go along the origin
□奇術士と笑わない空
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『ねえ、ヒソカ』
「なんだい?」
『それだけ背が高いとさ、世界ってどう見えるの?』
そう聞くと、ヒソカは細長い瞳を少し見開いて私を見た。私を見下ろす角度は急勾配。お互いに首が疲れる身長差。ヒソカの頭の向こうに広がる空は、白々しくも雲一つない。
「見てみれば良いじゃないか◆キミの“機巧天使”なら可能だろ◇」
『出来るけど、無理。歩くときの振動や、空気の抵抗までは再現できないもの。無駄だから』
“機巧天使”は私が無駄と思うものを全て排除した能力。結果、私本体に無駄なものが蓄積されてしまったように思う。楽しい音楽、美味しい食事、人との繋がり。そう言った無駄なものを取り入れないと生きていけないように、私が私にプログラムしてしまったかのようだ。
それはこの男に対しても同じ。
このプログラムを壊すウイルスがあるのだとしたら、私は即座に探しに行くのに。
『きっと酸素とかも薄いんだろうね。重力の影響も少なそう。だからいつも、そんなに軽薄な表情なんだ』
「うーん、そうかも知れないねえ◇」
『否定しないんだ。もしもーし、そこからは何が見えますかー?』
「面白い遊びだね◆」
新年を迎えて数日と経たないザバン市は、通常の活気は鳴りを潜めている。肺を通過する凍った空気も、灰色の影を落とす冷たい日差しも、全てが静寂。私の姿はさぞかし滑稽に映っていることだろう。
『だってヒソカ、想像してみてよ、私の視界。自分の胸の辺りに視点があるんだよ。世界が一転すると思わない?』
「ああ、そんな頃もあったねえ◆」
『え、なに、ヒソカって少年時代とかあったわけ?』
「そりゃ、あるさ◇」
『信じられないな。ヒソカは最初からヒソカなのだと思ってた』
「キミだって、10年後にはボクくらいの身長になってるかも知れないよ◇」
『それどんな魔法?』
「こんな魔法★」
ヒソカはそう言って、私の腕を引き寄せた。いや、引き上げた。ふわりと身体が持ち上がると、腰を両手で保持し、ヒソカの頭が私の脚の間を潜るように腕を掲げる。
『え?』
すとんと座らされたのは、ヒソカの両肩。お尻の下にはなにもないけど、ヒソカが私の膝をがっちり掴んでしまっているから、不安定さはない。
肩車だった。
『え、ちょっと、なに?いやいや、降ろしてよ』
足をじたばたさせて暴れても、ヒソカの胸筋はびくともしない。大きな掌は私の膝をすっぽり包んで、何事もなかったかのように私を支えている。
「この魔法はなかなか解けないんだよねえ◇」
『馬鹿言ってないで降ろしてよ。恥ずかしいなあ』
そう言って周りを見渡しても、幸いに人気は少ない。その少ない人たちが、皆一様に私たちを見ているのだけど、このくらいの人数なら軽症と言える。
そもそもヒソカが生まれたこと自体が、とんでもない魔法なんじゃないか。そんなことを考えながら、まだ機能していない町並みを眺めた。
『高いね』
「そうかい?」
『うん。でも、酸素は薄くないや』
「それは良かった◆」
なにが良かったのかな。ヒソカは笑っている。その笑顔の理由が分からなくて、ヒソカの頭頂部に顎を乗せた。
『これが、ヒソカの見てる世界?』
「そうだよ」
頷くヒソカ。そこは想像していた世界よりも、ずっとずっと日常に近い世界。でも、風が気持ちいい。
なんだろう。少しだけ残念がってる自分が居る。ヒソカの世界は、もっと高くて、もっと軽くて、もっと寒いのだと思っていた。絶対的孤独。誰も手が届かない。そんな世界だと思っていた。
きっと、ヒソカと自分との間に、線引きが欲しかったのだろう。揺るがない境界線。越えられない壁。強者と弱者。勝者と敗者。ヒソカと私は違うんだ、って。違う生き物なんだ、って。線を引いて、壁を作って、ヒソカを届かない存在にしたかった。
繋がれない存在にしたかった。
残念。ヒソカも私も、同じ世界に生きているのね。
『ねえ、いい加減降ろしてよ。恥ずかしいよ』
「ボクはキミが恥ずかしがってるのを楽しんでるんだよ◇」
『‥‥ヒソカは恥ずかしくないの?視線とか、気にならない?』
「気にならないよ◆むしろ、キミが恥ずかしがってる理由の方が気になるね◇叩けば死ぬような奴らに見られて、何が恥ずかしいんだい?」
『それはヒソカが強いからだよ』
「キミだって強いだろ◆」
『ヒソカ程じゃない』
「ボク程強い必要はないよ◇ここに居る人間の殆どが、包丁一本あれば子どもでも殺せる◆」
そうかも知れない。納得しかけて、首を振る。なにヒソカに丸め込まれようとしているの。
「重要なのは殺せるか殺せないかじゃない◇殺したいか殺したくないか、だ◆」
『早く降ろしてよ、快楽殺人者』
「アレ◇ボク結構、イイコト言ったのに★」
『どこがよ異常性欲者。あんたの思考に毒される前に、一刻も早くここを立ち去りたいわ』
「言っただろ、この魔法はなかなか解けないんだよ◆具体的には、ボクがこのフトモモを心行くまで堪能するまではね★」
『‥‥て、うわっ。なに撫で擦ってんのよっ。やめろっ、舐めるなっ、この変態ピエロっ!』
「うーん、スベスベ★」
『降ろせーっ!!』
太股を這い回るヒソカの掌から逃れたくて、内股をなぞるヒソカの舌から逃れたくて、渾身の力を込めて手足をばたつかせた。余りにも必死で、必死過ぎて気が付かなかったんだ。
楽しそうな声で笑うヒソカの表情の間に、まるで青空に走る稲妻のように、ぽつりと零れた、笑わない言葉。
「ボクと居れば、いくらでもキミの望む世界を見せてあげるのに◇」