go along the origin

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 飛行船の廊下の端で好き好きに休んでいる受験生たちに、おにぎりを配って歩く。寝ている人にはどうしようかな、と思ったけれど、途中で二次試験官のメンチさんに会ったので、ラップを貰って、それに包んで置いておいた。持っていた赤マジックで、『宜しければどうぞ#13』と書き添えておく。


 おにぎりの残りは、あと14個。数は正確に把握してはいないので、実際何人に行き届いたのかは分からない。少なくとも、レオリオさんとクラピカには渡していないので、彼らを探そうと思ったら、後ろから声を掛けられた。「レイン」


 振り返ると、青い民族衣装を着たクラピカがこちらに向かって歩いて来た。距離は、凡そ10メートル。


『クラ、‥‥ピカ?』


 驚いた。クラピカが此処に居ることにではなく、クラピカから声を掛けてくれたことに対して、だ。素直に嬉しい。これはなんかもう、感動ものだ。嬉しすぎて、おにぎりのタッパーを放り投げてクラピカに抱き着きたいくらいに嬉しい。


 でも、それは出来ない。クラピカには、まだおにぎりを渡していないから。


 だから、呼吸を調えて、震える肩を押さえ付けて、煩い心臓はどうしようもなくて、私はクラピカが正面に立つのを待った。


「すまない。レインが食糧を渡して回っていると聞いて、探していた」

『う、うん。あの、クラピカも、良かったら食べてくれる?』

「ああ、後で貰うとするよ。だが、今はレインと話がしたい」


 私は頷いて、とりあえず、壁際のベンチに座ることになった。お爺ちゃんの時と同じだけど、お爺ちゃんの時よりもずっと緊張している。窓の外は夜景が広がっててロマンチックだったけど、そんなことを考えている余裕もなかった。


 クラピカは膝で組んだ指先を見詰めたまま、静かに話す。ぽつり、ぽつり。まだ、心の整理がついていないみたいだ。


「本当は、もっと早く声を掛けたかったのだが」

『うん』

「思いの外、レインと向き合う覚悟を決めるのに、時間が掛かってしまった。すまない」

『うん』

「あと、なにも言わずに、出て行ってしまったことも」

『うん』

「その、私を恨んでは、いない、のか?」


 クラピカが、俯いたまま私を見る。大きな瞳がちょっとだけ頼りなくて、子どものような視線。私はクラピカに真っ直ぐ微笑んで、ゆっくりと首を横に往復させた。


『恨まないよ。クラピカが出て行った理由は、寂しかったけど、分かったから』


 私が答えると、クラピカはまた視線を指先に戻してしまった。更に俯いて、とうとう表情が完全に隠れてしまう。


「巻き込みたくなかった」

『知ってる』

「だとしたら、なぜ」唇のなかで、含むように呟くクラピカ。よく聞き取れなくて、首を傾げて金色の前髪を覗き込む。『え、なあに?』


「どうして、此処に居る?どうして、あんな危険な奴と一緒に居る!?」


 顔を上げたクラピカの瞳は、今度は、少し悲しい緋色。ルビーを通したような眼光に射抜かれて、身体が動かなくなってしまう。


「頼むから、レイン、こんな危険な場所に居ないでくれ」


 縋るような、祈るような、泣きそうな声。初めて聞いたその声に、私はクラピカの右手を握り締めた。


『クラ、あのね、此処に来たのは、お父さんから手紙が来たからなの』

「先生から?」クラピカが首を傾げた。クラピカは私のお父さんのことを、先生と呼んでいる。

『うん。一月一日に、このハンター試験の受験通知と一緒に』

「待て。待て待て、レイン、先生は二年前に亡くなっている筈だが」

『そう、それが私たちの記憶。でも、クラが出て行ってから気が付いたのだけど、死んだお父さんの記録は、この世のどこにも残されていないの』

「つまり、先生は生きているのか?」

『ううん、分からない。記録がないだけで、死んでいることには変わりないのかも。でも、今年のハンター試験の受験通知を送って来るのなら、なにか意味があるのだと思った。だから、此処に来たの』


 クラピカは一瞬だけ瞳を細めて、唇を噛んだ。その表情は、怒っているようにも悔しそうになも見えたけど、クラピカはなにも言わない。少なくとも、私に怒っているわけではなさそうだ。


 クラピカは額に左手をあてて、下を向いた。顔を見ないで欲しいという意思表示のみたいだ。


「先生は、何故、レインの名前でハンター試験の申し込みを?」

『分からない。私に見せたいものがあったのかも。それか、此処に来ればクラに会えるよって、教えてくれたのかな』


 言ってから、それは有りそうだな、と思った。だって、私は此処に来たからクラピカに会えたのだから。


『クラがどう思っていても、私は此処に来て良かった。クラに会えて、元気な顔が見れて、良かった』


 クラピカに微笑むと、驚いた瞳とぶつかった。その瞳は、もう、穏やかな茶色で、しばらく見詰め合った後で少し細まる。

 クラピカの白い左手が視界に入る。形の良い爪と、清潔感を象徴したような指先。指先はゆっくり近付いて来て、私の髪を撫でて、クラピカの元に戻って行った。


『クラ?』

「すまない」


 クラピカが、なにに対して謝ったのかは分からない。私の傍に居られなかったことか、私が此処に来るのを止められなかったことなのか、今私に触れたことか。
そうではなくてずっと過去の事に対してか、それともずっと未来のことにか。


 多分、全部なんだ。


 本当はね、言いたいことは、伝えたいことは、たくさんあるの。でも、今のクラピカには、その言葉さえ背負ってしまいそうで。


『大丈夫』


 そう言って私は、微笑むことしか出来ない。


『私なら、大丈夫だよ。ヒソカと一緒に居るのだって、会場に来るときの、その、なんと言うか、事故のようなものだし』

「いや、それは大丈夫なのか?」

『うん、多分、大丈夫。一緒にいると、勝手に人が避けてくれて便利だし。上手に扱えば、そんなに危なくないと言うか。なんと言うか、ガソリンみたいなヤツだから』


 我ながら上手い喩えだと思ったのだけど、クラピカは小さく「ガソリン」と呟いて、顔を顰めてしまった。


「すまない。本当なら、私がレインを守りたいのに、私にはその余裕がなくて」

『クラピカ、私はクラの跡を追う形になっちゃったけど、クラの足を引っ張りたいわけじゃないよ。クラは、ハンターになるって目標がある。だから、私のことは気にしないで、試験に挑んで』

「私では、守れない。それが、私には悔しいのだよ」

『クラ』

「私が、もっと強ければ」

『でも、クラピカが強かったら、もっともっと目標に向かって走って行っちゃう。それこそ、今此処で会えなかったかも知れない』

「それは、‥‥それでも」

『それに、私ね』そこまで言って、言葉に詰まった。お爺ちゃんの“特別試験”は、私とお爺ちゃんとの秘密なのだ。他の受験生にばれてはいけない、と言う条件も試験に含まれている。

 言わなければ、心配させてしまうかも。今以上に、クラピカは気に病んでしまうかも知れない。


 でも、


 それでもね、


『なんでもない』


 私は首を振った。クラピカに目標があるように、私にも知りたいことがある。


 握っていた手を離した。


『とにかく、今は休んで、次の試験に備えよう』


 そう言って、私はにっこり微笑んで、クラピカにおにぎりを差し出した。


 クラピカもにっこりと頷いて、差し出したおにぎりを受け取ってくれた。


 今は、そう。


 今は、これで充分なんだ。



 私は大丈夫だから。


 どうかお願いだから、


 クラピカは前だけを向いていて。





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