H×H
□待ってるなんて言わない
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深夜のダイニング。
私が占拠するテーブルの一辺。
私の定位置。
『遅いなあ』
溜め息を一つ。
いや、二つ。
いやいや、えっと、何回目だっけ?
数えるのも虚しい。私は携帯電話を開いてメール画面を呼び出す。この行動も、何回目か数えるのを忘れてしまった。
呼び出す画面は決まってる。
受信ボックスの一番上。
つまり、最新の受信メール。
〈今夜帰る〉
短い、短い。
どんだけ急いでたのよ。
まあ、私も私。
たった一言で有頂天。
クラピカの好きなもの。美味しいって言ってくれたもの。デザートまでコンプリートよ。さあ、来いーっ!て、お相撲じゃないよ。
そんだけ意気込んでたのよ、うん。
それなのにさー
『料理、冷めちゃったよー』
ごはんを前に、お預け状態の私。
待て、長いんじゃない?
でも、待ってるのは「よし」だなんて不粋な言葉じゃない。
目の前のお料理が食べたいわけじゃない。
そもそも、料理を用意したのは私だし。
『今夜って、いつなのよー』
時間、聞いとけば良かったなー。有頂天なりすぎて、返信し忘れちゃったのよね。
クラピカの今夜は、私の今夜と意味が違う気がする。深夜になる前に帰って来たり、明け方に帰って来たりする。
『都合良く使ってるだけじゃない』
阿呆らし。
そもそも、待て、なんて言われた覚え、ないし。
待ってる、なんて約束した覚えもない。
飲みにでも行こうかしら。
レオリオでも誘おうかしら。
お酒が飲めて、尚且、私と飲んでも迷惑にならない人物を、携帯電話のメモリから探し出す。
通話ボタンに親指を翳したと同時、玄関が開く音。
音の主はそのまま、私の居るダイニングへ直行。灯りが点いてるのがこのエリアしかないのだから、当然。
大袈裟な音を立てて開くドア。そんなに慌てなくても大丈夫なのに。貴方を置いて出掛ける根性なんて、私にはないのに。
「すまない、遅くなった」
携帯電話片手に席を立つ私を見て、開口一番。
だから私も一睨み。
『悪い飼い主だー』
言われて呆然。突っ立つクラピカ。いーのよ、いーの。気にしないで。擦れ違い様、クラピカの肩を軽く叩く。
『待ってないよ、クラピカなんか。そんなオーダーなかったし。だから、謝らなくて大丈夫』なるべく軽く。努めて、明るく。『私、出掛けて来るから、ガスと戸締りよろしくね』
そう言い残して、出ていこうとしたのよ。スマートにね。え、スマートだよね?良いの、私なりにスマートなんだから。
ところが、そこはクラピカさん。がっちり肘捕まれちゃって、ぐいって引き寄せられちゃって。
すっぽり抱き締められちゃって。
「すまない」
『良いの、クラピカ、悪くないもの。私が勝手に待てなかっただけだもの』
「すまない」
『だから、謝らないでよ。私は待てもお預けも出来ない馬鹿犬だから、捨てられても仕方がないのよ』
クラピカは私の肩口に顔を埋める。ただただ「すまない」を繰り返して。
私を抱き締めて震える腕。クラピカ、泣いてるの?
「私の方だ」
『え?』
「捨てられて当然なのは私の方なのだよ」
『クラピカ?』
「私の留守中、鍵を変えられていないだろうかとか、私のことなんか忘れて別の男の所に行ってはいないだろうかとか、帰る度、怯えている」
『ばっ‥‥そんなこと有るわけないじゃんっ』
クラピカの思いもよらない発言に、声を張り上げる私。するとクラピカは軽く笑う。私を後ろから抱き締めたまま。なによ、笑ってんじゃない。
「分かっているよ。レインはそんな人間じゃない。他の男が出来たら、いや、出来る前に私に報告するだろう。でも、不安は拭い切れないのだよ」
『本当?』
「ああ、レインの部屋のドアノブに鍵を挿す度、安心する。此処は、まだ、私の帰って良い場所なのだと」
そこ迄聞いて、やっと分かる。ああ、クラピカ、笑ってるんじゃなくて、自嘲してるんだ。
なんだよ、不安なのは私だけかと思ったじゃん。卑屈になって損した。損害賠償もんよ。
『で、ついでにクラピカ待ち呆けてしょんぼり忠犬ハチ公な私を見て、安心二乗なわけね。なによ、結局、ご主人さまは待てをご所望なんじゃない』
自分の想像力の貧困さに不貞腐れた発言をすると、クラピカは今度こそ笑う。今度は自嘲じゃないぞ、これ。声音が違うもの。
「私がレインの主人なのではない。レインが私の主人なのだよ」
『はあ?』
なによ、それ。ちょっと意味わかんない。イチから説明してよ、イチから。
『だって、クラピカがご主人さまだから、私はクラピカの帰りを待つのでしょう?』
「違う」クラピカは首を横に二往復。「レインが主人だから、私はいつだってレインの元に帰るのだよ」
なによ、それ。
不満とばかりに頬に空気を満たし、後頭部をクラピカの肩に預ける。
『じゃあ、私、飼い犬の帰りを待って一喜一憂してるわけ?』
「ああ、私は良い飼い主を持った」
なんて言って頬擦りしたって、ご褒美なんてあげないから。
クラピカのサラサラの髪が擽ったくて身を捩ると、「逃げないで」
肩を捕まれて
壁に押し付けられて
『んぅ‥‥ふぁ‥ぁ‥』
唇を割られて
舌を導かれて
意識が浮いた所で、指先に痛み。
クラピカが、私の右手の指先を噛んだのだ。
「逃げたら、俺は、寂しくて何をするか分からない」
そう私を見る緋は、間違いなく捕食者の色。
ああ
なんてこと
飼い主を噛むなんて
躾が必要ね
明日、首輪を買いに行こうと決意する私に、金髪の獣が囁いた。
「願わくは、レインが一生俺の主人でありますように」
end