go along the origin

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 数字が三桁になって、漸くエレベーターは止まった。止まる際に不愉快な振動はあったけれど、二人とも食事はとうに終わっていたし、そろそろ会話も尽きて来ていたので、振動なんて気にしていなかった。


 扉が開くと、そこは大きなトンネル。このトンネルが市外まで続いていることは、前日に調べてある。天井は見えなくて、横穴でも開いているのか微かに風もあった。まるで屋外の広場のようだ。人もまばらで、良かったと思う。此処に来る人間が全てステーキ定食を食べてくるのなら、トンネルの中は相当脂臭くなっていただろうけど、この広さなら問題なさそうだ。良かった。


 まだ早い時間だからか、到着している人は少ない。スーツを着た等身の低い豆のような人が、直径5cm程の円形のプレートを私に差し出した。「受験票をどうぞ」


 プレートには13と書いてあって、裏側には安全ピン。私はそれをスカートの腰の辺りに留めた。制服のポケットには既に口紅が入っていたし、中に着たニットカーデは穴が開きそうだし、シャツに付けると胸元が開きそうだったから。私はシャツの釦を、首元から二つ開けていた。


 ヒソカはと言うと、「44番が良い」と駄々を捏ねていた。正直、全く可愛くない。スーツを着た豆のような人も困ってしまっていたので、43人目が来たら受付をすれば良いと私が言ったら、二人とも納得してくれた。良かった。


 エレベーターの前で突っ立っているのも邪魔なので、壁に寄って座っていることにした。待っていたら43人なんてすぐに集まって、44と書かれたプレートを胸に付けたヒソカが、満足そうに私の隣に立った。


『なんで44に拘るの?』

「ん、なんとなく◇」

『そうだと思った』


 それきり、会話は無くなった。元々、私もヒソカも場を盛り上げる方ではない。豆の人は、エレベーターから降りて来る人に、順番にプレートを渡している。


 暇だったので、仕事の依頼のメールが入っていないか、“機巧天使”からチェックすることにした。携帯電話は買うのを忘れていたけど、もともと余り使っていなかったので、試験が終わってから買いに行っても問題はない。メールは三件入っていた。すぐに終わる仕事だったので、その場でリプライを送っておいた。地下だったけど、電波は届くみたいだ。


 二時間後くらいには、受験生は400人くらいになっていた。やっぱり殆どが男の人で、皆エレベーターから余り離れないから一箇所に集まっていて、凄く暑苦しい。女子高生のコスプレが珍しいのか、私を横切る人は皆私を見ていたけど、話し掛けられはしなかった。


 ああ、唯一、ハゲの男の人に話し掛けられたな。その人も忍者のコスプレをしていて、通り過ぎざま、「お、女子高生」て呟いた。手を振って、『違います。コスプレです』と弁解したら、興味を失ったように行ってしまった。なんだろ、ジャポンフェチかな。自分だって忍者だったし。


 また、エレベーターの到着を報せる音が鳴る。いい加減、白々しいなと思えて来た。


 でも、そこから聞こえた声は、全然白々しくなんてなくて。


「うわあ〜、すごい人だね」


 声変わり前の少年の声。好奇心の塊みたいな、溌剌とした声。声質の所為か、その声はよく通り、陰鬱としたトンネルに響いた。


 暇なのもあったし、こんなに元気いっぱいに此処に来る子どもも珍しいので、ちょっと“機巧天使”を飛ばしてみた。その子は丁度、プレートを貰う所だった。


 一人で来た訳ではなくて、その子の他に二人、新しくプレートを手に持っていた。二人はその子よりも背が高く、着ている服も全く違う。一人は、黒いスーツ。なんでこんな場所にスーツ、と思ったけど、人の事を言えた格好じゃないのでその言葉を堪える。強面にサングラスで体格も良いので、ちょっとヤの付くご職業の人みたいにも見える。もう一人も、男の人。身長は普通。青い、幾何学模様の個性的な服を着ている。あれ、この服、見覚えがある。長めのショートヘアは金髪で、肌の色は陶器のような白。もしかして。


『クラっ‥‥』


 気が付いた時には走り出していた。自分でも突然だったので、集中力は“機巧天使”に持って行かれたままだ。視界に映る人影に気が付いても、咄嗟に避けることは出来なかった。横切ろうとしたその人の腕と、私の肩がぶつかる。


 衝撃に態勢を崩したが、私は『すみません』とだけ呟いて立ち去ろうとした。でも、その人に腕を捕まれて、それ以上進むことが出来なくなってしまった。


「おい、待てよ」


 その男はかなり怒っている様子で、私を睨み付ける。


『なにか?』

「ぶつかって来ておいて、それはねーんじゃねーの?」

『え?』


 確かに、私の謝罪はぞんざいではあったけど、それだけでこんなに怒っているのも不自然だ。辺り処が悪くて、相当な痛みがあったのだろうか。だとしたら悪いことをした。これから試験を受ける身体に、ダメージを負わせてしまったのだから、怒るのも無理はない。


『あの、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたので』

「そうじゃあねえだろ。態度で示せっつってんだよ」

『はあ、態度?』


 困惑していると、捕まれた腕をそのまま引っ張られる。目の前に立たされて、逃げられないように両肩を捕まれる。男は嫌な笑顔で私を見た。


 男の声は無駄に大きくて、私たちの周りには大袈裟な人だかりが出来ていた。全員が楽しそうな表情をしている。皆暇だったんだね。


「そうだよ、態度。今ぶつかった腕の痛みで、試験に落ちたらどうすんの。一生面倒見てくれんのかよ。下の世話まできっちりとよ」


 最後の方はなにを言っているのか分からなかったけど、男の表情と周りの反応から察するに下卑た発言だと判断した。


「ほらほら、なんとか言えよ。こんな所で公開処刑されたくねえだろ」


 男の顔が更に近付く。やっぱりステーキの匂いがしたのが、少し笑えた。背後で「やっちまえー」と言う野次が聞こえる。私の味方は居ないようだ。


 男は精孔が開いていないので、完璧なアマチュアだ。さて、どうしよう。私がちょっとオーラを込めて男を殴れば、腕が痛いどころではすまされない。骨が砕けるに違いない。


 肩を掴む男の手が不愉快だ。それだけでも振り払おうかなと思った矢先だった。


 男が後退り、膝から崩れ落ちた。


「アーラ不思議◆」男の手の感触が無くなり、代わりに後ろから抱き寄せられる。「腕が消えちゃった◇」


 ヒソカだ。声だけで、いや、存在だけで分かる。「タネもしかけもございません◆」なんて良いながら、私を背中に匿う。座り込んだ男は、奇声を上げながら首だけを動かして周りを見ている。切り落とされた腕を探していた。


「気を付けようね◆人にぶつかったらあやまらなくちゃ◇」


 人だかりは、私たちから更に距離を取っていて、まるでなにかの儀式みたいだ。ヒソカが立ち去ると、何人かは興味を失ってその場から離れて行った。男は腕から血を流したままだったので、私は制服の上着を脱ぎ、袖の部分を破って紐状にし、止血を試みた。傷口も外気に晒すのは危険だ。血が止まったのを確認して、制服の残りの生地を使って傷口を覆う。傷は綺麗に、関節の部分を通っていた。


 男を受付の豆の人に引渡し、辺りを見渡す。ヒソカは居ない。まだお礼を言っていない。


“機巧天使”は出したままだったけれど、もうクラピカたちも映っていなかった。帰って来るように操作して、ヒソカを探そうと歩き出す。今度は誰にもぶつかりませんように。


 人と人との間からクラピカが見えた気がした。でも、視線はすぐに反らされた。当然だ。私から遠ざかりたくてなにも言わずに出て行ったのに、こんな所に私が居るなんて悪夢でしかない。馬鹿正直に声を掛けなくて良かった。他人のふりをされたら、私だってちょっとは傷付く。


 ヒソカの悪夢のような笑顔に安心感を覚えるなんて、私は壊れてしまったのだろうか。


 鳴り響くベルの音が、他人事のように私を通り過ぎた。





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