H×H

□side K
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「おい、見ろよあの子、すげえ可愛い」
「いんじゃね?胸もでかいし」
「声かけてみようぜ」
「あ、でもオトコ連れだ」
「て、あれ買ってんの粉ミルクじゃね?」
「おいおいおい、あんな可愛くて人妻かよ」
「関係ねーべ。一人なったタイミングで行こーぜ」






 背後の雑音に私は顔を顰めた。


 地元の学生だろう彼らが話題にしているのは、私の隣に居る女性、レインだ。彼女は種類豊富な粉ミルクの成分表を見比べるのに夢中で、失礼な男たちの存在には気が付いていないようだ。


 まあ、幼稚な者が噂するのも無理はない。つい最近子どもを産んだばかりのレインは、久々の買い物に心弾ませていた。無邪気だが品のある笑顔も繊やかな女性らしい仕草も、全てが柔らかなオーラで包まれている。子どもの母親とは思えない若々しさで、レインはカートに選別した商品を積み入れて行った。


 カートの中身と買い物メモを見比べながら、ベビーグッズの棚を離れ生活雑貨のコーナーへ。そこでもレインは、丁寧な仕草で一つ一つ商品を見比べて行く。


 視線と関心をレインに注いだまま、背後の気配を探ってみると、先程の学生たちは私たちの後を着いてきているようだった。鬱陶しいことこの上ない。


 そこでも、男たちは好き好きにレインの評論をし始める。腹立たしいことに、下衆な妄想も交えながら。随分勝手なことを言ってくれる。レインの肌の温かさも身体の柔らかさも、その声の甘さも、私だけが知っていれば充分だ。


 今すぐ隣のレインの身体を抱き締めて、俺のものだとあいつらに主張したい。駄目だ、なにを考えているのだ、私は。冷静になれ。意識的に、背後からの聴覚情報を遮断する。精神状態が正常でないのだろうか、いつもなら取るに足らない作業も今日はやけにエネルギーを消耗した。


 レインを見ると、先程までの笑顔がいつの間にか消えていた。困惑の表情。居心地悪そうに視線を迷わせ、たまに私を見上げる。男共の存在に気が付いたか。


『ねえ、クラピカ』

 私から一歩離れて、レインが言った。

「なんだ?」

 何故離れる必要があるのだ?

『買う物多いからさ、手分けして、別々に行動しない?私、二階行ってくるから』

「駄目だ」

『へ、どうして?』


 水晶のような瞳を大きく見開き、レインは言った。どうしてなどと、私が理由を聞きたいくらいだ。今レインを一人にすることがどれ程危険か、男共の雑音に等しい情報から簡単に導き出される。


『オーケー、分かった。じゃあクラピカ、とりあえず此処で待ってて』

「駄目だ」

 レインの提案を一言で却下。なにがオーケーなものか。なにも解決していないではないか。


『え、私、女性用品見に行くんだけど』

「構わない。一緒に行こう」


 レインが望むならどこへでもお供するよ。私が距離を詰めると、レインは同じだけ引き退がる。なんだと言うのだ。そんなにあいつらに声を掛けられたいと言うのか。


『いや、このエスカレーターの近くだから。すぐ帰ってくるから』

「駄目だ」

 尚も間合いを置くレインを、少し強引に引き寄せる。幸いしたのは、私の間合いの方がレインのそれより広いと言うことだ。


 予測しない出来事だったのか、レインは重心を崩して私の方に倒れて来る。情けない、それでもハンターかと思ったが、今は好都合だ。転びそうな体勢を、彼女の細い腰を支えることで正してやる。


「一人でフラフラするな」

『え、え?』

「離れるな、ということだ」


 急な接近に慌てるレイン。瞳を大きく見開いたまま、私を見上げる。

 予定変更。レインの行きたい所にはとことん付き合うつもりだったが、そんな余裕は無さそうだ。急な接近に戸惑っているのは、どうやら私も同様らしい。


 私の服に縋る小さな指先。握り締めた私の上着の皺が、キスの最中のレインの癖と同じで、私は取り戻した冷静さが減少していくのを自覚した。


 レインの腰を捕まえたまま、私はカートを押して歩き出す。細い腰は掌の力加減で簡単に折れそうで、私は細心の注意を払ってレインの重心を操作した。

『く、クラピカ?』

 私のペースに合わせて、慣れない歩幅で着いてくるレイン。普段、二人で歩く時よりも格段に速い。レインに負担を掛けていることは自覚していたが、さっさとこのエリアから脱出したかった。


 レインの必死の呼び掛けにも、私は敢えて答えなかった。今目線を交わして会話しようものなら、私の理性は瞬時に崩壊するだろう。


 どんなに急いでいようとも、支払いを済ませなければどうしようもない。私はレジカウンターの女にカートとクレジットカードを提示した。

「一括で」

 私が言うと、レジ係の女性は慣れた手付きでカードを通す。抱えたままのレインが不満を訴えるが、私は答えない。『無視かっ』悪いな、レイン。今は袋詰め係の女性の手際にも苛つくのだよ。


 紙袋が二つになってしまったが、問題はない。片腕で荷物を抱え、左手はまだレインを確保したまま。そのまま駐車場に直行。店の自動ドアを出るまで男どもの視線を感じて、不愉快で仕方がなかったのだ。これで漸く、落ち着くことが出来る。


 車に荷物を詰め込むために、レインを解放する。途中、レインが荷物を私から奪い取ろうと何度も手を伸ばしてきたが、可愛らしいもので、私の体捌きで回避。諦めたレインはさっさと助手席に乗り込んでしまう。

『どうしたの、急に?』
 積み込みを終えた私が運転席に座ると、レインが私を見て言った。あくまで、私の心配。彼女を振り回したのは、私だと言うのに。


「いや」歯切れが悪い。大胆とも言える今の行動に、自分自身戸惑っているようだ。

『機嫌が悪い?』

「いや、‥‥ああ、そうだな」

 不機嫌‥‥そうか、私は不機嫌なのか。胃の底に泥が溜まったようなこの不快感は。

『ごめんね、私の所為で嫌な思いさせて』

 助手席で、レインは膝を抱えて俯いた。窮屈そうに身を屈める姿は愛らしかったが、それ以上に、その言葉が私には引っ掛かった。


「なんの話をしているのだ?」

『へ?』

「私は嫌な思いなどしていない」

『え、だって、あの人たちクラピカのこと』

「私のこと?」

『ううん、なんでもない』


 なんだと言うのだ。レインは両掌を自分の唇に当てて、黙りこんでしまった。しかし、あいつらは私の話などしなかった筈だが、レインはなにを聞いたと言うのだろう。男どもの話はレインのことばかりで、主に下世話な話ではあったが、ああ、思い出したらまた腹が立ってきた。


「すまない、ちょっとこっちに来てくれないか」
『へ?』

 私の要求に、レインは素直に上半身を傾ける。その無防備さが可愛らしくて、また私の胃の底に泥が溜まって行った。

 レインの後頭部を捕らえて、私はその愛らしい唇にキスをした。勢いに任せた獣のような接吻。


『ふっ‥‥ん、ぅんんっ‥‥』


 この唇も声も、全て私のものだ。誰にも知られてなるものか。


 本能に近い部分でレインの敏感な所を責める。甘い声に、鼓膜から脳を侵食されるイメージ。本当に獣になってしまいそうだ。私は怖くなって、レインの唇を放した。離れる瞬間彼女の下唇を噛んだのは、私の中を支配しかけた獣の所為。


『‥‥‥んっ、‥‥‥あっ‥‥はぁ‥』

「すまない」

 最悪だ。レインを力任せに蹂躙するなど、あいつらの想像そのものではないか。

『気にしないよ。クラピカのキス、好きだもん。でも、どうしたの?』

「いや」キスが好き、などと、私の気も知らないで。一瞬、今すぐレインをこの場で押し倒すイメージが湧いて、私は意識的に呼吸した。

「私の後ろに居た男の三人組がな‥‥」

『クラピカの後ろ?私の後ろじゃなくて?』

「いや、私の後ろだ。学生風の三人組、あいつらの話を聞いてしまってな」

『うん?クラピカの悪口でも言ってた?』

「いや、私じゃなくて、‥‥もしかして、気が付いていなかったのか?」

 驚いてレインを見ると、宝石のような瞳と目が合った。キスの直後だから少し唇が濡れていて、頬が上気している。蕩けた表情を少し困らせて、レインが首を傾けた。


『えっと、もしかして、私の話?』

「まあ、そういうことだな」

『そっか、どんな話か聞いて良い?』

「‥‥‥それは言いたくない」

 私の答えで、レインは悟ってくれたようで、男達の話はそれで終わる。もともと、レインと、私以外の男の話などしたくはないのだ。


『それで、クラピカはその所為で機嫌が悪いの?』

「いや、不機嫌というか、己の理性の脆さと独占欲の強さとなにより未熟さを思い知っている所だ」


 長く長く、二酸化炭素を吐き出す。排出した分、それ以上の酸素を取り込んで、頭の中をクリアにする。

『落ち着いた?』

「ああ」少くとも、運転に差し支えない程度には。

 私がシートベルトを締める様子を、レインは笑いながら見詰めている。買い物を中断した後ろめたさからか、居心地が悪い。

「‥‥なんだ?」

『いや、なんでも』

「さっさと帰るぞ」

『そうだね、遅くなるとゴンくんやキルアに悪いもんね』


 そう言うレインの表情は笑ったままで、きっと、今日一日、彼女の機嫌は急上昇するのだろう。私が弱味を見せるといつもこうなのだ。私は心の底から後悔した。



 これだから、冷静さを欠くとろくなことに成りはしない。





end

 

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