go along the origin

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 全くの暗闇。だけど気にはならなかった。全くの沈黙。むしろ心地好いくらいだ。私を取り巻く機材の存在感だけが、なんとも異様だった。

 機材はどれも電源が落とされていて、沈黙を守っている。黒いままのモニターが、眠った瞳のよう。でもそれも、暗闇の中。

 空間を漂う“機巧天使”(アンジェリカ)の静かな信号が心地好い。子守唄のように、私を安心させる。ソファーに深く腰掛けて、眠るように身体を預ける私。夢見心地。ふわふわ。“天使”の囁く声。過去のこと、現在のこと、そして予測される未来のこと。ひそひそ。ああ、此処こそが安寧の地?

 陶酔仕切った自問自答に、不粋な光と声が話って入る。


「あれ?」


 私がたゆたうソファーの位置よりも、部屋の扉の方がレベルが高い。扉が開くと、廊下の光が真っ直ぐ私を見下ろした。

 同時に、胡散臭いその男も、窖の私を見下ろす。


「おかしいなあ。レインさんの負担を減らす為に導入した機材だったのですが、もしかして、使って頂けてないんですか?」

『頼んでないんだけど』

「レインさんの仕事が、少しでも効率的に進むように考えた結果ですよ。気に入りませんでしたか?」

『こんなにモニターに囲まれちゃ、視認するのに却って時間が掛かって仕方ないよ。それに、仕事はちゃんとこなしてるでしょ』


 私は目を開けて、背後を振り返る。室外の光を背負ったパリストンが、にやにやと私を見ていた。


「ああ、なるほど」パリストンがわざとらしく両手を打つ。「全く気が付きませんした」

『分かったら、これ撤収して自分の部屋に戻ってよ。頼まれてたものは、パリストンのデスクに纏めて送っといたから。まったく、なんで私が“過去十年間でハンター証を紛失したハンターのリスト”なんてつまらない物、作らなきゃならないのよ』

「初仕事をつまらないだなんて、言ってくれますね」

『言われたくなきゃ、もっと面白い仕事寄越してよ。ちなみに、さっきまで調べてた“世界人民機構に登録されていない若しくは死亡扱いにされてるのに、ここ三十年間で街頭カメラに撮された人物の顔写真リスト”は、たった今あんたのデスクに送信しといたから』


 姿勢を正し、瞼を閉じて、右手をひらひらと振って見せる。早く自分の部屋に戻って確認してよ、の意思表示だ。ここはパリストンに宛がわれた部屋だけど、唯一、私が一人きりになれる場所でもある。胡散臭い副会長殿には、すぐにでも退散願いたかった。


「さすがですね。依頼してから四時間も経っていないのに」

『そう思うんなら給料出してよ』

「じゃあ次は」

『ちょっと!せめて今送ったファイル確認してよ』

「貴女はいい加減な仕事はしませんよ」


 そう言われたら、黙るしかない。反論することもできないのに、ヤツに頷くのは癪に触るので、私は小さく舌打ちした。

 唇だけで笑うこの男が、本当に嫌いだ。昔からそう。おじいちゃんのお使いで、お父さんの孤児院にこいつが視察しに来たときも、私は部屋に隠れてこいつが立ち去るのを待っていた。嵐が過ぎ去るのを待つのと同じ。震えて小さくなってれば、パリストンは私に触れることなく消えてくれたのに。

 おじいちゃんも知ってた筈なのになあ、私がパリストンのこと苦手なこと。いじめ?


「次は、四次試験の受験者の行動パターンを記録して下さい」


 にやにや笑う上司の指示に、私はもう一度目を開いた。なんだと?四次試験?


『四次試験て、ハンター試験の四次試験?』

「当然ですよ。他になにがあるんです?」


 ああ、やっぱり私、こいつのこと嫌いだわ。ソファーの低い背凭れ越しに、高い位置に立つパリストンを睨み付ける。


『なんの嫌味のつもり?四次試験中は一人一人にプロハンターの監視がつくし、私はもうハンター試験には関係ない』

「レインさんがどんな勘違いをしているのかは分かりませんが、これは仕事ですよ。それに貴女は協会の人間です。試験が関係ないなんて、ある筈がないでしょう」


 パリストンは両手を広げ、胸を反らして言った。まるで私の向こうに見えない観衆がたくさん居て、その人たちに話し掛けているみたいだ。

 仕事と言われれば仕方がない。職に就いた以上、私も社会人だ。上司の言うことには従わなければならない。


『分かったわ。私もぜビル島に行けば良い?誰の監視役?』

「いいえ、違います」パリストンはゆっくり首を振った。「貴女は此処で、受験者全員の行動をモニタリングして下さい」

『なんですって?』


 私は顔を歪めて聞く。わざと顔の筋肉を歪に動かした。


「プレートに発信器が付いているのは知っているでしょう。そこから受験者の動きを追跡出来ますよね」

『四次試験では、受験者たちがそのプレートを奪い合うのでしょう。それぞれが自分のプレートを持ったままでいるとは、限らないんじゃない?』

「それも含めて、出来ますよねと言っているんですよ」


 私を見下ろす瞳から、笑みが消える。口許は釣り上がったまま、柔らかな雰囲気だけが幻のように消えてしまった。残ったどす黒い現実の空気が、私の肺を冷え上がらせた。

 出来る出来ない、ではない。「やれ」とパリストンは言っているのだ。拒否権はない。


『四次試験は何時から?』

「八時間後です。三次試験はまだ終わっていませんから。必要なら島の座標を送りますよ」

『要らない。もう見つけたわ』


 正面を向いて座り直した私に、パリストンはすっかりいつものにやにや笑いだ。


『試験期間は何日だっけ?』

「七日間ですよ」

『ああ、それなら始まる前にシャワーを浴びて一度寝るわ、私』

「ご自由に。期待してますよ」

『‥‥‥どーも』


 パリストンの方を見ずに、左手だけをひらひら振って上司に答える。扉が閉まり、革靴の足音が廊下の向こうに消えたのを確認してから、オーラ残量の少ない身体をソファーに埋もれさせた。同時に、自分のものとは思えない声で呻いて見せる。『あ―――‥‥‥』

 パリストンの部下になって早二日。人使いの荒さに、既に挫けそうになりつつある私だった。





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