go along the origin

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 五十平米はありそうなリビング。寝室が二つ、それぞれにキングサイズのベッドが一つずつ。中庭を見渡せるバルコニー。


 カウンターバーの向こうには、私の家よりも使い勝手の良さそうな広いキッチン。これで簡易キッチンだって言うのだから、金持ちの家のキッチンはレストランの厨房がまるっと設置されているに違いない。


 だいたい、なによ、このソファーは。一人掛けだってのにこの大きさ。金持ちの尻はそんなにでかいっての?



「どうしたんだい?さっきから、どんどん不機嫌になっているようだけど◆」



 分厚い背凭れの上から、死神だかピエロだかに扮装したヒソカが話し掛けてくる。なに、新年のパーティー用の仮装?どちらかと言うと、雰囲気はハロウィーンだ。



『今夜はキャプテンの挨拶も兼ねた夕食会だったよね。その格好で出るつもり?』



「んー、ノーメイクで人前に立つの、慣れないんだよね、ボク◇」



 左頬の涙マークを撫でながら、ヒソカが言う。私だったら、そのメイクを施された時点で羞恥心で自室から出てこられないと思う。



 夕食会では他人の振りをしよう。



「キミこそ、着替えないのかい?その動きにくそうなワンピース」



 ヒソカは二人掛けのソファーに座ると、私が用意したミネラルウォーターをグラスに注いだ。


 気圧が変わって粒になった二酸化炭素が、グラスの中を昇って行った。


『夕食のときにまた着替えるもん。面倒臭い』



「夕食もその白いワンピースで出るつもりかい?」



 グラスに口付けながら、ヒソカが聞いた。私は目を合わせずに、ソファーの中で身体を丸めながら答える。‥‥確かに、このワンピースは動き辛いな。



『白くちゃ悪い?』



「夕食って言っても、立食パーティーだろ?汚れたらどうするんだい?」


 ‥‥言われてみれば。


 私はスカートの裾を摘まんでみる。伸縮性のないシルクの生地が、折り曲げた私の膝に引っ掛かって、少し窮屈だった。



『この船に乗りそうなお嬢さまのイメージってだけで着てきたからなあ。

 どうしようかな、夕食で着れそうなのはこれくらいなのに』



 と言うより、船の中ではこれで通すつもりだったんだけど。試験を受けるのが目的なのであって、豪華客船のバカンスは手段でしかないし。



 いや、受験も謂わば手段なわけだけれど。



「着替えがないなら、そこのショップで買えば良いよ◆付き合ってあげるから◇」



 ガス入りのミネラルウォーターを飲みながら、ヒソカが言った。え、それは、デートのお誘い?


 改めて、ヒソカを見る。



 真っ先に目につくのは、両頬に描かれた星マークと涙マーク。胸と背中にトランプのスートが二つずつプリントされた服。目元に掛かっていた前髪はがっつり上げられていて、さぞかし視界がクリアになっただろうと思う。




「ごめん、買い物は一人でする主義なの。また今度誘って」



 私はヒソカの目を見て、丁寧に断った。



「ん◆このボクの格好がイヤなら、着替えてくるけど◇」



 思い掛けないヒソカの提案に、私は黙って頷くしかなかった。



*********





 中庭のアウトレットショップは、思ったよりも人が少なかった。丁度、この時間は、劇場で世界的に有名なサーカス団のショーをやっているからだろう。スイート以上の部屋を取っている客は、映画や劇場、その他の施設料も部屋代に含まれるため、ファミリー客はそちらに流れる。



 来客の少なさは、つまり、ショップ店員のサービスの向上に繋がる。



 髪を下ろして激烈な個性を失ったヒソカと、清楚な印象の女性店員は、私の今夜の夕食会のファッションについて、かれこれ三十分程議論していた。




「こちらは如何です、お客様?このドレス、今年のシリーズで、アウトレットで扱ってるのウチだけなんですよー」



 白い歯を見せながら笑うお姉さんは、ロングのカクテルドレスをヒソカに見せた。いや、着るのは私なんですけど。



「スカートは短い方が良いかな◇もう少しシンプルで良いから、あまり胸元が開いてないやつ◆」


 私の意見も聞かず、ヒソカは答える。着るのは私なんだけどな、と考えたところで、その事実と私の意見が反映されない現実は矛盾しないらしい。





 たった二分でメイクとワックスを落とし、まともな服装に着替えたヒソカが、客室を出る前にこう言った。


「ボクが払うから選ばせてよ◆」



 つい三十分前のヒソカのファッションセンスを考慮すると全力で拒否したい提案。しかし、船内では私たちは兄妹という設定なのだから、兄が支払わなければ怪しまれるとの理由で、私はこの危険な条件を飲むことにした。



 結果、店に入ってからの三十分間、私はヒソカとお姉さんの言われるままにドレスを着るマネキン人形の役割を果たしている。




「妹さん、大丈夫ですか?お疲れじゃありません?」



 ヒソカの要望を満たした黒いワンピースを手に、お姉さんが私の顔を覗きこむ。言葉は気を遣ってはいるが、次はこれを試着しろと空気が語っていた。



 あえて空気を無視しても良かったが、お姉さんの後ろのヒソカが怖かったので、ワンピースをハンガーごと受け取り、私はフィッティングルームに入った。





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