go along the origin
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その男を見て、私は心底肝が冷えた。
いやまあ、金髪美女を針で付け狙うようなヤツだからさ、常識人ではないとは思ってたんだけどさ。
まさかこんな、一線越えたヤツだったなんて。ああ、なんてこと。
男は船員の制服を着ている。客室係りのデザイン。パーティー会場でもこの服を着ている人間は見掛けたし、この男も会場に居たことを私は記憶していた。
猫みたいな大きな瞳に、さらっさらの黒髪。この男が投げた針は、私の背後の壁にざっくりと刺さっていた。針というより釘だ、この太さと長さは。釘としても相当でかい。
そんな釘紛いの針が私の後ろで6本。先端部から半分程を壁に埋もれさせ、亀裂という辺で針と針の間を繋いでいた。折れ線グラフのような図形。そしてその最端部分に、私。残念ながら、私にグラフの一部になる気はないんだなあ、これが。
光の反射と屈折を利用したカモフラージュ、つまりセーラさんの擬態は、この男の不意討ちでさっさと解けてしまった。まあ、犯人を釣ることに成功したのだから、結果は上々だ。
釣ったは良いけど、あとは対処の仕様だよね。こんな船の上じゃ、撃退するにも手段を選ばなきゃ。なんたって、周りは海なんだから。‥‥うーん、適当に気絶させて、どこかに寄港するまで監禁しておくのがベストかな。
腕に発生させたオーラで、壁にめり込んだ針を取り出す。針自体は金属だから、相性抜群。磁気で難なく操作可能だ。
手に入れた武器を男に向けて空中に固定する。威嚇のつもりだったのだけど、男に反応はない。
男はなにも言わない。
立ったまま死んでしまったのではないかと思うくらい、男は静かだった。死後硬直しちゃってんじゃないの。それだったら、どんなに気がラクか。
しかし、“機巧天使”が感知する限り、男の心臓はしっかり動いている。常人よりずっと遅く。その心電のリズムさえ気味が悪い。
オーラを纏って空中に固定された特大針。ベクトルを男の胴体に向けて、オーラを練る。
胴体を狙うのは、勿論、的になる範囲が大きいから。別に、スプラッタな展開を望んだわけじゃないよ。そもそも、ここでスプラッタな終わりを迎えられるほど、甘い相手じゃないしね。
オーラを繰って、凶器を殺人鬼目掛けて吹っ飛ばす。
同時に、男が消える。天井近くまで飛び跳ねていた。壁に着地し、また針を投げてくる。あいつの周りだけ、重力が可笑しいんじゃないか。
私が放った針が壁に突き刺さるより速く、男の投げた針が私に到達する。正確には、私のオーラだ。電磁波を帯びたオーラは、磁性を持つものは絶対に通さない。
へっへーんだ。更に針4本ゲット。
それらを男に向かって放つのと同時、先に放った6本の針が軌道を変え天井の男に先端を向けて推進する。さすがに追尾する針には男も驚いたようで、不気味な目を大きくして振り返った。
男が天井に着地する。重力の存在を疑いたくなるような動きだ。自分目掛けて飛んでくる針を、男は真正面から見据えた。その後は一瞬。
針は、全て男の手中にあった。つまり、全部受け止めたってこと。
黒髪の殺人鬼手は手元に戻ってきた針を確認する。自分が使っていた武器なのに、敵が使用したら自分が把握していない機能を見せたので、不可解なのだろう。
大きな瞳が、きっちり三秒間だけ釘を観察し。そして止める。興味を失ったのだ。男はそのまま、持っていた釘を仕舞った。
そう、仕舞った。一度敵の手に渡り、敵の手によって不可解な動きを見せた武器を、再び仕舞った。当然のように。なにもなかったかのように。
一体、どんな神経してんのよ。
そこで漸く、男は元の重力に従い、床に降りてきた。天井付近からの落下だと言うのに、着地音もしない。
「うーん」男は真っ暗な瞳で私を見詰め、首を捻った。その角度は、きっちり45度。さっきからやたらときっちりしているのは、男の感覚が調節されている為だ。メトロノームのように動くのが、この男の日常ということ。「もしかして、ターゲットじゃない?」
『ここまでやっといて今更っ?』
今の私は、光の屈折率なんて気にしてられなくて、髪も金髪じゃないしあんな魅惑の美女にも見えない。それでも、男は漸く私に気が付いたように、焦点の合わない瞳で首を傾げていた。
「ああ、一杯喰わされたかな」
そう言って、男は斜め上を見た。いや、そこにはなにもないのに、なにかを見ているような視線。なにかを思い出しているのかも知れないけど、この男に思い出なんて単語は似合わないと思った。
「ホンモノはどこ?」
『知らない。知り合いに預けてある』
「知り合いか、なるほど」
男は能面みたいな表情で、顎に手を当てて制止している。再生ボタンが必要かも。コマ送りとか出来ちゃいそうな一時停止だ。
「本当に困るな。営業妨害だ」
『営業?』
「仕事のこと」
『そのくらい分かるよ。ごん太針で金髪美人を追い回すのがあんたの仕事?』
「俺の仕事、殺し屋だから」
殺し屋なんて単語を日常会話で聞いたのは初めてだ。けれども、ここで相手のことを理解出来ないと切り捨てるのもどうなのかな。私が今から向かうところは、ハンターなんて非日常を希望する人間が集まってくるのだし。
『殺し屋さんが狙ってるってことは、セーラさんを殺すように依頼した人間がいるわけね』
「それは依頼主に関わることだからノーコメント」
能面男が見せたプロ意識に、私の警戒態勢が少しだけ緩和される。そもそも会話が成り立つ相手だなんて思いもしなかったし、私が標的じゃないと分かったからか、男の“練”もほんの少しだけ弛んでいた。
男はまた一時停止している。考え事をしている時の癖かも知れない。さっきまで本気で殺そうとした相手を前に、余裕なことだ。
再生ボタンが押されたのか、男は右手で後頭部を掻き、肩を落とし、踵を返した。「ま、いいや」なんて呟きながら。
『どこ行くのよ』
私を無視して、セーラさんを殺しに行くのなら、大胆な行動。私は男の目の前に電磁波の壁を展開した。壁に阻害された男が、私を見る。振り向き様、右手をこちらに差し出した。差し出す、にしては素早い動き。目で追えるギリギリの速度。咄嗟に左に跳ぶ。
音を立てて、壁に突き刺さる針。
右頬に、微かな痛み。
触ると、指先に僅かに血液が付着した。
針は私のオーラを通ることは出来ない。私を傷付けたのは、針が切り裂いた空気の衝撃波。オーラを破ったのは、あいつのオーラ。悔しいけど、“練”の精度の優劣だ。
「どうして標的に成り代わってまで喧嘩を売ってくるのか分からないけど、死ぬよ」
『セーラさんは友だちだもん。友だちを殺すって言ってる殺し屋なんて、邪魔するに決まってるじゃかい』
「ああ、それはもう良いよ」
男は顔の前で右手をパタパタ振った。
『もう良いって、なに。どう言うこと』
「俺の仕事はもう終わってるから。あっちは保険みたいなものだし」
『どう言う意味?』
「それも依頼主に関わることだから、言えない」
能面男は首を振らずに否定する。真っ直ぐ虚空を見詰める瞳。
「俺も面倒臭いことは勘弁だしね」
『面倒臭い?』
男の言うことは、なんだかいちいちスッキリしない。でも、セーラさんを狙っていたことはまごうことなき事実だし、自分のこと殺人鬼とか言ってたし。あ、言ってないか、殺し屋だっけ。ん、なにが違うの?あれ?でも犯罪者なことには変わりない。いやでも、私が標的じゃないってばれた時点で、私への攻撃は止まってるし。この人は敵で、悪い人、なんだよね。
『ああもうっ、はっきりしてよっ』
「なんかよく分からないけど、この壁解いて」
男が電磁波の壁を指差す。むう。もうセーラさんのことは良いって言ってるし、信じても大丈夫なのかな。
男の心拍数や体温の変化は、嘘を吐いているパターンじゃない。ていうか、バイタルに変化がない。あれだけ動いた後なのに、能面男の状態は、交戦前と全く変わらない。
ああ、もうっ、分からないっ!
判断要素が少なすぎて、直感すら働かない。
いっそ全て放り投げてしまおうかとヒステリックな衝動に駈られた時、私の足元がぐらりと揺らいだ。