことで、感情のベクトルが全てレインに向かう。悪い状況を想定する必要がなくなり、溜め込んだエネルギーごとレインにぶつけたい衝動に駆られた。血圧が上昇する。落ち着け。自分に言い聞かせる。何事もなかったのだ、それで良いではないか。


「もういい、帰るぞ」


 そう言って、私はレインの片腕を引っ張った。咄嗟に立ち上がらされたレインは、集めた資料を数冊床に落としてしまう。


『え、クラピカ、片付け‥』

「明日朝一で来て片付けろ」


 資料は作業用の机に置かせ、私は早足で来た道を戻る。レインは私の歩調に合わせて、慣れない足取りで着いてきた。


 掴んでいた腕はいつの間にか手を繋いでいて、私とレインの間には、一足分の間合いが出来ていた。


『クラピカ、手、痛いよ』


 前方を懐中電灯て照らし、なにも言わない私に、レインは不安そうに話し掛けてくる。力のコントロールが上手くいかない。上手くいかないのは、感情のコントロールか。


『クラピカ?』

「慣れないのだよ」

『え?』

「こんな風に、他人を心配するのは慣れないのだよ」


 感情が暴発しないように、慎重に言葉を選んだ。握り締めたレインの手を気遣う余裕など無い。私の目は、きっと赤くなっているのだろう。


「一人の時は、こんな心配、しなくて済んだのに」


 大事なものが増える分、生きることが不自由になる。なにも持たない旅人を愚者と呼ぶのなら、私は愚か者で在りたいのに。


 資料室の出口に到着し、懐中電灯を切る。暗闇の中、手探りで所定の位置に戻した。しかし、扉を開ける気になれない。もう少し時間が必要だった。


 この扉を開ければ、私は愚者に戻れるだろうか。この手を離して、独りで歩いて行けるだろうか。


 それでも、私は知ってしまったのだ。


 この手が小さく柔らかいことも。

 背中に抱き付いたレインの体温も。

『ごめんね』と繰り返す声の儚さも。


 私は知ってしまったのだ。


 知ってしまった者は、もう愚か者には戻れない。


 振り返って、レインを抱き締めたい。


 けれど、きっと壊してしまう。

 私の感情をぶつけたら、きっとレインは壊れてしまう。

 壊れてしまったものを直す方法を、私は知らない。


 この世に全てを知る賢者が居るのなら、教えて欲しい。


 愚者にすらなれない、この私に。






恋の仕方を教えてほしい
『ねえ、クラピカ、さっきからおでこが痛いんだけど』
「痛み分けだ」

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